第十章「選択肢の意味」
雨が降っていた。
細かい雨粒が街灯に照らされ、夜の街を静かに滲ませている。
傘も差さず、潤はアパートへ向かう道をただ歩いていた。
冷たい雨が肩を濡らし、靴の中にじわじわと染み込んでいく。
会社を出るとき、優はもう居なかった。
居たとしても、話しかける勇気さえ、潤にはなかった。
優との間には分厚い壁が立ちはだかっている。
それは言葉ではなく、“沈黙”によって築かれた大きな壁だった。
ーーーー
部屋に戻ると、湿った服を脱ぐ気力もなく、潤はそのままベッドに腰を下ろした。
テーブルの上には、開封されていないコンビニ弁当。
冷めきった部屋の明かりが、まるで自分を責めるように照らしている。
「……もう、終わったのかもな」
優との信頼も、会社での評価も、自信もーー全部、失った。
あの“選択肢”が現れてから掴んだものは、もともと自分の力じゃなかったのだ。ただ導かれていただけ。与えられた“正解”を選んでいただけ。
だからーー何も残らなかった。
その瞬間。
暗い部屋の中に、ふわりと白い光が滲んだ。
【A】諦める
【B】何も変えない
【C】立ち上がる
「……!」
久しぶりに見る“それ”に、潤の心臓が跳ねた。
どれだけ望んでも現れなかった“選択肢”がーー今、目の前にある。
けれど、どこかが違っていた。
以前のそれは、まるで「導いてくれる」ような光だった。
だが、今目の前にあるパネルはーー冷たい。
静かに、何の感情もなく、ただ“突きつけてくる”だけだった。
【A】諦める
ーー今の自分なら、簡単に選べる。
もう頑張る必要なんてない、と。
【B】何も変えない
ーー現状維持。何もしなければ、傷つくこともない。
ただ、緩やかに、何もなく終わっていくだけ。
【C】立ち上がる
ーーその選択肢だけは、以前のように甘く光ってはいなかった。
むしろ、黒い影のように重く沈み、まるで「本気で覚悟しろ」と言われているようだった。
潤は、拳を握った。
これまでの自分は、正解を“与えられる”側だった。そこに自分の意志なんて、どこにもなかった。でも今、目の前にあるこの選択肢は――自分に“決断”を迫っている。
「……俺に、選ばせるのか」
喉の奥で、乾いた声が漏れた。
以前のように口に出しただけで自動的に世界が動くことはない。
選ぶということは、責任を背負うということだ。
その意味が、今ようやく重く、実感として胸にのしかかってきた。
潤はゆっくりと、視線を【C】に向けた。
光は弱々しい。でもーー確かにそこにあった。
「……俺は」
震える声で、はっきりと告げる。
「ーー立ち上がる」
その瞬間、パネルの光がゆっくりと変化した。
以前のように明るく導く光ではなく、黒と白が混ざったような、不安定な輝き。
だけど、その“揺らぎ”には確かに“現実”の重みがあった。
胸の奥で、小さな鼓動が鳴った。優には嫌われたままだろう。職場でも立場は最悪だ。
それでもーー逃げない。逃げちゃいけない。
与えられた“正解”ではなく、自分の“意志”で何かを取り戻す。
そんな決意が、潤の中に初めて生まれた瞬間だった。




