2000年、綾香と駆けた青春 補欠繰り上がりのマイルランナー〜あの日、俺は青春を走った〜
広島県立B高等学校。
俺・小方錦龍が当時高校生の時通っていた学校だ。
俺は中学時代陸上部であり、高校も陸上で短距離走を続けることにした。
なぜ陸上を続けようと思ったのか、もはや覚えていない。
ただ、やらないといけない、そんなふうに思ったのだと思う。
その時の俺の実力だが、記録も遅い、ウェイトトレーニングも部内で1番非力。そんな選手だった。
もちろん、公式戦に出ることはできない。
出場できるのは記録会のみであった。
このままでは公式戦にでられないまま1年が終わる!
そう思って焦っていた俺は誰も出場しない110メートルハードルの種目に目をつけた。
同じ陸上部に女子は100メートルハードルの選手が1人いたが(男女混合の陸上部だった)、うちの高校では男子は1人も取り組んでいない競技だったのだ。
1年生時の秋の新人大会―これは、出場資格は1年生と2年生のみというシーズン最後の公式戦だ。
その公式戦に誰がどの種目に出場するかを決める会議が、確か理科室で行われたと記憶している。
なお、この会議に顧問の体育教師は参加していなかった。
おそらく、どの種目に誰が出るかは生徒同士で主体的に決めなさい、という顧問の教育方針の一環だったのであろう。
黒板に書かれた種目名の欄に、2年生の先輩が出場する選手の名前を書いていく。
100メートル走と200メートル走は実力順に2年生の先輩と1年生の同期が選ばれた。
このまま会議が終われば、俺は公式戦にでられないまま高校1年が終わる。
俺は先輩に声をかけた。
「先輩、110メートルハードルに出たいです。」
先輩が「え?」という顔をする。
「でも錦龍、お前トッパー(110メートルハードル走のこと)練習したことなし、未経験だろ?」
「でも、公式戦出たいんです!」
先輩はそれ以上は何も言わずに、110メートルハードルの欄を作り、小方、と名前を書いた。
俺はその日から100メートルハードル走の同じ1年生の女子選手にハードルのイロハを教わりながら練習に取り組んだ。
最初に、ハードルは飛ぶものではなく、またぐものだとその子から教わったことを覚えている。
練習では女子の規定よりさらに低いハードルならまだ何とかなったが、当然付け焼き刃でどうにかなる種目ではない。
当たり前だが、男子のハードルは女子のハードルより高いのだ。
秋の新人戦では最初の二つのハードルしかまたぐことができず、高校1年生初の公式戦はあっけなく終わった。
冬は短距離走の選手にとっては、徹底的に走り込みとウェイトトレーニングをする時期である。
俺はその間にもハードルの練習は続けた。
引き続き2年生になっても100メートル走や200メートル走といった花形種目には出られないと思っていたからだ。
2年生の春がやってきた。
当然下級生も入部してきたが、なんとか下級生の1年生には実力で負けてはいなかった。
そして、この広島地区予選大会という公式戦のメンバーを決める会議の日になった。
100メートルと200メートルに出られる人数は5人。
3年生の先輩は二人。俺達2年生の100メートル、200メートルの選手は俺を含めて3人だった。
下級生には負けていないし、実力的に出られるかも……とそんな淡い思いを抱いていた。
しかし、唐突に投擲種目(円盤投げ)の先輩が俺に声をかけてきた。
「小方!ごめん!俺、短距離に出てみたい!」
俺は一瞬唖然としたことを覚えている。
だが、『良い子』であった俺は
「先輩は最後の大会ですから、譲りますよ」と言ってしまった。
今振り返れば、譲ったことについては後悔している。
そうして記録回を経てまた秋がやってきた。
実はここで、一つ上の先輩方が陸上部を引退をしてから少し変わったことがある。
4✕400メートル走(通称マイル)の仲間たちが広島県内で台頭してきたのだ。
現に、マイル種目における広島県大会での、決勝進出は当然と言ったレベルであった。
