エナミの受難(3)
エナミ・ネストレルはここのところふわふわした気持ちで暮らしている。σ・ルーンを入手し、身に着けはじめて徐々に馴染んできている。ライセンス取得も上手くいき、即ヘーゲル販売店に連絡してスツールリフトを取り寄せてもらっている。
(楽しみ。彼と同じ生活を共有してる感覚)
学校生活も当初懸念したほどのトラブルはない。順調に友達は増えているし、彼女を特別視する気風もない。三千人も生徒がいれば、先日の軍務科の先輩ような出来事もあるが稀といっていいだろう。
(彼? 私、意識してる、ミュウのこと?)
無意識に思い起こした男子の顔に少し驚く。幼い頃に夢見たパートナーとなる異性とは違う。
美男子ではない。顔立ちはどちらかといえば美少女。紳士でもない。粗野で粗暴で荒くれた雰囲気。優しくもあり快活なところだけ夢と変わらないか。
(一般的な理想像とはかけ離れてる。でも、意識してしまう)
とにかく目を惹く。女性はギャップに惹かれるというが、そのギャップが半端ではない。そう考えると自分もそのへんにいる女子と変わりなかったのだと自覚できた。
(まだわからない)
気持ちは揺れ動いている状態。
「クリオったら片付けできないんだから」
なんだか気恥ずかしくなって独り言をこぼす。
弟は一年もしくは半年程度で転々とする暮らしに上手に馴染めなかった。友達もできずにいじけていた時期も少なくない。その分、甘えん坊である。
男の子なら独り立ちしたがる時期なのに、母にも姉であるエナミにも未だに甘えてくる。少し幼いところがあろうか。
「ちょっとゆっくりできるかしら」
その弟は母と出掛けた。買い物に行くと言ったのでしばらくは戻らないだろう。今は珍しく彼女一人で家にいる。
片付けをしていると、普段は家族四人で暮らしている高層集合住宅の部屋が広く感じられた。家事ロボットと一緒に床のものを整理しているとゆったりとした時間が流れる。掃除をロボットにお願いして暖かい飲み物でも準備しようと立ちあがった。
「え!?」
不意に騒音が耳に飛び込んでくる。なにかが通り向こうの似たような建物に衝突すると透明金属窓が砕け散った。黄色く塗色された人型が転がると、腕を突いて立ちあがる。ただし、その人型は身長が20m以上あった。
「ひ!」
突っ込んでくるその影にエナミは息を飲んだ。
◇ ◇ ◇
時は遡る。
その日、ミュッセルは一人クロスファイトドームに向かった。今後はチーム戦一本で行くつもりであったが、ソロの頃に受けたマッチゲームが残っていたのだ。
グレオヌスは手続きがあって管理局ビルに行っている。住居等、諸々の手続きを未成年である彼一人ではできず、オンラインで繋げた両親立会で行うのに出向く必要があるのだそうだ。
「やれやれだぜ」
まるで消化試合だった。相手はおそらくヴァリアントの荒削りなボディを嘗めていたのだろうが、実際に対したのはヴァンダラムである。さんざん文句を言っていたが一蹴して終わらせた。今は帰途にある。
「どうした?」
リフトトレーラーが渋滞に引っ掛かる。車体が巨大なだけに、交通トラブルに遭うとどうしようもない。顔をしかめてため息を吐き、ドライブシートに頭を預けた。
自動運転なので都市交通システムに従うしかない。リフトバイクのような自由度は皆無である。こういうときに不便で仕方がない。
(とはいえ、ヴァンダラムで飛んで帰るわけにもいかねえしよ)
ミュッセルのライセンスは民間仕様である。アームドスキンを都市で自由に動かす権限はない。そんなことをすれば即座に停止されてしまう。
「こいつは長そうだ。せめて晩飯までに帰らせてくれ」
交通事故ではない。車両は都市交通システムが司っていて、車両同士の事故というのは考えにくい。それ以外はというと火災や交通以外の事故である。処理が済むまで缶詰になる。
「手っ取り早く頼むぜ」
ブーゲンベルクリペアまで普通に走れば十数分という距離。一般車両の一部は別ルートへと変更されるにしても、リフトトレーラーのような大型車両に幹線道路以外の迂回路はない。待つしかなかった。
(なんか情報あっかな?)
ニュースチェックをするが進行ルートの事故情報はない。交通システムのページが通行止めを通告しているのみで詳細はなかった。
「暇……」
思わずグレオヌスにでも通信を繋げてみるかと思う。
「そろそろ終わって……、なに!?」
視界に入ったのは黄色く塗色された機体だ。工事用のランドウォーカーかと思ったがどうやら違う。どうみてもアストロウォーカーだった。
(流用機体か)
警務や軍務のアームドスキンへの切り替えに伴うアストロウォーカーの払い下げ機体が民間に大量に流入している。メンテナンスは手間が掛かるが、パワー、動作性ともに優れる人型機械は建築土木工事分野で重宝されていた。
「暴走してやがる」
明らかに尋常な動きではない。車両を蹴散らしつつ進んでいる。パイロットがまともな状態でないのは一目瞭然であった。
「星間保安機構はなにしてやがる。こいつは起きたばっかりかよ」
ミュッセルは逡巡したものの、ドライブパネルのアイコンをタップした。
次回『エナミの受難(4)』 「緊急事態だ。動かすぜ」




