第2話:崩れる正義、語られる真実
魔王は倒れた。
そして、勇者は帰還する──“世界を救った英雄”として。
それが、王国の語る物語だった。
城門が見えたとき、すでに日が落ち始めていた。
黄金色の光が王都の白壁に反射し、眩しいほどに輝いている。
風が旗を揺らし、塔の上ではラッパが鳴る。
そしてその中心へ、レオンたち“勇者一行”が凱旋した。
「……すごい……」
セリアが、小さくつぶやいた。
沿道に人があふれていた。貴族も平民も、子どもも老人も、皆がひとつの声で勇者の名を叫んでいた。
「勇者様だ! 本物のレオン様だ!」
「魔王を討った! 世界を救った英雄だ!」
「おぉ、聖女セリア様も……!」
「剣士ゴルド、賢者カイン、皆無事か……!」
レオンはその声に笑顔を向け、軽く手を上げる。
それが“英雄”としての役割だと、分かっていた。
だが──
(これは……“本当に”俺たちの勝利なんだろうか?)
歓声の奥で、魔王の言葉が脳裏をよぎる。
──「我らが滅びたとて、人の欲は終わらぬ」
その言葉に込められていたのは、憎しみでも呪いでもなかった。
ただの、事実。
人間が持つ“終わりなき欲”への、静かな諦めだった。
◆ ◆ ◆
王宮に着いた勇者たちは、玉座の間へと案内された。
広く、荘厳な空間。
数十本の大理石の柱、緋色の絨毯、黄金の玉座。
そこに立つのは、王国を治めるオルフェス三世。五十を越えた壮年の男だった。
「よくぞ戻ったな、我が勇者たちよ──!」
王は立ち上がり、堂々とした声で言った。
「魔王を討ち果たし、我が王国に、世界に、光をもたらしたその働き──
まさに、歴史に刻まれる偉業である!」
「ありがたきお言葉にございます」
レオンはひざまずき、剣を地に置いた。
だが、その背中は少しだけ強張っていた。
「レオン、そなたには王国騎士団上席を与え、王女の侍従役も任せたいと考えておる。どうだ?」
「……恐れながら、ひとつ──お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「ふむ?」
「なぜ、我々は魔族と戦わなければならなかったのですか?」
その場の空気が、一瞬で張り詰めた。
誰もが言葉を失い、王だけが表情を変えずに笑った。
「なぜ、とは?」
「魔王は、戦いの終わりに言いました。“人間こそが、世界を滅ぼす存在だ”と。
……それが、ただの戯言であるなら、私を納得させてください」
玉座の上で、王の笑みがわずかに消えた。
だが、それも一瞬のことだった。
「……レオン。そなたはまだ若い。敵というのは、己の正義を語るものだ。
だが忘れるな、“勝った者の正義”こそが、この世界に刻まれるのだ」
「…………」
「魔王は滅びた。そなたの手で、正義は果たされたのだ。それ以上の問いは不要だ」
その言葉に、レオンは答えなかった。
ただ、深く礼をし、その場を後にした。
◆ ◆ ◆
その夜。
城の大広間では、勇者一行のための祝賀会が開かれた。
絢爛たる宴。
吟遊詩人が詩を詠い、貴族たちが次々と盃を交わし、舞踏が始まる。
「勇者様、お噂以上の……」
「どれ、王女様と踊ってみては?」
「国の英雄とお話できるとは……」
人々の笑顔、祝福、賛辞。
レオンはそれらに応えつつも、心は別の場所にあった。
──なぜ、あれほどまでに魔王は穏やかだったのか。
──なぜ、自分たちの正義は一切疑われないのか。
(……答えが、欲しい)
レオンは宴を抜け出し、静かに城を後にした。
◆ ◆ ◆
王都の北端にある、王立記録庫──
そこは許可がなければ立ち入れないはずだったが、彼にはそれが許されていた。
“勇者”という肩書きが、すべての鍵を開ける。
「……よくぞいらっしゃいました、勇者殿」
出迎えたのは、老学者ユリウス。
記録庫の管理を任される、元学術院筆頭の老人だった。
「過去の戦争記録を、拝見したい」
「……王の許可は?」
「ありません。ですが、“知るべき時”だと、私は思っています」
ユリウスは、しばらくレオンの目を見つめたのち、静かに鍵束を手に取った。
「……あなたのような目を、私は昔──もうひとりだけ、見たことがあります」
◆ ◆ ◆
記録庫の奥、古びた書架の隙間。
レオンは一冊の古文書を見つける。
《第一魔族戦争 記録抄》──
その表紙には、数か所に修正の跡。中身はひどく乱雑だった。
肝心な年代の記述が破られ、数ページごとに“黒塗り”が施されていた。
そして、巻末近くに──異なる筆跡で書かれた一文を見つける。
《初代魔王、和平を申し入れるも拒絶》
《王国軍、先制攻撃により南方集落を焼討》
《これ以降の記録、上位決裁により抹消》
「……っ」
レオンの喉が鳴る。
この記録が真実ならば──自分が信じていた“物語”は、すべて嘘だった。
(……俺は、“悪”を討ったんじゃない)
(“口をつぐませられた者”を、斬ったのか……?)
◆ ◆ ◆
深夜、記録庫を後にしたレオンは、城門近くの路地で一人の少女とすれ違う。
その瞳に、自分と同じ“迷い”が浮かんでいた。
……この国は、何を守り、何を壊してきたのか。
……勇者とは、誰のために存在するのか。
レオンの旅は終わっていない。
むしろ、これから始まる。
それは、“正義を問う旅”。
それは、“真実に剣を向ける旅”。
勇者、世界を滅ぼしに行く。
その言葉は、もはや“比喩”ではなかった。