レギュラーメンバーの構成は同級生3人と下級生1人だ。
俺ともう1人の下級生は控えだったが、実力順で言えば俺は6番目であった。
つまり、彼らとともに同じメニューの練習はこなすが、大会ではひたすら声を出してマイルを応援する側だ。
これはこれで面白かった思い出がある。
現に彼らは強かったし、別に悔しさも感じていなかった。
それはなぜか―
本音では俺は400メートル走には出場したくなかった。
400メートル走は無呼吸運動の限界と言われている。
特に最後の100メートルは地獄であった。
……どれだけ地獄なのかは、後で語ろう。
さて、そんな時期に迎えた秋の新人大会だが、その当時の俺は実力で100メートル走と200メートル走に出場できた。
試合前のコンディション調整など、110メートルハードルの試合経験が生きた。
「小方のレース前の集中力、コンディション調整はよく考えられていた。
今まで出たかった種目に小方は出られなかったが、それでもハードルという種目で培った経験が生きとった。皆も見習わんといけんよ。」
大会では個人新記録も出し、そして大会後には部員全員の前で顧問から調整方法について褒められたことは嬉しかった。
冬では2つ、俺の中で変化点があった。
まず1つは、練習するごとに実力が伸びていく手応えがあり、より練習に積極的になった。
結果、100メートル走と200メートル走では部内で1,2番を争う実力に成長していた。
2つ目は同じ部内で同級生の彼女ができた。
彼女の名前は綾香。
綾香は砲丸投げの選手であったが、体はとても華奢であり、俺は1年生の頃、『ぶっちゃけ種目間違ってない?』と思いつつも、1年生の頃に1度告白してふられた相手だった。
しかし当時の俺の練習態度と成長具合から俺のことを見直してくれたらしい。
同じ投擲種目の女子が俺に「今は錦龍くんのこと、綾香はみなおしてるよ」と教えてくれた。
今でも思い出す。あれは小雨が降っていた日だった。
俺と綾香は雨に濡れていた。
そんな状況で、俺はその言葉を聞いた翌日には2度目の告白をしていた。
俺の告白に、綾香は静かに首を縦に振ってくれた。
この告白は、大人ではできないな、と今では思う。
春の広島地区予選がやって来た。
高校3年生の大会である。
個人種目である100メートルと200メートル走。
1年生の頃は俺より実力が上だった同級生が地区予選で敗れ、俺は県大会出場を決めていた。
その同級生は広島スタジアムの階段の隅で泣いていた。
1年生の頃からは逆転した力関係。
だが俺は知っている。
2年生の秋から怪我に苦しんでいたことを。
その同級生は泣きながら俺に「おめでとう」と言ってくれたが、俺に返す言葉などなかったことを鮮明に覚えている。
そして忘れもしない、2000年5月26〜28日。
広島スタジアムにて広島県高等学校総合体育会が行われた。
100メートル走では不本意な記録で予選敗退となった。
しかし、200メートル走では22秒86となり、準決勝出場選手としては10位であった。
決勝進出は8位までなので、あと一歩のところで決勝進出を逃した結果とはなったが、その200メートル走は俺の中で納得のいく走りであった。
だから今でもその記録に悔いはない。
そして、俺は一応補欠であったマイルリレーのメンバーは堂々たる走りで中国地方大会出場を決めた。
俺はスタンドから堂々とスタジアムを走る彼らを誇りに見えた。
そうして、県大会は終わり、俺は綾香と手を繋いで広島スタジアムを後にした。
―これで俺の競技人生は一区切り。大学受験に専念しよう―
そう思っていた矢先、ある事件が起きた。
まず、広島県大会を終え、中国地方大会に向け練習をしていた後輩が練習中にケガをした。
当分の間は、走れない、そんな言葉を聞いた。
でもそのときは、序列5位の後輩がいるし、俺には関係ないな、と思っていた。
しかし大会二日前になり、その序列5位の後輩もケガをした。
