第7話:隠れ里の少女、語られぬ涙
その村は、地図にはない場所にあった。
霧に包まれた山奥。深い森を抜け、獣道の先にぽつんと佇む、小さな集落。
石と木を組み合わせた粗末な住居、手掘りの井戸、風を防ぐ布の垣根。
文明の光から取り残されたその場所で、魔族の血を引く者たちがひっそりと暮らしていた。
「……本当に、いたんだな。魔族の生き残りが」
レオンは、村の入り口に立ち、深く息を吐いた。
その背後にはセリア。
村人たちは、見慣れぬ“人間”の姿に警戒し、物陰に身を隠している。
「レオン。気をつけて。私たちは“英雄”としてではなく、“敵”として見られている」
「ああ、わかってる。けど、ここで引いたら……俺は、もう自分を許せない」
◆ ◆ ◆
村の中央、風よけの布をくぐって現れたのは、一人の老婆だった。
しわだらけの手には杖。だが、その目は鋭く、揺るぎない意志をたたえていた。
「何の用だ、勇者よ。もう、斬り残しの命でも刈り取りに来たのか?」
「違います。……俺は、魔王ヴァルザグを倒しました。
でも、その最期の言葉を、どうしても忘れられなかった」
老婆──村の長ナギアは黙って耳を傾けていた。
「この村には、記録があると聞きました。魔族の側から見た、あの戦争の真実が。
……俺は、知りたいんです。“自分が何を斬ったのか”を」
ナギアはしばらく沈黙したあと、小さく頷いた。
「ならば、会わせてやろう。“記録”そのものに──」
◆ ◆ ◆
連れて行かれたのは、村の一番奥にある、崩れかけた石の祠だった。
その中で、レオンはひとりの少女と出会う。
白銀の髪、紅い瞳。
人間離れした美しさと、どこか影のある佇まい。
「……あなたが、“勇者”?」
「ああ。名はレオン。君は?」
「ミル。……ここで生まれて、ずっと隠れて生きてきた、魔族の子よ」
その声に、怒りも恐怖もなかった。
ただ、哀しみだけがにじんでいた。
「私は“記憶の器”……魔族が失った記録、消された歴史を、精神に焼き付けられた存在」
ミルは、自らの額にそっと指を当てた。
「だから私は──死んではならない。私の死は、“種族の死”と同じ意味を持つの」
◆ ◆ ◆
レオンは彼女から“記録”を見せてもらう。
それは文字ではない。
ミルが精神に直接“幻視”として見せる、かつての出来事そのものだった。
──幻視:
魔族の代表が、王国の将軍と握手を交わし、言葉を交わす。
“和平”を結ぶ瞬間。
だが、その背後で、王都から送られた密命が到着する。
>《和平交渉は破棄。交渉使者を処分し、即時侵攻を開始せよ》
>《敵意を演出し、“正義の開戦”を宣言せよ》
交渉に立ち会った人間の兵士たちは動揺するが──命令には逆らえない。
そして、記録は血に染まる。
「……これが、すべて……?」
「ええ。魔族は、交渉の席で斬られたの。
私たちは、“悪”に仕立て上げられて、奪われて、滅ぼされた」
◆ ◆ ◆
そのとき──森の奥から、殺気。
「来たな……!」
セリアが魔法障壁を展開すると、次々と飛来する矢が霧を裂く。
──王国直属部隊、“灰の追手”。
黒灰色の軽装鎧に身を包んだ部隊は、正規軍とは異なり、戦闘と“口封じ”のためにだけ育てられた刺客集団だった。
「勇者レオン。命令により、お前を排除する」
その中に、見知った顔があった。
「……カイン……!」
王国魔術師団に転属したかつての仲間──カインが、灰の追手の指揮を執っていた。
「……これが、今の“お前の立ち位置”だよ、レオン」
「俺は真実を知った。それを見て、黙っていられなかっただけだ!」
「正義は民が信じる側にある。国を守るのが“正義”なんだ。お前のしてることは、ただの裏切りだ!」
「違う……!」
セリアが叫んだ。
「正義は、“誰かの命”を踏みにじってまで貫くものじゃない!」
◆ ◆ ◆
戦闘が始まる。
カインは精密な魔法陣を展開し、セリアとぶつかる。
灰の追手たちは、集落を包囲し、ミルの命を狙って襲いかかる。
レオンは剣を抜いた。
「──この剣は、もう“王”のものじゃない!」
雷のような斬撃が走る。
神速の一撃で、追手の前衛を打ち倒し、崖際まで押し返す。
「お前たちが信じてるものが、本当に正しいのか。
“自分の剣”で、それを確かめたことはあるのか!!」
その問いに、誰も答えられなかった。
◆ ◆ ◆
戦いは激化するが、村人たちとレオンたちの連携で、追手たちは撤退を余儀なくされる。
最後まで残ったカインは、レオンを見つめ、静かに言った。
「……俺はお前を敵だとは思っていない。
でも、お前がこのまま王に背き続けるなら……次は、お前を殺す覚悟で来る」
「それでも……俺は、退かない」
そう言ったレオンの瞳に、迷いはなかった。
◆ ◆ ◆
戦いのあと、ミルがそっとレオンのもとへ来る。
「……私は、あなたが勇者だったことを知ってる。
でも、今のあなたは──“私たちを守ってくれた人”だ」
「ありがとう」
レオンは彼女の頭に手を置いた。
「その言葉だけで……もう十分だよ」
◆ ◆ ◆
その夜、村の焚き火の前で、ナギアはレオンに言った。
「この子には……記憶を超えた“力”が宿っている。
それを知って、王国は狙っている。だが同時に──お前を恐れてもいる」
「俺を?」
「お前が、民の“正義”を奪う存在になるかもしれないからだ」
レオンは火を見つめながら、ゆっくりと答えた。
「なら、その覚悟も背負っていこう。
誰にとっての正義かじゃない──“俺にとっての正義”を貫くために」
◆ ◆ ◆
一方、王国。
王・オルフェスは、執務室で側近にささやいていた。
「勇者は、もはや制御不能。……だが、捨てた剣は“英雄”の剣だ。
民はまだ奴を信じている。……ならば、“信じていた民”ごと壊すまで」
「新たな計画を?」
「ああ。次の“英雄”を仕立てる。レオンに代わる、純粋な器をな」
夜は深まり、そして静かに──“第二の勇者計画”が動き出す。