第5話:刃を向ける理由、守るべき小さな命
夜が明けきらない空の下、霧が村を包んでいた。
朝露に濡れた木々がざわめく中、レオンは静かに剣を研いでいた。
いつの間にか日課となった、無心の時間。
だがその心は静かではなかった。
村で見つけた書簡、ミルの問い、語られなかった歴史。
魔王ヴァルザグの瞳にあった悲しみと怒り。
その全てが、レオンの胸を焼き続けていた。
「この剣は……もう、誰の命も奪いたくない」
そう呟いた時だった。
突如、地面を這うような冷たい気配が、空気を裂いた。
◆ ◆ ◆
同じ頃、村の外れにいたミルが、草むらの中で奇妙な音を聞いた。
風ではない。獣でもない。
──サッ、サッ、サッ……
規則的で、複数の足音。
そして──その先に、黒い影が立っていた。
「……誰……?」
ミルの声に答える者はいない。
返ってきたのは、一本の矢だった。
◆ ◆ ◆
「ミルだ!」
森の奥から聞こえた悲鳴と矢の音に、レオンは咄嗟に立ち上がった。
剣を掴み、霧の中を駆け抜ける。
そして、目に飛び込んできたのは──
黒装束の男たち。
顔を隠し、無言で次々と弓を構える一団。
そして、その標的となっている、幼い魔族の少女──ミル。
「ミルッ!!」
レオンは地面を蹴り、空中で聖剣を振るった。
光の斬撃が飛び、放たれた矢をまとめて弾き落とす。
次の瞬間には、ミルを抱きかかえて転がりながら、別の木陰へ飛び込んでいた。
「勇者……レオン、確認。……殲滅対象に追加」
男たちは感情を一切表に出さず、次々と剣を抜いた。
その動きは訓練された兵士──いや、それ以上。
「……王直属の暗殺部隊、“黒檻”か……!」
その名は、王国の記録にすら残されない存在。
敵味方問わず、“王の秩序”を乱す者を密かに始末する影の部隊だと、バルドから聞いていた。
「ミル、ここを動くな。絶対に──目を閉じて、耳を塞いでいろ」
「でも……」
「いい子だ」
レオンはそう言い残すと、ゆっくりと立ち上がった。
聖剣が再び、微かに光を帯びる。
「お前たちがどんな命令で動いているにせよ、俺は──この子を守る」
「目標に変化なし。排除開始」
◆ ◆ ◆
一人が矢を放ち、二人目が背後から飛び込む。
三人目が煙玉を投げ、四人目が足元を狙って土を蹴り上げる。
だが──
「遅い」
レオンの身体は、まるで空気を読んでいたかのように動いていた。
目に見えない斬撃が空間を走り、最初の暗殺者の面を真横に裂く。
「がっ……!」
背後からの斬撃も、剣の鍔で防ぎ、踵で逆打ち。
煙が充満する前に、跳躍でその場を離脱──着地と同時に、逆風の斬撃を巻き起こす。
聖剣。
本来は“神の加護”を受けた対魔王用の神器。
だが、今この剣は、“ただの少女ひとり”を守るために振るわれていた。
「……勇者としての剣ではない。これは、俺自身の意志で振るう剣だ」
ひとり、またひとりと倒れる暗殺者。
訓練され尽くした彼らですら、レオンの“迷いのない一撃”に敵わなかった。
「撤退を……!」
残る数人が煙を焚いて撤退する。
──その時。
「きゃっ……!」
隠れていたミルの場所に、残った一人が回り込んでいた。
「やめろっ!!」
レオンの叫びと同時に、聖剣が火花を散らして飛ぶ。
その一閃は、敵の手首を正確に斬り落とし、剣を奪う。
ミルの前に立ちはだかったレオンの姿に、暗殺者は一瞬たじろぎ──そして、敗走した。
◆ ◆ ◆
すべてが終わったあと、レオンは血まみれの剣を土に突き立てた。
肩で息をしながら、ミルのそばに膝をつく。
「……ミル、大丈夫か」
「うん……でも、こわかった……!」
少女の涙を、レオンはそっと手で拭った。
「俺が……俺が、遅かった。ごめん……」
「ううん、守ってくれた……ありがとう……」
ミルは、小さな身体でレオンに抱きついた。
その震えが、剣よりも重く感じられた。
◆ ◆ ◆
その後、村では警戒が強化された。
王国が“勇者の変節”を認識し、命を狙ってきたという事実に、村人たちも揺れていた。
それでも、村長ザグンは言った。
「勇者よ……いや、レオン。貴様が、我らを守るために剣を抜いたこと。我らは忘れん」
セリアもまた、その変化を見ていた。
「あなたの剣は変わった。もう“与えられた使命”ではなく、“守りたい命”のために動いている」
レオンは静かに頷いた。
「……俺は、もう勇者じゃない。
でも、だからこそ守れるものがあるって、ようやく分かった気がするんだ」
この剣はもう、“誰かに振るえ”と言われて振るうものではない。
──この命を守りたい、と心から思ったときにだけ、抜くものだ。
その覚悟を胸に、レオンは剣を鞘に納めた。
◆ ◆ ◆
一方、王都の暗い会議室。
「……“黒檻”は失敗したか」
「勇者レオン……我らが育てた剣が、ついに制御を離れました」
「ならば、早急に“英雄から国賊へ”と転じる準備をせよ」
「次はどうしますか?」
王は、何も言わず窓の外を見つめた。
「……奴が“国の敵”となる日。それが、“国の正義”の証明となる」
新たな戦いが、静かに幕を開けようとしていた。