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サダメ

作者: 久世

《カランコロン》


「あら、いらっしゃい。久しぶりね」


 ここはなんども通った新宿歌舞伎町、ゴールデン街にある小さなバー。にっこりとした笑顔で迎えてくれる。いつものママです。

「たまたま仕事で近くに寄ったんです。ママ、元気にしてましたか?」

「ずっと、待ってたのよ」

 そういうと、ママは僕の顔をまじまじと、そして懐かしそうに見つめました。

 「元気は元気だけど、このご時世でしょう。最近、めっきり客足が遠のいちゃって困ってるのよ。あなたも、あれ以来すっかり顔を見せないんだもの。心配してたのよ。でも、元気そうでよかったわ。親の心子知らずっていうけど、そんな感じね」

 未曾有の経済恐慌が起こり、そういった影響を直に受けやすい個人経営の飲食店は、大変な苦労をしているはずです。日本最大の歓楽街である歌舞伎町でさえも、以前よりもずっと閑散としていました。どのお店も同じような状況だと思うのですが、ずっとお世話になっていたお店を少しでも応援したいと思い足を運んでみたのです。自分のお財布も財政的に良くない状況だったので、久しぶりになってしまったのだけど、以前は毎週末のように訪れていました。とりあえずママが相変わらず元気にしていて良かった。


 ここは、いつ来ても居心地の良い場所です。この空間とママの存在がなければ、僕の社会人生活の序盤がどうなっていたか、今となっては想像もできません。

「そちらこそ、最近はどうなんですか? どんな仕事も今の状況じゃあ大変でしょう?」

「そうですね。以前よりは渋い感じですけど、とはいえなんとかやれていますよ」

「それなら良かったですね。最近お見えにならないから心配していたんですよ」

 そのまましばらくは適当な雑談をしたり、店内にあるテレビにちゃちゃを入れあったりして、いつもどおりの感じで、少しだけ時間が進みました。

「そういえば、ママ。先日の花園神社の酉の市、行きました?」

 花園神社とは、確か関ケ原の合戦があった千六百年よりも前から、今の新宿にあった総鎮守みたいなものです。酉の市は、今も、毎年十一月に三回ほど、商売繁盛を祈念するイベントとして行われています。毎年、お客様に前の年よりも大きな熊手を買ってもらうことで、さらに商売が飛躍するといった話もあるようで、僕も過去に何度か熊手購入資金を出したことがあります。

「行ったけど自分で熊手買っちゃったわよ。だあれも来ないんだもの。花園もさすがに例年よりも閑散としてたわよ。それよりさ、その『ママ』って呼ぶのやめてくださいよ。ノゾミさん、とかでいいんだから」

「でも、ママはママじゃないですか」

「私、あなたみたいな大きな子どもを産んだ覚えはないわよ」

 そんな冗談を交わしながら、穏やかな夜が過ぎていきます。


 しばらく沈黙の時間帯がありました。よくあることでもあります。何時間も居続けるものだから、ずっとおしゃべりが続くわけでもなく、また無理に会話を続けなければと気を遣い合う間柄でもなくって。相変わらず静かで落ち着いた店内では、ママの洗い物の音と、深夜のテレビ番組から流れる下品な笑い声、古くてうるさいエアコンの送風音、ウーロンハイに浮かぶ氷がかち合う音が静かに混ざり合っていました。

 そして、それは起こったんです。なんだか誰かに操られたかのように、もしくはそうすることがあらかじめ決められていたかのように、突然、僕は、ママに。

「ママ、僕とお付き合いしていただけませんか」

 他にお客様もおらず、ずっと二人きりだったこともあるのでしょうか。でも、今日のこれまでの流れなどにも全く関係なく、途切れた会話を再びつなぐ第一声として、唐突にそんなことを口走ってしまったのです。もちろん今日の目的が愛の告白だったわけでもありません。なぜだか自然とそうなってしまったんです。しばらく会わないうちに想いが高まってしまっていたのでしょうか……。前から恋心を寄せていたことには間違いはないのですが、自分でも取り返しのつかないことをしたという後悔の念が、一斉に襲ってきます。


 当たり前のように、再び沈黙の時間が流れました。

「なにに付き合えばいいの?」

 ノゾミさんは、少しだけ意地悪な表情に見えました。

「男女としてのお付き合いの話です」

「なに馬鹿なこと言ってるんですか? 笑っちゃいますよ。もしかして、だいぶん飲んでからここへ来たんじゃないの。今日はほどほどにしてくださいね。それで、もう一回だけ言いますけど、ママと呼ぶのはやめてくださいね。ノゾミさんで。それに本当にそれが愛の告白だったとしても、ママなんて呼ばれたりしたら、変な感じになっちゃうじゃないですか。本当、おかしな人」

