第4話:忘れられた記録、語られなかった歴史
夜が明けるころ、レオンとセリアは王都の南門を抜けていた。
周囲には旅人の姿も少なく、まだ朝靄が街道を覆っている。
「……本当に、行くんですね?」
セリアの問いに、レオンはゆっくりと頷いた。
「“滅びの隠れ里”──そこに、真実が残されているなら、俺はこの足で見届ける。剣を抜いた意味を、もう一度自分で確かめたい」
「……なら、私も行きます。あなた一人では、心配ですから」
彼女の言葉には、憐れみではなく、強い決意があった。
聖女として王に仕えてきた彼女もまた、“正義”という名の違和感に目を背けられなくなっていた。
◆ ◆ ◆
二人が目指すのは、王都から南東へ三日の道程。
地図にも載らない山奥にあるという、“魔族の隠れ里”。
王国軍の侵攻で消えたはずの魔族たちが、いまだ静かに息を潜めて暮らしていると、バルド=グレイは言った。
「そこには、今の王国が“なかったことにした過去”が残っている」
レオンはその言葉を信じていた。
道中、いくつかの村を通った。
だが、どの村も“勇者の来訪”には過剰な反応を示した。
「ようこそ! 魔王を倒した勇者様!」
「神に祝福されし剣士! 我が子にも祝福を!」
人々の善意の声が、レオンの胸に重く積もっていく。
“祝われるたびに、偽りの面をかぶせられているようだ”──そんな気さえした。
「民は、ただ平和を信じたいだけ。……その平和がどこから来たのかなんて、知る必要も、ないのかもしれませんね」
セリアの言葉は、どこか哀しかった。
◆ ◆ ◆
三日目の朝、霧深い山道を登ると、ようやく木々の間からそれが見えた。
石を積んだ簡素な家々、煙の上がる竈、畑を耕す人影。
それは、“村”というにはあまりにも静かで、あまりにも慎ましい暮らしだった。
「……本当に、生き残っていたんだ」
人間の言葉に驚き、村人たちが身を隠す。
やがて、ひとりの老人が姿を現した。
「ここに何の用だ、人間の勇者よ。もう十分に、我らを殺したではないか」
「……その通りです」
レオンは、迷いなく頭を下げた。
その姿に、村人たちは言葉を失う。
「俺は、魔族を“悪”だと教えられてきた。だが、魔王の最期の言葉と、王国の記録庫に残されていた痕跡が、すべてを疑わせた。……あなたたちが、どう生きてきたのかを知りたい」
老人──この村の長である「ザグン」は、長い沈黙のあと、レオンを村へと招き入れた。
◆ ◆ ◆
村には、老人も子どももいた。
だがその表情には、どこか共通の“疲労”と“諦め”があった。
レオンとセリアは、焚き火を囲みながら、村の過去を聞いた。
「百年前……最初に人間と魔族が戦ったときは、我らの側にも問題はあった。だが、二度目の戦いは違った」
ザグンの声は、静かに震えていた。
「魔王ヴァルザグ様は、王国に“対話”を申し出た。
王国の重臣の一部とは和平案まで整えていた。
だが──それを打ち砕いたのは、“王の野望”だった」
王国軍は突如、交渉使者を処刑し、魔族領へと侵攻を始めた。
「ヴァルザグ様は、怒りよりも悲しみに沈んだ。
“もう二度と、人間と分かり合うことはできないのか”と……」
レオンはその話を聞きながら、拳を握りしめていた。
自分が倒した男──魔王ヴァルザグは、“世界征服”など望んでいなかった。
彼が率いていたのは、攻めるための軍ではなく、守るための防衛線だった。
「それでもなお……王国は、我らを“悪”として語り続けた」
◆ ◆ ◆
その夜、レオンは村の文庫でひとつの書簡を見つける。
それは、かつて和平交渉を担当していた人間の将官が、密かに魔王に宛てて残したものだった。
《陛下は“敵が存在すること”を望んでいる》
《魔族との和平は、王国にとって“危険な兆し”とみなされた》
《交渉が進めば、軍の縮小、貴族の不満、王の求心力低下に繋がる》
《よって、この和平案は破棄せざるを得ない》
文章は最後で、こう結ばれていた。
《私は、あなたを信じていた。……人間として、生きる資格があるのなら、どうかこれを誰かに届けてくれ》
「……こんなものが……」
レオンの手は震えていた。
それはまさに、“語られなかった歴史”だった。
◆ ◆ ◆
夜も更け、レオンは村の外れで星を見上げていた。
ふと、足元に気配を感じる。
「……ミル」
現れたのは、村で出会った魔族の少女。
年のころは10歳ほどだろうか。白銀の髪に紅い瞳を持ち、いつも怯えたような顔をしている。
「ねえ……勇者って、悪い人なの?」
その言葉に、レオンは答えられなかった。
魔王を倒した“英雄”として、ミルの父親を殺したのが自分かもしれない。
彼女が守ろうとしている家族や友だちを、“国の命令”で焼いたのかもしれない。
「……俺は、勇者だった。だけど、それは間違っていたのかもしれない」
「じゃあ、今は?」
レオンはしばらく黙り、そして言った。
「今は、“レオン”っていう、ただの旅人だ」
ミルはそれを聞いて、少し笑った。
「そっちのほうが、やさしそう」
◆ ◆ ◆
その笑顔に、レオンは確かに“救われた”。
自分が殺したもの、自分が壊してしまったもの、それはもう戻らない。
だが、“これから守るべき命”は、目の前にある。
──この剣はもう、国のためには振るわない。
──誰かの命を奪うためではなく、守るために振るう。
レオンは、そう心に誓った。
この村に眠っていたのは、ただの魔族ではなかった。
“語られなかった声”であり、“塗りつぶされた歴史”だった。
それは勇者にとって、旅の終わりではなく──
“新たな正義”を問い直す旅の、始まりだった。






