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サイコとおおかみ -エリート刑事は殺人鬼?-  作者: 左京ゆり
第二章 キャバクラ潜入
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2-1 カフェラテは美味かった

 自販機に並んだボタンから、ホットのカフェオレを選んで押した。五月も下旬となると、日中は冷たい飲み物が欲しくなるが、深夜はまだ熱いほうがいい。あくびを噛み殺して、史狼は紙コップに口をつけた。目をこすり、休憩室を見まわす。この三日間、バラルと会っていない。留学生のバラルは週四日のシフトで入っている。史狼はほぼ週六で働いているので、これまで三日に一度は会っていた。


 どうしたのだろう、と首をかしげる。


 体調でも崩したのか。こんなとき、気安く聞ける相手がいればいいが、史狼は職場で孤立していた。倉庫のピッキング業務という仕事柄、バイトの出入りも激しいし、もっさりとした見た目で無口の史狼は、周りからも遠巻きにされている。それが目的でこの見た目にしているのだから、普段は特に構わないのだが――春からの二ヶ月で、バラルと話す休憩時間にすっかり慣れてしまったらしい。


 明日も休みだったら、チーフに聞いてみるか。

 同居人もいるんだから、一人で寝こんでる、ってこともないだろう。

 そう思うと少し心が軽くなる。史狼は紙コップを捨てて、持ち場に戻った。



 マンションには、今朝も最上はいない。当直とは聞いていないから、急な捜査が入ったのだろう。同居を始めて一週間、毎日は拍子抜けするほど平穏だった。そもそも、最上と顔を合わせることがほとんどない。


 シャワーを浴びて部屋着に着替え、冷蔵庫を開けた。史狼の胸の高さほどの2ドアで、一人暮らしにはやや大きめサイズだ。しかし中身はスカスカである。ドアポケットには、牛乳や、開封した痕跡のない調味料がいくつか。冷蔵室には、横置きされた2Lのペットボトル。麦茶、緑茶、スポーツ飲料。それから350mlのビールが数本。史狼と同じく、自炊はしないタイプらしい。いや、自宅にいる時間のほうが少ないのだろう。コンビニで買った豚カルビ弁当を取りだして、レンジで温めて食べた。吊戸棚からカップを出して、エスプレッソマシンにセットする。使い方は、引っ越しの翌日に教えてもらった。


 その日、いつものように午後に起きると、台所から物音がした。当直明けの最上が帰ってきたのだ。史狼は居間のソファベッドで寝起きしている。台所は玄関と居間に挟まれて、廊下も兼ねている。コーヒーの匂いが漂い、史狼はふらりと台所をのぞいた。

 最上と目が合うと、史狼はその場で足を止めた。のどにはまだ、鍵の赤い跡が残っている。無意識にからだが身構えてしまうのだ。


 匂いの正体は、最上の手のなかのカップだった。


「いるかい?」


 屈託なく尋ねられ、史狼は迷った挙句うなずいた。コーヒーはわりと好きだった。「エスプレッソ? カフェラテ?」「エスプレッソは飲んだことないです」「ああ……ブラック? ミルクは入れるか?」「はい、お願いします」最上は缶から豆を移し、水を注いで、マシンのボタンを押した。ふわりといい匂いが鼻孔をくすぐる。先に温めておいたミルクを加えて、最上はカップを差しだした。


「美味い……」


 思わず漏れた言葉に、最上がふっと目を細めた。他意のなさそうな笑みに、史狼は複雑な心境になる。この男に気を許したわけではない。が、カフェラテは美味かった。最上は好きに使っていいと、マシンの使い方を教えてくれた。



 カフェラテを飲み終えて、カップと弁当の容器を洗った。ソファに掛け布団を広げていると、電子音が鳴りはじめた。


 プルルルルルル。テーブルの上でスマホが震える。

 発信者名を確かめて、テーブルに戻しかけ……史狼は思い直して画面をタップした。


『ご無沙汰してます、叔父さん』

『やあ、史狼くん。早朝にすまないね。昼間や夜かけても繋がらないから、朝の方がいいかと思って』

『はい。今のバイト、夜勤なんで』

『元気にしてるか? 引越したんだって?』

『はい』


 短い沈黙のあと、叔父は明るい声で続けた。


『姉さん……きみのお母さんも元気だよ。最近は調子が良くて、パートもしてるみたいだ。史狼くん、高校を出てからもう一年以上帰ってないだろう? 一度顔を見せないか? ぼくも会いたいし……』

『叔父さん、すみません。俺、いま眠ってて』

『あ……ああ、そうだな。悪いね、仕事上がりに。姉さんが、ありがとうって言ってたよ。史狼くんの仕送り助かってるって。だけど無理するなよ。ぼくもいつでも援助するから』

『はい。ありがとうございます。でも大丈夫なんで』

『うん……そうか。じゃあまたな』


 短く礼を言って、史狼は通話を切った。叔父からの電話は、四回に三回までは無視している。だけど全く出なければ、心配させてしまうだろう。叔父の意図は分かっている。実家に帰省して、母親を安心させてやれ、と暗に言っているのだ。史狼は唇をゆがめた。叔父の声を聞く度に、余計な言葉を吐き捨てそうな自分を抑えているのに。



 俺なんか産まなければよかった。

 母さんは俺にそう言ったんです。

 稼いだ金はほとんど全部、あの人に送ってます。

 これ以上、俺にどうしろって言うんですか?



 史狼は首を横にふった。


 叔父さんは人が好い。そんな言葉を吐きだせば、自分の家族を犠牲にしてでも、姉一家――母さんと俺――の面倒を見ようとするだろう。そんな迷惑をかけちゃだめだ。母さんの精神状態が不安定なのは……俺の能力のせいなんだから。

 史狼は手を開いた。気づけば固く握りしめ、爪の跡がついていた。



 翌日の休憩時間、バラルの姿をベンチで見かけた。

 史狼は自然と口元がゆるみ、軽く片手を上げた。


「ああ、兄貴。おつかれ~」

 バラルの顔色は悪く、目の下に隈ができている。とても元気とはいえない有り様だった。

「どうしたんだ? 夏風邪か?」

「いやあ……ちょっと困ったことになってさあ……」

 手のなかで紙コップを回して、バラルは深いため息を吐いた。

「……ぼくの同居人、麻薬の密売人だったらしくてさ……一昨日から行方不明なんだ」


 パーカーの肩を落として、バラルはもう一度ため息を吐いた。

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