~惜別の丘と未来への決意~
部屋から出ようとした矢先、そこにはヨセフカを慕う一人の女性が立っていた
部屋から歩を進め、止まっていた日常を再始動させた彼女は、これからも自身が進み続け得るため、失われた思い出との惜別を決意するのだった
暖かく私を抱擁してくれていたメリッサは酷く泣いていて、涙でぐしゃぐしゃになった顔で彼女は私へ言った。
「本当に…………本当に良かった。お医者様は、もう元には戻らないかもと言っていて…………アル様やアリス様に続いて、あなたまで居なくなったら、私は……………………」
「メリッサ…………………………………………」
心の底から絞り出したかのような声……………………きっと、心臓が張り裂けそうな気持ちで待っていてくれていたのね……………………
彼女の心の軋みに呼応するように、彼女が私を抱きしめる力も強くなっていた。
「お嬢様、あなたには、私や他の者たちが付いております。だからどうか、どうか……………………」
父さんと母さんの死で心が壊れた私が、この先を生きる意志を失っているのではと心配してくれていたのね
「メ、メリッサ?」
「何でございますか?お嬢様」
「ちょ、ちょっと苦しいかな?」
「は!?も、申し訳ございません!嬉しさのあまり、つい……………………」
メリッサ、私の専属侍女であり、生まれた時から私の身辺のお世話をしてくれている。
性格は非常に優しく、おっとりとしている。時々、ドジな一面を見せることもるが、今の私にとっては必要不可欠な特別な人の一人だ。
「メリッサにもそうだけど、他の皆にも本当に心配をかけてしまったわね…………」
「と、とんでもございません!お嬢様がお元気であれば、我々はそれ以上を望みません!」
「ねぇメリッサ、少し屋敷の中を歩きたいわ。久しぶりに皆の顔が見たいの」
「かしこまりました、すぐにお着替えのご準備いたします!」
そう言うとメリッサは、慣れた手つきで部屋のクローゼットから服を選び、すぐさま私を着替えさせてくれた。その動きはまさに熟達していて、準備すると言ってから着替えが終わるまでに、恐らく5分もかかっていない。
しかも、その仕草はとても自然で、着替えを受けている中での不快感は一切なく、安心感すら覚えるほどだった。
流石に、私がオムツを履いていた時からお世話をしていただけあるわね…………
その後は、メリッサと一緒に屋敷の中を歩いて、皆との顔合わせをした。
泣き崩れる人、全力で抱擁してくる人、優しく微笑みかけてくれる人、いろんなリアクションを見せてくれる人がいたけれど、誰一人として、私との再会を喜ばない人はいなかった
前世でも全く経験がないほどに多くの人から必要とされ、慕われる
人から必要とされるって、こんなにも嬉しいものなのね…………
「メリッサ、少し外を歩いても良いかしら?久しぶりに”あそこ”に行きたいの」
「お嬢様、それは…………」
「…………お願いよメリッサ、今の私にはそれが必要なの…………」
一瞬、躊躇するような顔を浮かべながらも、懸念を振り払うかのように彼女は言った
「…………かしこまりました、今日は少し冷えますので、上着を1枚お持ちいたしますね」
「ありがとうメリッサ」
メリッサに上着を持って来てもらった私は、屋敷から出て少し南へ歩いた。外は少し冷え込んでいたが、草原の草花にはつぼみを付けているものあり、気候からしておよそ3月の中旬あたりかもしれない
メリッサと一緒に歩き始めてから十数分が経ち、ようやく目的地に到達した。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
屋敷から南へ少し歩くと、そこには小さな丘がある。
そこは、かつての私がたくさんの思い出を育んだ場所だった。
父さんと母さんと一緒に来たり、使用人の皆と遊びに来たり、外での大切な思い出には、必ずこの場所があった。
頂上には1本の木が生えており、今はその葉を落としてしまっているが、春が訪れて温かくなると、白い花をつける。私はよく、その花を皆と一緒に見に来ていた。
「メリッサ、ここからは一人で行かせてくれる?」
「…………よろしいのですか?」
「…………別れは悲しく、辛いものよ。でもね、私は前に進みたい。そのためには、これは必要なことなのよ」
「かしこまりました…………必要な時はお呼びください、丘の下で控えております」
「…………ありがとう」
一歩ずつ、丘の頂上を目指して歩を進める。
そこまで高く険しい丘というわけでもないのに、一歩が重く、頂上までの道のりが遠く感じるのはなぜだろうか?