 そう言いながら少しだけ破顔したようにも見えたのですが、そのまま洗い物を続ける少しだけ歳上のママ、ノゾミさん。

 ノゾミさんのことを想っていたことは事実ですが、なぜこのタイミングだったのか、自分でも分からなかったのです。でも、「ここだ!」と自然とスイッチが入ったように突発的に言葉が飛び出てしまっていたんです。この反応はやはりフラれたのでしょうか。お店でこういった話をするのはタブーだということも、もちろん分かっていたのですが、ここを逃すと二度とその機会は訪れないような気がして。でも、その確信のようなものは、ただの勘違いで、僕はとんでもないミスをおかしてしまったんだと思います。

 先程の告白のようなものはなかったかのように、お互いにそれには触れることなく、いつもとかわりのない他愛もない話に戻り、結局僕は最後まで居たのでした。朝5時、閉店の時間。

「そろそろ閉めますよ」

「はい、分かりました。お会計をお願いします」


 途中何人かの一見さんのお客様が入っては、出て行ったのですが、新宿ゴールデン街って、一杯か二杯程度で切り上げて何軒もはしごをしながら飲み歩くのが普通だったりするので、ひとつのお店にずっと長居する僕のような客は割と少数派だったりします。

 お金を払い、ようやく席を立とうとしました。

「あ、ちょっと待って。明日というか、今日? 仕事とか予定がないのだったら、今からお寿司でも食べに行かない?」

 まさかノゾミさんから誘ってもらえるとは思っていなかったので、少し興奮しつつ、もちろん即答しました。

「帰って寝るだけです。もちろん行きましょう!」

 アフターっていうものでしょうか。店じまいを少しだけ手伝い、二人でそのまま新宿区役所通り沿いにあるお寿司屋さんへ行きました。このお寿司屋さんは、こんな遅い時間にも営業してくださっているので、とてもありがたいんです。そして、意外にもどのネタもすごく美味しい。

「今日は来てくれてほんと助かったわあ。ぜんっぜん誰も来ないんだもの。ホント。これじゃぁお店続けらんないわよ」

 営業を終えたノゾミさんは、いつもより随分とくだけた感じで話していました。

「僕は二人きりでお話できる時間が長かったので嬉しかったですよ。売上は察しますが……」

「いいのよ。随分ご馳走してもらったから、店開けてマイナスなんてことにはなってないないわよ」

 お店で二人きりになることはしょっちゅうあったのですが、ノゾミさんとお店以外でご一緒するというのは初めてのことでした。

「ところでさ、話戻しちゃうけど。さっき言ってたコト、本気?」


 頭が真っ白になりました。すっかり、なかったものとして処理されたように思っていたのです。途端に恥ずかしくなって、飲んで忘れて、今までのようにまた時々顔を出す程度の、いつもの常連客に戻ろうとしていたのですから。それなのに、ノゾミさんの方から話を蒸し返すように、そんな問いかけをしてくるなんて。ふざけているようには見えないし、どう答えてよいのか、なにが正解なのか分からなかったのですが、とにかく正直な気持ちを口にしました。

「僕はもちろん本気です。そうでないと、少しぐらい酔っていたとしても、あんなことを言ったりはしませんよ。なぜあのタイミングだったのか、それは自分でもよくわからず、説明ができないんですが……」

 ノゾミさんは、少しだけなんだか困ったような表情をしているように見えました。それはそうだろうと思います。ただのお客さんだったはず、そうあるべきだった僕が、本当に唐突に想いを伝えてしまったのですから。ノゾミさんにとっても、青天の霹靂だったことでしょう。

「じゃあ付き合おっか。そうなるべきタイミングだったんだよ、やっぱり。前みたいなことにならないようにがんばろ」

 予期せぬ返事に、確実に自分史上最大に困惑していたと思います。「前みたいなこと」それだけがひっかかりました。元カレと何か嫌なことでもあったのでしょうか。よく分からなかったのですが、とにかく頭の整理がつかないまま、寿司屋でのその後の時間はあっという間にすぎてしまいました。何を話したのか全く覚えていないのですが、とりあえずスマートな応対でなかったことだけは確かです。それでも、とにかく僕達は付き合うことになったのです。


 僕は昼の仕事をしていて、ノゾミさんは夜のお仕事。デートをする時間を作るのもなかなか難しかったのですが、僕がお店に行けば、もうそれが二人のデートでもあったりもします。お店でいただいたお酒の代金は、ノゾミさんに還元されるわけだし、一人で、あるいは友達とどこかへ遊びに行くよりも、よっぽど有意義なお金の使い方だなぁなんて思います。お付き合いしていることを内緒にしながら、普通のお客さん風に過ごすことも、他のお客さんたちには申し訳ないのですが、優越感というか、ちょっとだけ、楽しく思っていたことは内緒です。そういう楽しみ方もあるでしょう?