しかもその理由が、風呂で鏡に向かって蹴りを入れたらしい。
その後輩は松葉杖をついて、「やっちゃいました」と言っていた。
俺は恐怖に震えた。
え?それってつまり、俺が中国地方大会のマイルリレーにでなきゃならないの?と。
メンバーは俺を含め全員3年生となった。
しかも控えメンバーは無し。
スタジアムへの出発の直前、顧問が声を掛ける。
「では、皆の前で抱負を言ってもらう」
経験豊富なメンバーたちはそれはもう、立派な目標を言っていた……ような記憶がある。
しかし俺は、代打で急にメンバーに入った身。
だいそれた目標はない。
「ご………51秒台で走ります……」と、顧問、綾香、同級生と下級生の前で目が泳ぎながら宣言したことを今でも覚えている。
中国地方大会は2000年6月16〜18日に島根県で行われた。
出場校は当然、中国地方の強豪校ばかりである。
16日はマイル競技はなかったので、自分には関係のない投擲種目などの他の種目をぼーっと見ていたことを覚えている。
隣で綾香は男子ハンマー投げを見て、「え?あの選手すごい!」と驚いていたが、オレの心中は穏やかではなかった。
(あぁ、綾香。俺は今それどころじゃないんだよ。明日は地獄のマイルが待っている……。)
もちろん、そんなことは言葉には出さなかったが。
俺はついむしゃくしゃして、持ってきていたヘアワックスで髪を逆立てた。
その髪型に顧問は気づき、「おい錦龍、その髪は何なんよ?」と軽く怒られた。
今でも何をしてたんだろう、と、思わないことはないが、当時の俺はそういうことでしか翌日の不安を消すことはできなかった。
そしてついに翌日が来た。
試合前に顧問は足のマッサージをしてくれた。
その時、顧問の知り合いらしい初老の男性が顧問に声をかけた。
「今年はB校、マイルにも出るんじゃね。」
「そうなんですよ。でも、今足をマッサージしてるこの子、100メートルはそこそこ速いんですけど、400が苦手でして……」
すると、その男性は俺に向けてこのようにアドバイスをしてくれた。
「ええか?最初の200はリラックスして走る。つぎの300までは全力で走る。残り100は根性じゃ」
その瞬間、何かが吹っ切れた気がした。
俺は3走としてハチマキを頭に巻き付け、レーンに立った。
どうせ周りの選手は俺より速くて経験のある選手ばかりである。
最初から勝てるとは思わなかった。
ならば……
その時、2走の仲間がバトンを持って走ってきた。順位はだいたい3位から4位くらい。
―最初の200はリラックスして走る―
でも、後続には決して抜かれないように!
俺は力を入れすぎず。しかし3位で走る高校の選手の背中から距離を離されないように走った。
続いての300メートルは全力!
無我夢中で走る。
だが残り100メートルとなった時、異変が起きた。
まず、スタンドから湧き上がっている声援が一切聞こえなくなった。
次に、視界がカラーからモノクロに変わった。
世界が無音の白黒の世界に変わる。
そして次に、視界がグニャリ、と曲がった。
だがその先には、アンカーの仲間が待ち構えている。
俺は無我夢中でバトンをアンカーに渡し、レーンから弾き飛んだようにスタジアムの、レーンからほどよく離れた場所で倒れ込んだ。
綾香がジャージを持って俺に駆け寄る。
「錦龍!大丈夫?」
綾香は声をかけてくれたが、その声に応えられない。
体中が痛い。呼吸ができない。
俺は綾香にジャージを被せられた状態で、綾香に質問をした。
「み……皆は?」
「いける!錦龍、予選突破できるよ!」
結果は3分24秒66。
B高校の歴代記録では6位。手動記録から機械記録に移行してからは歴代1位となる記録であった。
高校を卒業して、俺は仲間たちとも綾香とも疎遠になった。
だが、今でも実家には当時の俺がマイルを走っている写真が残っている。
確かに、あの日、綾香、仲間、顧問の先生と過ごした2000年の青春は存在したのだ。
この輝きは今でも色褪せることはない。