思い出が溢れてくる。既に過ぎ去り、二度と戻れない過去の出来事たち……………………
私は前にも、祖母のお葬式でこのような気分を味わったことがある。
だからこそ実感する、今のこの一歩は必要なものだ。
なぜなら、戻れない思い出との惜別は、これからも前に進むために必要なことであり、そしてなによりも、既にここには居ない者たちを安心して送り出すための行為だから……………………
別れへの思いを堪えつつ、丘の頂上まで辿り着いた私は、頂上の木に左手を添えた。
「父さん、母さん、二人がいないのは寂しいわ。もう、二人と一緒にここに来れないことがとても辛い、でもね……………………」
内から押し寄せる悲しみと涙を堪えながら、私は言った
「私、ちゃんと頑張ることにしたの。前とは少し変わっちゃったけど、私は私よ。もう何も諦めないし、逃げたりもしない。しっかりと幸せを見つけて、それを守り抜いてみせる」
目を閉じ、気に向かって最後の言葉を投げかける
「私は大丈夫。だから、安心して眠ってね…………」
最後の別れを済ませ、少し余韻に浸っていると、後ろからメリッサの声がした。どうやら、急いでこちらに走ってきているようだ
「お、お嬢様!」
血相を変えて走ってきたメリッサに私は言った
「ど、どうしたのメリッサ!?」
「お、お嬢様!いつの間に魔力に目覚めていらしたんですか!?使うなら使うと言ってくれなくては!」
「え?」
メリッサに言われてから改めて自分の状態を確認した私は驚愕した。私の全身から、青白く光る湯気のようなもの立ち上がっていたのだ
いや、それだけではない。体の方も、妙に熱っぽく感じる。外は冷え込んでいるというのに、上に羽織っている上着を脱いで丁度良いと感じるほどだった。
「これは何?」
「まさか無意識でこれを!?」
メリッサは唖然としていた。さっきから、全く状況が呑み込めない
フィーから魔法や魔力の存在は知らされていたが、別に今使おうだなんて微塵も思っていなかった
暴走しているにしては自然に感じられるこの現象に、私はただただ困惑することしかできなかった
「お嬢様、魔力を始めて解放した者は本来、乱雑に魔力が漏れ出てしまい、体に大きな負荷が掛かってしまうものなのです。今のお嬢様のように、まるで呼吸するかのように魔力を安定させることは、熟達した魔法使いでも苦労することなのです!?」
メリッサの反応からして、今の私の状態は偉業に近いことらしい
魔力を安定して放出している。別に苦しさのようなものは感じない
むしろ、少し運動をして、体が良い感じに温まってきた時のような心地よささえ感じているほどだ
(流石は英雄から生まれたサラブレットだね。何も言わずとも、魔力の知覚と放出が出来てしまうなんて)
(フィー?)
今度のフィーからの呼びかけは、私の中から声がしたように感じた。
今までの呼びかけ方がスピーカーからのものだとしたら、これはイヤホンを付けているときのような音の聞こえ方のように感じる
(凄い、思っただけで簡単に会話できるわ!この世界って、こんな魔法まであるのね!)
(僕と君は魂で繋がっているからね。言うなればこれは、魔法にょる有線通信のようなものさ!)
(と、ところでフィー?)
初めての体験に心が躍りはしたが、今の自分の状態は安全なのかを考えると、少し背筋が冷えるような感覚に襲われた
安定しているとはいえ、自身のエネルギーが止めどなく体外へ放出されるのって大丈夫なのかしら?
そう考えた私は、すぐさまフィーに助言を仰ぐことにした
(何だい?)
(魔力の知覚が出来たのは良いんだけど、この状態からどうすれば良いのかしら?)
