試合前のひととき
昼前のブーゲンベルクリペア。機体格納庫の屋根を支える太い金属支柱が重く低い音を立てる。振動は建屋全体に伝わっていった。
短く速い呼気が続く。軸足がギュルっと床を鳴らし、生まれた螺旋の応力が身体の芯を通り腕へと流れていく。手の平の表面で破壊力へと変換された力は衝撃となってクッション材を叩き、その向こうの支柱を鳴かせた。
「準備はいいかい?」
「おう、戦闘モードに入ったぜ」
グレオヌスに問い掛けられミュッセルは答える。
隅の邪魔にならない支柱にはパンチング用の革張りクッション材が巻かれ、彼の打撃や狼頭の少年の打ち込みのターゲットにされている。お陰で三ヶ月に一度は張替えをしなくてはならない。
「格闘選手としては怪我をしないよね、君は?」
相棒は妙なことを気にする。
「曲がりなりにも金取って見せる競技の選手だぜ。悪い状態でリングに上がるわけにはいかねえじゃん」
「そうだけどさ、普通は強さを求めるあまりに練習に打ち込みすぎてどこか故障してたりするもんじゃなかい?」
「昔はな。でも、ある程度修めてからは身体を痛めつけたりしなくなった。リクモン流の体技は基本的にそうなってる」
怪我であれば現代医療で治らないものはない。骨折でさえ、治癒促進の圧入剤や投薬で一ヶ月以上掛かることはあるまい。無痛治療という選択肢もある。
「お前だってそうだろ?」
戦友を視線で射る。
「死にたくねえから訓練に夢中になっても身体を壊すとこまではいかねえ。そんな状態で出撃すれば命がねえかんな」
「あるいは出撃停止を喰らうな」
「それが嫌だからセーブすんじゃね?」
グレオヌスも「確かに」と応じる。
「勝ちてえから、最高のパフォーマンスを見せてえから必死に練習する。そこまではおかしくねえ。ただ、怪我まで許されんのは恵まれた環境にある場合だけだ。命に関わんねえ状況じゃねえとな」
「まるで戦士の言動だな」
「言ってるじゃん。アームドスキンは兵器なんだから、常に命に関わる状態だってよ」
半分は本気である。整備以外でコクピットに乗り込むときは命を失う可能性がゼロじゃないときだと思っていた。
「さあ、行こうぜ。次の敵が待ってんぞ」
お互いのフィットスキンのバッテリーを交換して歩きだす。
「ああ」
「参りましょう」
「お前も行くのか、マシュリ?」
隣に並んできた絶世の美貌に問う。
「これからはトップチームとの対戦続きです。機体の状態監視と試合中のサポートも行います」
「次はフラワーダンス戦かもしんねえんだぜ? あそこもトップ扱いか?」
「最も注力すべき試合ではありませんか」
「間違いねえ」
敵チームのアームドスキンの高性能化を彼女も警戒しているらしい。身体もそうだが、機体が常に万全な状態でないのをマシュリは嫌う。
(ちっとばかし神経質か。裏でなにか起きてんのかもしんねえな)
若干の気掛かりになる。
「一部、喜ぶやつがいるだけなんだけどよ」
元俳優のリングアナの顔が浮かぶ。
「少しは手を緩めてくれるかもしれないじゃないか」
「あいつが? とんでもねえ。余計に名調子でさえずり始めやがんぜ」
「想像できてしまうな」
チュニセルからランチバスケットをありがたく受け取りリフトトレーラーに乗る。ダナスルが立てる親指に同じく親指を立てて返す。三人はクロスファイトドームに向かった。
「遅ーい」
到着すると、南サイドの待機スペースにはフラワーダンスチームが揃っている。
「こっちかよ。クイーンチームだろうが」
「特例は無し。デオ・ガイステがリミテッドで、うちがAAAなのは変わらないわ」
「変なところでルールに厳しいんだ」
グレオヌスも面白げにしている。彼らの炎星杯五回戦のあと、本日のメインゲームが女王杯・夢の決勝である。同じドーム内にはいるが、待機スペースは逆になると思っていた。
「今がねじれ状態なんだよ。運営もまさかクイーンチームが挑戦者チームよりクラスが低いなんてそうそうないと思ってたんだろ」
想定外の事態にルールを曲げるルールが間に合っていない。
「演出上、問題出そうだから改正されるでしょう。今日もクイーンのフラワーダンスが先に入場するという紹介しづらい状態ですので」
「だよな、ヴィア。なんてことねえ、デオ・ガイステがずっと君臨しすぎておざなりになってた」
「おかしいと思ってるのは僕たちだけじゃないみたいだ」
焦って小走りになっている優男の姿が近づいてくる。リングアナのフレディ・カラビニオが泡を食ってやってきた。
「ああ、マシュリさん、今日もお美しい。お目にかかれて幸運です」
急ブレーキで彼女の前に。
「御用があるのではございませんか?」
「あるのはあるのですが、貴女の前では些事です」
「嘘つくな。さっさと言え」
真剣なのかそうではないのか読めない男にツッコむ。
「実はフラワーダンスの入場があとになりまして、女王杯決勝限定で北サイドが先に入ります」
「やっぱ困ってんじゃん」
「少々混乱してまして、それでお願いします」
チーム責任者のラヴィアーナが「承りました」と応じる。
用は済んだとばかりに、マシュリの前にひざまずきそうなフレディを蹴り戻す。すぐにリングアナ交代だと言っていたのに呑気なものだ。
(クロスファイトの運営も落ち着くにはまだまだ時間掛かんな)
ミュッセルは苦笑いしつつ友人たちに向き直った。
次回『四天王ゾニカル・カスタム(1)』 「メシとスイーツは別腹みたいな例えすんな!」