表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/50

6-7 おまわりさん?

 三月下旬の日曜日、史狼は新大久保の雑居ビルにいた。警察学校の卒業祝いと称して、バラルがネパール料理をおごってくれたのだ。店はビルの二階にあった。一階はネパールの食料雑貨店で、その奥の階段から上がっていく。どう見ても非常用階段のような狭い通路で、彼一人であれば、とてもたどり着けなかっただろう。


 店内に足を踏み入れた途端、異国に迷いこんだようだった。


 昼の遅い時間とはいえ、八席ほどのテーブルはほぼ埋まっている。そのほとんどが外国人――おそらくネパール人――の客だった。奥の席に一組だけ、日本人らしき男女がいる。その隣のテーブルに案内され、ちらと横目で見て、史狼はあっと声を上げた。


「店長っ?!」

「よお! オオカミくん! なんや、自分もここの常連なん?」

 キャバクラの店長は片手を上げ、狐目をさらに細くした。奥に座った女と目が合って、史狼は再び声を上げた。

「まどか?!」

「……なによ。あんたなんでここにいんのよ」


 まどかは彼を見上げ、何か言いたげに口を開いて――すぐに視線を下げた。長い髪はゴムでまとめられ、ふうふうとスプーンに息を吹きかけている。本気の食事モードだ。お椀に入っているのは水餃子のようなスープだった。ほわほわと湯気が立っている。熱々を食べなきゃもったいない、と判断したらしい。


 バラルはにこにこ笑いながら、隣の席に腰かけた。


「兄貴の知り合いですか? 珍しいですね、日本の人でこの店を知ってるなんて」

「ああ、前に客に連れてってもろてん。めっちゃ美味いやん? それからたまーに無性に食べたなんねや」


 バラルはメニューを開き、木製のテーブルの中央に置いた。ひとまずビールを頼み、あとの注文はバラルにまかせた。一応写真はあるのだが、史狼には何がなんだか分からない。スチームモモ? スクティサデコ? なんか強そうな名前だな。


 隣のテーブルを見ると、にかっと店長が笑みをこぼした。


「なんや? 食いたいんか? ひと口やろか?」

「あ、いいです大丈夫です。今日は休みですか?」

「せや。日曜やん」

「その……まどかも?」


 首を右にむけると、まどかは瓶のままビールを飲んでいた。美味そうにごくごくと、なにかのCMになりそうだ。史狼はまた店長に視線を戻す。


「店の女の子と食事に行ったりするんですね」

「うん? いや? 黒服と呑み行くことはあるけどな。キャストとはプライベートじゃ会わんで?」

「え? でも今プライベートじゃ」

「デートやん」

「は?!」

 史狼の叫び声は、ぼかっ! という威勢のよい音にかき消された。

「いった! 蘭、ちょっとは手加減しいや?!」

「蘭ちゃうし! デートじゃないし‼」


 目が合うと、まどかはぷいと横をむいた。


「え……っと、デートなんですか?」

「口説いてんねや。おれはデートやと思ってんで」

「店の女くどくな」

「ええやん。もう辞めたやん」

「……辞めたんだ?」


 まどかは唇を拭き、ようやく史狼に目をむけた。


「今年で四回生だし就活に集中するから。で? あんたは何してんの? あいかわらずフリーター?」

 警察官になった、と史狼が言うと、仔馬のような目がぐっと見開かれた。

「へえ……そうなんだ。あんたが警察官ね。おまわりさん?」

「ああ。まずは巡査からで、そのうち刑事になるつもり」

「刑事って。あの最上さんみたいに?」

「まあ、そう」

「ふーん……かっこいいじゃん」

「まだなってないけど」


 悪い気はせず、自然と口元がゆるんだ。斜め前から「ふうーーん」と低い声が聞こえてくる。店長の目が限界まで細くなっていた。


「やっぱひと口やらんわ」

「えっ? あ、はい」

「てかオオカミくんのひと口もらうわ」

 そう言って、店長は史狼の皿から肉だけを攫っていった。

「俺の肉……」

「ほらほら、次の皿が来たよ!」




 店員がトレーを手にやってくる。テーブルに次々と皿が並んでいく。スパイシーな肉と野菜の焼けた匂いが漂い、腹が勝手に鳴りだした。




「美味そうだな」

「うん! どれも美味しいよ~かんぱい‼」


 バラルとグラスを鳴らし、ビールを流しこむ。キリッと冷えていて美味い。羊肉と野菜の炒め物も、小籠包のような料理も、羊肉のカレーのセットもぜんぶ美味い。

 ふと顔を上げれば、バラルが嬉しそうにこっちを眺めている。


「どう? ネパール料理は?」

「すごい美味い。また食いたいな」

「うん、また来よう! それでさ、兄貴。いつかぼくの実家にも遊びにおいでよ」

「おまえの実家……ってネパールに?」

「そうそう」

「いいけど……警察官って海外旅行とか行けるのかな。行けたらいくよ。ずっと先かもしれないけど」

「うん、いいよいいよ。ぼくもこっちで就職するし、まだ当分日本にいるからさ。ぼく、兄妹も親戚もいっぱいいるから。兄貴も自分の家族だと思って過ごしてよ」


 史狼は箸を置き、バラルに笑みをみせた。母親と折り合いが悪いと以前に話したことがある。バラルはなにも言わず、ただ黙って聞いてくれた。ずっと心の内で気遣ってくれていたのだろう。


「ありがとな。てかさ、俺もう仕事辞めたしおまえの先輩じゃないし。おまえも今は専門学校生だろ? やっぱ兄貴ダイより弟分バイじゃないか?」

「うーーーん。そうだなあ。でも元先輩だし……」

「名前じゃダメなのか?」

「史狼?」

「そう」

「そっか」

「そうそう」

「はは……っ、いいねえ! 史狼、日本人の友だち同士って感じだ」


 バラルは残りのビールを飲み干した。史狼もつられてグラスを空けた。

 店員を呼び止めて、バラルが二人分のビールを追加する。

 隣を見れば、店長が箸の先でまどかに肉を食わせていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