(それもそうだね。いくら安定しいるとはいえ、ずっとそのままだと疲れるし、なにより目立ちすぎる)
一呼吸置いた後に、フィーは細かな魔力操作についての説明を始めた
(まず、解放した魔力を鎮静化させるには、心を落ち着ける必要がある。ランニングを終えた後に一呼吸いれて落ち着くように、体から力を抜きながら息を吐いて、リラックスするんだ)
(分かったわ)
フィーに言われた通り、まずは体から力を抜きながら息を吐き、体をリラックスさせる
イメージとしては、ランニングの後の深呼吸によって、上がってしまった息を落ち着けるような感じで
「ふぅ……………………」
「お嬢様、初めての魔力開放だというのに、何のアドバイスもなしに魔力の鎮静化まで行えるとは。まるで、アリス様が目の前にいるようでございます……………………」
目の前で涙ぐむメリッサをわき目に、私は自身の魔力鎮静化のチェックを行っていた
(しっかりと収まっているわね。さっきまでの内から力が湧き上がってくるような感覚も無いし)
(初めてとは思えない手際だね。今回とは逆に、魔力を開放する時は、強い意志を持って目標に挑む自身をイメージするんだ。魔力の細かな操作の肝は、自身のイメージ力の強さだからね)
(なるほどね。これからは”解放する魔力量の調整”と”解放と鎮静化の切り替えをもっとスムーズにする”必要がありそうね)
(何も言われずにそこに気付くとは、中々の慧眼だね!)
(戦闘経験とかはゼロだけど、何をすれば良いかが何となく感覚で分かるの。これって”この子”に宿っていた才能?)
(おそらくは、ハーフエルフ譲りの魔力適正の高さからだね)
(母さん譲りってことね……………………)
「ふぅ、流石に少し疲れたわね」
「初めてとは思えない洗練さです!在りし日のアリス様を見ているようでした!」
「母さんみたいか………………なんだか、ちょっと嬉しいわね」
「お嬢様、今日のところは屋敷に戻りましょう。洗練されていたとはいえ、初めての魔力開放です。多少なりとも疲労は溜まっているはずです」
「魔力のことは想定外だったけど、ここでやりたかったことは終わったわ。今日のところは家に戻りましょう」
「かしこまりました。帰り次第、湯浴みの準備をいたしますね」
「ありがとうメリッサ、今日はなんだか、いつもより気持ちよく寝れそうよ」
惜別を終え、これから身に着けるべき力の輪郭を知った私は、メリッサと共に屋敷へと戻った
転生を経て、再び歩を進めだした私は、もう純粋な”ヨセフカ・ワーウォルフ”でない。二つの異なる魂の混ざりもの、傲慢にも自身の幸せへの執着を諦められなかった歪な魂と言ってもいい
だが、たとえ歪で、純粋な存在ではなかったとしても、私はもう止まるわけにはいかない
”幸せを掴み、守り抜く”
後悔が無いかと言われれば嘘になる。私は大切な思い出が風化していくことも受け入れた。これはもしかしたら、あの2人への裏切りになるかもしれない。
それでも、諦めずに済む選択肢を提示された私は、それを拒むことが出来なかった
裏切りであろうとも、傲慢であろうとも、私は諦められない
あの日、お腹を痛めて生んだあの子の顔を見て、私が心の中で思い描いた幸せの形
私は、今度こそ”あれ”が欲しいのだ。手に入ると心が躍ったすぐ後に、雪崩のように手から零れ落ちていった”あの夢”が……………………
どんな力であっても身に着けてみせるし、どんな困難で乗り越えてみせる
これは、私が”あの夢”にたどり着くまでの物語なのだから
思い出の丘での惜別を終え、魔力とそれによる魔法の一端を知ったヨセフカ。彼女の人生は、ここから大きく動き出すこととなる
自身の決断に内包された負の側面を自覚しつつも、自身の野心を捨てられない彼女の思いは、彼女に何をもたらすのか?
そして、同じ世界を生きる人々に対しては何をもたらすのか?
枷が外され、自身の欲望を捨てる必要のなくなった人の魂がどこへ至るのか。その結末は、まだ誰にも分らない。もちろん、管理者たる神さえも……………………