全知者の弟子(2)
「ミュッセル・ブーゲンベルク。クロスファイト選手」
「名前までご存知だったんですか?」
メリルは驚いた。
「調べたのよ」
「そこまで?」
「だって、惑星規模破壊兵器システムどころかアンチVまで使わずヴァラージを倒したっていうんだもの」
ジュリアは愉快そうにくつくつと笑う。
「最終的にはアンチVを使いました。正確にはアンチVランチャーも使っていなかった、です」
「それにしても、あの怪物の前に丸腰同然で飛びだす度胸は生半可ではないわ」
「無謀なだけでは?」
言いながらも自ら否定する。少年は大口は叩くが実行もしてきた。強さと勝利には非常に貪欲である。
「どういう子なんだか調べようとしたのよ。そうしたらマチュアが教えてくれたわ。彼の後ろにはマシュリがいる。姉に当たる姉妹機が、ね」
肩をすくめている。
「協定者だったんですか?」
「そう。あたしの知らないうちにメルケーシンの守りは固められていた。彼らが現状の変更を望んでいない証拠だわ」
「メルケーシンの守り……」
話は難しくなる。
「手出しすべきではないんでしょうか?」
「別に。好きになさい。ただの試合でしょ? 誰が勝とうが体制は変わらない。その程度で彼らの思惑なんて揺るぎもしない」
「ですよね」
直に接してきたメリルは知っている。ゼムナの遺志の思慮深さを。それを継承したジュネが人間として完成品に育ったことを。
「吠え面かかせてやります。侮るなかれ。たった一人の人間でも、あなたの弟子は協定者を打ち破ることもできるんだと証明してやります」
気合を入れ直す。
「その意気よ」
「見ててください」
「ええ、楽しませてもらうわ。一時は案件放りだしてジノとタレスに急行しないといけないかと思ったのが不要になったんだもの。少し余裕ある」
「メリル・トキシモ、あなたの期待に応えます」
メリルは師匠である人物に胸を張って答えた。
◇ ◇ ◇
ウィーゲン・オルトラムが集合場所に着くと、カフェの一席に優雅に腰掛ける女生徒の姿。まるで芸術を嗜むように投影パネルに指を這わせていた。
(戦術を編んでおられるか)
ときに戦場を熟知した女戦士のように豪快にタンブラーをあおっているかと思えば、こうして繊細な指使いでカップを傾けていることもある。常に泰然と世の中を見通しているかのような立ち姿はいつ見ても美しい。
誰も寄せ付けない、ステージが一つ上であると思わせる彼女が珍事を起こした。それにより、手を伸ばしたくとも伸ばせなかったウィーゲンのような男もその女生徒に近づくのを許されている。
「まいりました、軍務科の女神よ」
そっと声を掛ける。
「いらっしゃい、ウィーゲン。準備は大丈夫?」
「万全です。この日が待ち遠しくて自分を抑えるのが大変でしたが」
「そんなにかしこまらなくてもいいのに」
女生徒の微笑が深まる。
「とんでもありません。せっかくの名誉の機会、礼を失して逃してなるものですか」
「名誉って」
「当然でしょう? 公務官学校軍務科に一年で編入するや、戦術授業で並み居る上級生をまさに圧巻ともいえる采配で寄せ付けもしなかったあなたが、クロスファイトのチーム編成のスカウトをしているというのですから、メリル・トキシモ」
矢も盾もたまらず立候補した。人集めをしているというメリルの前でひざまずいて懇願したのだ。あなたのチームに入れてくださいと。
(それほどに彼女の指揮は素晴らしい。そして美しい。どんな兵士も最強にしてしまう。その栄に浴せるなら私の小さなプライドなど投げ捨ててもいい)
軍務科でも話題のクロスファイトに参加する生徒は少なくない。学校側も学業に影響なければ推奨する姿勢を見せている。
筆頭格がパオ・リシガン率いる『ウォーロジック』。彼にしてみれば目立ちたがりの生徒の集まりにしか見えていなかった。
(下品にも高圧的な態度を取った挙げ句に公務科の生徒に破れてからは成績が低迷していると聞くが)
情けない限りである。
ウィーゲンにしてみれば、模擬戦を軽くしたかのような競技であるクロスファイトに興味は薄かった。所詮は興行であり、実戦的ではあり得ないと感じていたのだ。
メリルが兼業としてプロチームのコマンダーをしていたと吐露したときなど耳を疑ったものだ。しかし、それが事実であり、解職後の再起を願っていると知れば協力しないわけにはいかない。
「軍務科実技において最強の呼び声高いあなたが参加してくれるなんて思わなかったわ」
くすぐったくもある。
「最上級生になってようやく実力を評価されただけです。実際に同格レベルで競っている生徒は指折り数えられるくらいにはいますから」
「そうかもしれないけど心強いのは本当よ。わたし、本当に勝ちたい相手ができてしまったの」
「存分にお使いください。あなたに勝利を捧げるお手伝いができるのならば喜んで」
姫にかしずく臣下のように片膝を突いて礼を贈る。
「時間がなくて、ほとんどぶっつけ本番になるけどよろしくね?」
「ご心配なきよう。どんな場面でも実力が発揮できるよう鍛えております。ええ、このときにこその備えであったと思えるほどに」
「ほんとにあなたって人は……」
ふわりと笑う彼女をまぶしそうにウィーゲンは見あげた。
次回『全知者の弟子(3)』 「お任せあれ、メリル」