第一話:勇者、魔王を討つ。
世界を救う──
その言葉を、レオンは何百回と聞いて育ってきた。
光の神に選ばれし子。
神託によって発見された“運命の少年”。
そして、王国が掲げた希望の象徴──勇者。
だがその旅路の果てに、彼は思い知ることになる。
自分が斬ったものは、本当に“悪”だったのか?
そして、自分が守ったものは──本当に“正義”だったのか?
◆ ◆ ◆
魔王城の最上層──
重く冷たい空気が、勇者一行を包んでいた。
黒曜石で組まれた柱、赤く脈打つ魔力の壁。
床にはいくつもの魔法陣と、破壊された装飾品が転がっている。
さながら、この部屋そのものが生きているかのようだった。
「気をつけて。魔王の気配がすぐそこにある」
聖女セリアが、銀の杖を胸元で構えながら呟く。
その言葉に応えるように、重厚な扉がひとりでに軋んだ。
──ガギィィ……ィ……
闇の奥。
王座らしき場所に、巨大な黒い影があった。
「……よくここまで辿り着いたな、人間の勇者よ」
響き渡る低音。
部屋の空気が、一瞬で変わった。
そこにいたのは、鋼のような肉体と漆黒の翼をもつ男──魔王ヴァルザグ。
燃える双眸で、レオンたちを見下ろしていた。
「ここで終わらせる。……覚悟しろ、魔王!」
レオンが前へ出た。
背には聖剣。聖なる光を帯びた刃が、緊張に震えている。
「くるぞ!」
仲間たちが一斉に構えを取った瞬間──戦いが始まった。
◆ ◆ ◆
──轟音。
──爆裂する魔法。
──きらめく刃と、うねる雷光。
レオンは魔王の巨体を相手に、何十合も剣を交えた。
魔王の一撃は山をも砕く威力があり、直撃すれば即死。
だが、その隙を縫って仲間の魔法や補助が次々と重なっていく。
「聖なる盾!」
セリアが詠唱と同時に魔法陣を展開し、レオンを光の壁で包む。
魔王の漆黒の爪がそれを砕こうとするが──間一髪、レオンのカウンターが決まった。
──ズバァッ!
剣が魔王の左肩を切り裂いた。
黒い血が飛び散り、魔王が後退する。
「貴様ら……その剣……やはり、神の造りしものか……!」
だが、それでも魔王は倒れなかった。
叫ぶように魔力を凝縮し、最後の大技を放とうとする。
「これで終わりだァァアアアアッ!!」
紫電をまとった魔王の拳が振り上げられる。
その瞬間、セリアの祈りが最高潮に達した。
「──今です、レオン!」
「はぁぁああああああああっ!!」
聖剣が光を放ち、魔王の胸を真正面から貫いた。
◆ ◆ ◆
──静寂。
その巨体が、音もなく膝をつく。
呼吸は止まり、血が口元を伝い落ちる。
だが、魔王はまだレオンを見ていた。
「……見事、だった」
「……これで、終わりだ」
そう言いかけたレオンに、魔王が苦笑を向ける。
「終わり……? ふ……違う……これが、始まりだよ……勇者」
「……なに?」
「お前は、“知らない”のだな……自分が、何を守り……何を壊したのかを……」
「……!」
その瞬間、レオンの心に“わずかな揺らぎ”が生まれた。
「人間の王は……すべてを欲している。魔族だけではない……竜族も、精霊も、そして……人間すらも……」
「な、にを……」
「我らが滅ぼされたとて……人の欲望は終わらぬ……それどころか、いよいよ始まるだろうさ……真の地獄が……」
ヴァルザグの瞳には、恐れではなく“諦め”が宿っていた。
彼は、死を拒んでいない。むしろ、“伝えるために死を受け入れていた”。
そして──そのまま、崩れるように倒れ、静かに、灰となって消えていった。
◆ ◆ ◆
「やったぞォォォォ!!」
仲間のカインが叫んだ。
セリアが静かに祈りを捧げ、ゴルドが魔王の玉座に剣を突き立てた。
だが、レオンだけは──剣を抜いたまま、動けずにいた。
魔王の最後の言葉が、心に深く刺さっていた。
「自分が何を守ったのか」
「本当に正義だったのか」
仲間の歓声、王国の勝利、民の歓喜。
そのすべてが、遠くの出来事のように感じられる。
自分が信じていた“物語”の外に、何かがある。
魔王のまなざしは、それを知っている者の目だった。
「……これで、本当に……よかったのか?」
勇者の問いに、誰も答えることはなかった。
だが、その問いこそが──すべての始まりだった。