 毎回お店でのデートというのも味気ないですし、たまには二人で外に出かけることもあります。

「そういえば、私たちって東京に住んでるけど、東京スカイツリーって行ったことなくない?」

 東京の観光スポットのトップファイブぐらいには入るんじゃないかなあと思うのですが、確かにスカイツリーには行ったことがありませんでした。実は東京タワーにも行ったことはないのですが。

「確かにないですね。随分昔、建設中に近くを通ったことはありましたけど。展望台とか凄い景色なんでしょうね。今度行ってみましょうか」

 相変わらず、ノゾミさんには敬語で喋ってしまうのです。三つ子の魂なんとやらというか、最初からの関係性はやはり続いてしまうものです。


 そんな話をしてからしばらく経った日曜日、二人で向かいました。壮大にそびえ立つスカイツリー。

「遠くからは何度もみたことあるけど、実際間近に見るとおっきいね」

 スカイツリーも、もちろんすごかったのですが、素の表情で、スカイツリーデートを楽しんでくれているノゾミさんに、僕は終始目を奪われていました。

 チケットを購入し展望台へ登るエレベーターへ。エレベーターの中でもちょっとしたガイドがアナウンスされ、あっという間に上に到着します。

 東京をくまなく見渡せるこの高さは、さすがに圧倒されます。高所恐怖症の僕でも、怖さを忘れて随分と興奮しました。たくさんの人でごった返していたので、あまり立ち止まることなく順路に従ってぐるっと一周して下へ降り、お土産屋さんなどを覗きます。一通り満喫してからソラマチと呼ばれているショッピングモールまで下っていきました。休憩がてらにクレープを食べたりして、少しだけ学生時代の彼女とのデートを思い出してしまいました。

 夜は、予め予約をしておいた浅草の鉄板焼屋さんへ行きました。ここは、とっておきの時にしか来ないお店です。なんといっても、お値段が……。石垣牛のステーキをメインにしていて、とても美味しいのですが、メニューはコースのみで出していただく品数が半端なく多くて、デザートに辿り着く前に、もうふたりともお腹いっぱいでした。でも、こういったデートは本当に久しぶりで、いつも顔をあわせているはずのノゾミさんも、また全く違う表情を見せてくれたりして。

「なんだか全ての幸せが、自分のものになった気がします。ずっと、こんな毎日の繰り返しだったらいいのに」

 そう呟く僕を見て、ノゾミさんは、なぜだか、驚いたような、諦めたような、そんな表情をしていました。


 帰り道、ノゾミさんの様子がおかしく見えました。あたりをキョロキョロと見まわしては、自分自身に何かを言い聞かせるようにうなづいているんです。

「ノゾミさん、どうしたんですか?」

「大丈夫。大丈夫だから。落ち着いて」

 大丈夫だからと言うノゾミさんは、とても大丈夫なようには見えませんでしたし、落ち着いて欲しいのはノゾミさんの方です。

「どうしたんですか。誰か変な人でもいましたか? 誰もついてきたりはしていませんよ。僕はここにいますし」

「そうじゃないの。分かんないんだけど、毎回なのよ。なんなんだろ。本当に、意味分かんない」

「大丈夫。僕たちは、ずっと一緒です。ずっと変わらない、同じ幸せを、ずっとずっと二人で過ごせるはずです」

 そう言いながら、僕はノゾミさんを抱きしめました。ぎゅっと、強く、抱きしめました。

 ノゾミさんは、涙を浮かべていました。

「ずっと……」

 ノゾミさんは、声にならない声で、何かを言ってたように見えました。



《カランコロン》



「あら、いらっしゃい。久しぶりね」

 ここはなんども通った新宿歌舞伎町、ゴールデン街にある小さなバー。少しだけ笑顔で、なぜか、ちょっとだけ悲しそうな面持ちで迎えてくれた。それでも、いつものママです。

「たまたま仕事で近くに寄ったんです。ママ、元気にしてましたか?」

「ずっと待ってたのよ」


 なんでしょうか。ずっと、ここに居続けられるような、ずっとここに居たような、そんな気がします。

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