空の伸び
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
う〜ん、こうして外で身体を伸ばせると、「帰ってきた〜」感がしていいね。
検査入院で数日間、病室から動けないとか、ちょっとしんどいね。結果的になんともなかったし、世の休暇を求める人たちには白い目で見られるかもしれないけれど。
しかし、動く物と書いて動物。人間もその一種である以上、動かない時期は、気は休まっても身体は休まっているとは限らない。
本来、活動するはずの力を持て余し、あるいはがんじがらめに縛られて。そなわっていたはずの力を腐らせ、なくすことすらしてしまうかもしれない。「さび付く」と表現する、それだ。
こうしてのびのび身体を伸ばしたくなるのも、それを回復したく思うことのあらわれかもしれない。それでも相反するものもまた、気づかないうちにそばで横たわっているかもしれないね。
僕が以前に聞いた話なんだけど、耳に入れてみないかい?
僕のいとこが体験したというものだ。
彼の住むところはここから県を3つはまたぐ遠くなんだけど、その地域にはとある言い伝えが残っているらしい。
「長く晴れ渡る空があるなら、遅くまで外にいてはいけない。空もまた身体をおおいに伸ばしたがっているから、その邪魔をしてはならない」と。
妙な話だけど、空もまたいい空気を吸いたく思うときがあるのだとか。
一日たりともサボりを許されず、雲などに隠されていても、その上に在り続けている空の、貴重な休み時間だから。
それを遮ってしまうようなものは、できる限り減らした方がいいのだと。
いとこも小さいころに聞いたこの話の意味を、いまひとつ飲み込めないまま、どんどん大きくなっていった。
晴れの日が多少続く日があっても、それによって機嫌を損ねるようなことが、これまでなかったし、いまひとつ実感が湧かない時間を過ごしていたのだけど。
異変は、その日の午後に起こった。
学校のグラウンドに取り付けられた散水機。首を振るかのようなあの動きに関心を寄せる子は多く、いとこもそのうちの一人だった。
グラウンドに取り付けられているのは二つ。そのうちのひとつが、授業中でがらんと空いている地面へ、扇型の湿り気を広げていく。
左から右へ進むときはゆったりなんだが、右端から左端までは高速で機械が戻っていく。その際に機関銃さながらに打ち出される水塊たちはなんとも魅力的な形を帯びていた。
しかし、その往復が三度めに差し掛かり、いとこもちらちら黒板を見ながらも、そちらへ気をやっていたおり。
ガチャンと大きな音がして、散水機の動きがストップ。自然と、水の盛大な噴出も泊まってしまう。
それだけならまだ「故障かな?」とも思うが、続いたのは地揺れだ。
長くは続かない。重いものが落下したと思う、ほんのわずかながら強烈なもの。教室にいる全員が、思わず座っていた椅子から腰をあげてしまうほどの。
先生も授業の手を止め、グラウンドそばの窓へ寄っていき、ほどなく息を呑む音がいとこにも聞こえてきた。
原因は一目瞭然。
水に湿り、色濃くなった地面がきれいにへこんでいるからだ。
せいぜい数十センチほどの深さだけれど、校舎内から異状をうかがうには十分なかっこう。
授業がすぐさま中止になり、残りはすべて自習。先生方は職員室で、緊急の会議と相成ったようだが、まだ幼さの残るいとこたちの年代では、ただ天国な時間が舞い降りてきた瞬間に過ぎない。
教室中に満ちる歓喜の騒々しさは、再び先生が戻ってくるまで、やむことはなかったとか。
会議直後の教室は、早下校と相成った。
けれどもその際に告げられたのは徒歩10分以上かかる生徒は、親御さんの車「で」できる限り迎えに来てもらうようにと来たから、みんな首を傾げたくもなる。
外は雨どころか、雲も風もない絶好の秋晴れなんだ。その中をけが人でもないのに、車で送ってもらえとは……。
が、理由はいわずとも知れた。
先生があのグラウンドをもう一度、みんなの前で指さしたからだ。
「下手に長居をすれば、ああなる」
そう注意された直後、教室の天井がみしりときしんで、気の小さい何人かはつい上を見やってしまった。
直感するよね、そりゃ。「この校舎さえ、押しつぶされるんじゃないか」と。
いとこは、自力下校可能な範囲内。同じように、近所へ住まう友達と昇降口を出る。
誰ということもなく、駆け足になった。先までの教室での騒がしさとは打って変わり、誰も私語をしない。こうも黙々走って下校するなど、これまで何度あったことか。
――もし、あのへこみが地面や校舎の頑丈さゆえに、あの程度で済んでいたとしたら。人の身体で受けたら、どうなってしまうのか?
想像したくないイメージが、おのずと足を速めさせる。
けれど、横断歩道ばかりは止まらざるを得ない。
この昼間は車通りが多く、この数メートル先を通るのでさえ、命がけの綱渡りだ。「かもしれない」危険のために、大けが確実の選択などとてもできなかった。
それでも、いよいよ車用の信号が黄色を迎え、勢いが緩む。
横断歩道脇のバス停には、ちょうどバスが停まるところだった。おばあさんが一人降りたのみで、乗客は誰も乗っていない。
あとは次の信号の青を待ち、次の停留所へ走るのみ……と思われた。
はっきりと、金属音が響いた。
バスの上部が、目に見えるくらい確実にへこんだ。突然に。
一ヵ所を殴りつけて、陥没させたのとは違う。バス全体が上下から万力にかけられたかのように、縮んだ。
中の運転手さんも、おそらく気づいているだろう。けれども、ヘタにバスを遅れさせるわけにはいかないと見えて、いとこが横断歩道を渡り切る間も、外へ出て確かめるような動きを見せなかったらしい。
家までたどり着いたいとこは、すでに連絡を受けていたと思しき家族に心配される。
ケガなどはなく、体調も悪くなっていない。
けれども、家の柱の一本。小さいころからの身長を測るのに使っているそれは、いとこの身長が数センチ縮んでいることを物語っていたらしい。
空がまた大きく背伸びをしたんだろうと、いとこの祖母は語った。
大の字で広げるかのごときその仕草に、散水機もバスもいとこ自身も、巻き込まれてしまったんだろう、とね