第3話:王の笑顔、嘘の香り
魔王を倒した英雄として、レオンは栄光の渦中にあった。
だが、その栄光の中心に立つほど、彼の胸には重く濁った疑問が沈殿していった。
自分たちは、本当に“悪”を討ったのか?
“世界を救った”という言葉に、嘘は混じっていなかったか?
あの夜、記録庫で見つけた断片的な文書と、魔王の最期の言葉が、その疑念をかき立て続ける。
◆ ◆ ◆
翌日。
レオンは王の謁見を求めた。
本来、謁見は事前申請が必要だが、“勇者”の名はそれを免除する。
護衛の騎士たちは誰も文句を言わず、レオンを玉座の間へと通した。
玉座の間には、前日と変わらぬ王オルフェス三世が座っていた。
「おお、レオン。我が王国の誇りよ。今日も顔を見せてくれるとは、嬉しい限りだ」
その笑顔は完璧だった。
慈愛と威厳、政治家の狡猾さと“父”としての包容力、そのすべてが巧みに混ざり合っていた。
「陛下。どうしてもお聞きしたいことがございます」
「ふむ。遠慮なく申せ」
「魔族との和平交渉について、記録庫に一部の記録がありました」
王の笑顔が、ほんの僅かにだけ、固まる。
だが次の瞬間には、すぐに柔和な表情に戻っていた。
「……ああ、それは古い話だ。あれは正式な交渉ではなかった。
一部の魔族が、内紛を恐れて我が国に“服従”を申し出た。それを和平と誤解しただけのこと」
「しかし、“先制攻撃”を仕掛けた記録が──」
「勇者よ。歴史とは、真実だけでは成り立たぬ。信じたい形に記され、後世に伝わるものだ。
そなたは“真実”を知って、何を望む?」
その声は柔らかかったが、重く、冷たかった。
「真実を“知らぬまま”世界を救った英雄でありたいか?
それとも、真実を知り、“国に刃を向ける者”となるか?」
沈黙。
王の言葉は明確だった。
“これ以上探るな”という、警告だった。
「私は……」
「案じるな。そなたの功績は不変である。
今宵の式典でも、民はその名を讃えるだろう」
レオンは、王のその“完璧すぎる笑顔”から目をそらした。
その笑顔の奥にあるものを、彼はまだ、見通せていなかった。
◆ ◆ ◆
王宮を出たレオンは、城下町の路地をひとり歩いた。
騒がしい市、露店、祭の準備を進める若者たち──
どの顔も、“平和”を信じて笑っている。
だが、それが“誰かの犠牲”の上に成り立っているとしたら?
彼の視線がとまったのは、一人の老婆が並べる薬草の山だった。
「これは……?」
「おや、勇者様。これは《ネリア草》。傷に効くんだよ。戦の前にゃ兵士たちがよく買っていったもんさ」
「……魔族の村にも、これと同じものがありました」
「へ? ……そんなバカな。魔族と同じ薬草を、あたしらが?」
レオンは何も答えず、その場を後にした。
知らない間に、“敵”と“味方”の区別が、根拠のない色眼鏡だったのではないか。そんな気がしてならなかった。
◆ ◆ ◆
夕刻。
レオンは一人の男を訪ねた。
王国の歴史に名を刻む、かつての“裏切り者”。
名前は、バルド=グレイ。
王国騎士団で副団長まで務めた剣士であり、三年前、魔族と接触を図ったとして処刑命令を受け、逃亡した。
だが、レオンは記録庫で彼の名がいまだ“削除されていない”ことに気づいていた。
完全に消したい記録なら、とっくに抹消していたはず。
それを“残した”ということは──誰かが、わずかな“可能性”を残していたのかもしれない。
王都南区の地下酒場。
元傭兵たちが集うその薄暗い店の奥、レオンはようやく男と出会う。
「……勇者、か。まさか俺に会いに来るとはな」
「あなたが……バルド=グレイ?」
「ああ、そうだ。“王を裏切った騎士”、ってな」
バルドの目は、死んでいなかった。
むしろ、王城で見た誰よりも“生きている目”をしていた。
「俺は、魔族と戦った。人間を守るために、数え切れないほどの血を流した。
だがある時気づいた。“俺が守っていたもの”は、国でも人でもなかった。
ただ、王の支配を広げる“駒”だったってな」
「王は、真実を語らない」
「ああ。“正義の枠”に収まるものだけを、語る。
お前も気づいてるんだろ。お前の剣が、何を斬ったか」
レオンは、言葉を失った。
「お前に問う。──“勇者”として、この国に従うか?
それとも、“ひとりの人間”として、真実に刃を向けるか?」
その問いに、レオンはゆっくりと立ち上がり──こう答えた。
「俺は、“勇者”を捨てます。……この国のためでも、神のためでもない。
“守りたいもの”のために、これからの剣を振るう」
バルドの目が細められた。
「そうか。なら、お前に渡す。……“真実の地図”だ」
バルドが差し出したのは、古びた羊皮紙。
そこには、魔族がかつて住んでいた“滅びた村々”の位置と、
誰も知らぬ“隠れ里”の場所が記されていた。
「そこに、まだ“消されていない真実”がある。……選べ、勇者。いや、レオン」
レオンは、それを無言で受け取った。
もはや、自分は“英雄”ではない。
だが、それでも──“本当に守るべきもの”に手を伸ばしたいと思った。
◆ ◆ ◆
王城では、王オルフェスが重臣たちと語り合っていた。
「……勇者が、こちらの意図から外れはじめております」
「放っておけ。あやつに、真実など見通せはせぬ。
だが万が一に備え、監視は続けよ。もし民の前で口を開くようなら──」
王の目が、僅かに細まる。
「その時は、“正義の英雄”から、“国賊”へと作り替えよ」
それが、王国という名の“神の劇場”だった。