何気ない時間(2)
顔面に浴びた維持液をシャワーで流してきたミュッセルはもちろん作業ツナギではない。ボトムをトレーニングパンツに着替えていた。
ただ、上半身は裸のまま。真紅の髪も水気を拭いただけで後ろへと撫でつけている。そんな格好の彼がエナミは少し大人に見えたのだ。
(びっくりした。ほんとに男の子でドキドキしちゃう)
筋肉質の上裸が頭から離れない。
「また、そんな格好で」
母親に咎められている。
「いいじゃん。もう夏だ。暑いんだよ」
「余所のお嬢さんが見てるんだからちゃんとしな」
「しゃーねーな」
放られた大きめのタオルが首から掛けられ胸元を覆う。少年は空調機の風で頭を乾かしながら涼んでいた。
後ろ姿を凝視してしまう。筋を刻む背筋が腕を動かすたびにうねっている。腕の筋肉も立派に瘤を作り、触ると硬そうだ。全体に引き締まった身体が見事な逆三角形を形作る。
(あんな腕で抱かれたら溶けちゃいそう)
いけない想像をしてしまう。
「姉ぇ、よだれ」
弟に指摘される。
「ち、違うの。お菓子が美味しすぎて」
「うん、美味しいねー。チュニさん、ありがとう」
「ああ、たんとおあがりな」
(見られた?)
見まわすも誰の視線も受けていない。
気づいていないのか、見て見ぬふりをしてくれているのか。幸せすぎて、はしたないことをしてしまった。気を取り直す。
「おー、俺にも寄越せ」
「行儀が悪いね、この子は」
小気味よい音を立てて焼き菓子を噛み砕くミュッセル。視線を戻すとすでに丸首の半袖シャツを着ていた。
(残念なような、助かったような……)
エナミは微妙な感想を抱く。
「ミュウ、分析結果です」
マシュリが投影パネルを滑らせている。
「んー、目立った劣化はねえな」
「カリウムレセプタイオンの減少が1.72%。影響が出るレベルではありません」
「これで寿命を計算できるほどじゃねえが、公式インフォに維持液性能の一年保証は掲げてもいいか」
販売のほうの話だろう。
「ヘーゲルにデータを流しておきます。あちらでも分析はしている頃合いでしょう」
「駆動実績別のデータまでは持ってねえだろ。あとでヴァン・ブレイズの分も採取して分析かける。ちっとは差が出てるはずだ」
「そうですね」
「個体差の抽出までは無理か。それでも目処くらいにはなる。まだまだn数が少なすぎんだよ」
非常に難しい技術的な話が続く。彼女でもかいつまんだ部分でしか理解が及んでいない。弟は暇をして、グレオヌスに以前行ったことのある珍しい宙域の話をせがんでいた。
「それと、これを」
「なんだ?」
ドリンクタンブラーの吸口に齧りついていた少年が新しいパネルに見入る。そうするとマシュリの形の整った胸元に顔を寄せる格好になる。湧きあがってきた対抗心にエナミも覗き込んだ。
「この場所を憶えておいてください」
ピンが落ちているマップは首都タレス近郊のもの。
「星間管理局がマークしております。局長レベルまで情報が上がっているところをみると例の事件の関連かと思われます」
「お祖母様にまで?」
「マジか。怪物事件だよな?」
声をひそめる。
重要な情報ながら彼女を遠ざけなかったのは関連があるからだったらしい。慌てて目に焼き付ける。
「これ、マグナトラン社じゃねえか」
表示された社名を読む。
「え、なんの企業?」
「一昔前になるが完全反磁性粉体関節で一躍有名になった会社だ。アストロウォーカーなんかは一時期ほぼほぼシェアを独占してたはずだぜ」
「メルケーシンに本社置くくらいだから有名企業だと思ったけど、すごいとこ?」
過去形だった部分が気になる。
「今はアームドスキン流用技術で、でけえ負荷の掛かる大型機械の駆動フレームなんかはグラビッツマルチレイヤー機構に変わってんだろ?」
「わからないけどそうなの?」
「でも、まだ人サイズ以下のロボット関連はこのマグナトラン製が多いんじゃねえかな。あー、これからはそこもイオン駆動機に食われていきそうだな。イオンディスクを直に噛ませりゃ摩耗防止機構なんかあんまり重要じゃなくなっちまう」
難解な話になるが、衰退傾向にある技術を保有している企業なのはエナミにもわかった。危機感を抱いているのは間違いないだろう。
(機械界隈の関連企業だからイオンスリーブの噂は聞いていたはず)
一時期、盛んに流れていたと聞く。
(そんな企業だったらなにをするかしら。国家のバックボーンがあれば働き掛けはできるかもしれないけど、管理局相手ではお世辞にも有効とはいえない。だとしたら、無茶をするかも)
変化に取り残されそうな危機感は色々なものを生んでしまう。データ偽装だったり、誇大広告だったり千差万別。あまり褒められたものではない。
「ヤベぇもんに手ぇ出してねえといいが」
ミュッセルも同じ危惧を抱いている。
「そう願いたいものです。深いところはスタンドアローンで機能しているようですので、わたくしにも潜れませんでした」
「企業だから当然っちゃ当然なんだが邪推したくもなるもんだな。わかった。憶えとく。微妙に居住地エリアに近いとこが腹立つじゃん」
「気掛かりなのはその部分なのです」
(知れたのはいいけど、これをお祖母様に直接尋ねるわけにもいかない。私なりに調べておくくらいかな)
エナミは自分のできることを頭の中に並べた。
次回『奥まる願い(1)』 「しゃべりすぎだ、ばーか」




