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6-4 最後の仕事

「…………そんなに怒鳴るな、史狼くん。一緒に伯父を捕まえるんだろ?」


 左耳に注がれる怒声に苦笑して、最上はフロントガラスを見つめた。

 街が夕陽に染まっている。

 あの日の午後も、母と父はこんな赤い海にいたのだ。




「なっ、なんだって? 辰彦?!」

「……なんでもありません」

 最上は目をすがめ、助手席に視線をやった。

「本部長になんて言ったんです? 僕をおびき寄せるために」

「わ……私はなにも」

「伯父さん、僕は知りたいんですよ。今も……それにあのときも、一体なにが起こっていたのか。もし伯父さんが正直に話してくれれば、そうですね。僕も気が変わるかもしれません」


 しょぼしょぼと目を瞬かせ、伯父は疑わしそうに見上げた。


「別にいいですよ? 話す気がないならこのまま海に飛びこむまでです」

「待て! 待て辰彦、早まるな! そうだ……本部長の平田さんに頼んだんだ。息子がなにか悩んでるようだが打ち明けてくれない。心配だから会いに行きたいが、いつも仕事優先で会ってもらえないって。平田さんは同情してくれてな。自分の名前で呼びだせば無下にはできんだろうって、おまえに連絡してくれたんだ」

「それで? 僕を呼び出してどうするつもりでした?」


「……おまえの言ったとおりだ。気絶させて海に飛びこんで……」


「自分だけ脱出する? はは、ハンマーは僕を殴るだけじゃなくて、フロントガラスを割るのにもぴったりですね。それに知ってます? 伯父さん。このスピードで海に飛びこめば、運転席の人間は無傷でも、助手席の人間は傷を負う可能性が高いんです。だから僕が殴られて打撲の痕があっても不自然じゃない……ははっ、知ってますよね、もちろん。検索履歴にありましたもんね?」

「ああ、だから解いてくれ! このままじゃ私は……」

「なんで裏カジノなんか行ったんです? これまで縁がなかったでしょう?」

「バリ島で知り合った男が……紹介してくれたんだ。政治家やスポーツ選手も出入りする会員制の店で、選ばれた人間しか行けないと……私を特別に招待してくれると言ってくれて……」

「いいカモだと思われたんですね。それで? 負債はいくらですか?」

「…………、一億だ」


 最上は調子よく口笛を吹いた。伯父は顔を真っ赤にしたが、じろと横目で睨まれて口をつぐんだ。


「払うんですか?」

「公正証書を組まされた。払うしかない……」

「あの家を売って? あとは退職金と貯金ですか?」

「まさか! あの家がなくなれば住む場所がなくなる」

「アパートに引越せばいいでしょう? 家賃ぐらい負担しますよ」

「じょ、冗談じゃない! 親戚連中になんて言われるか……」

「なるほど。家を手放す代わりに僕を殺そうと? 僕が死んだ保険金で支払いですか。悪くない考えですね」


 にっこりと笑う彼に、伯父はぱくぱくと金魚のように口を開けた。

 むきだした目がまるで出目金のようだ。顔も赤いし。

 あっちの方が数千倍も可愛らしいけど、と最上は頭の隅で考える。

 緊迫した時にどうでもいいことが浮かぶのはなぜだろう。


「だから一色さんを急かしたんですね? 最初に僕の殺害を依頼したのは春でしょう?」

「殺害なんて、おまえそんなっ……!」

「どっちから言いだしたんです? 一色さんから? でも彼がそんな下手を打つとは思えないな。伯父さんからですか? 春に会ったといいましたよね?」

「あれは……ただ祝ってもらって一緒に酒を飲んだだけだ。そんな依頼なんて」


 最上はちらとカーナビに目をやった。


「あと一キロ半です」

「は?」

「海まで」


 隣でうめき声が漏れる。


「……気づいたらおまえの両親の話になってたんだ。一色はとても相づちが上手くて、いつの間にか、保険金を受け取ったことやおまえのことなんかも話して……あいつは私がモリアーティ教授のようだと……私のような人間は滅多にいるもんじゃない。私を尊敬するし、私のためなら何でもすると……熱心にそう言うものだから、つい……」

「おだてられて調子に乗って僕の殺害を依頼したんですね」

「おまえっ、父親になんていう口を……」

「父と思ったことは一度もありません」


「なっ……なんて恩知らずな」


「恩知らずですか? 大学の学費はすべてお返ししましたよね? それまでの養育費は、僕の両親の遺産と保険金でお釣りがきたはずです。ああ……僕が死んで伯父さんの負債を返さないのが恩知らずって意味ですか? それならすみませんでした。どうも恩知らずな息子なもので」

「おまえ……そんな生意気な口をっ……‼」

「生意気ですか? 両親の殺害を教唆して、自分を殺そうとする相手に敬意を持てるほど、僕も人間ができてませんので」

「な、なあ……辰彦、おまえなにか誤解して……」

「誤解ですか? そうですか。あと一キロですよ」


 最上は正面を見据えたまま、自分に聞かせるように言った。


「……私が直接手を下したわけじゃない。私はただきっかけを与えたに過ぎん。あいつが弱い人間なのが悪いんだ……私と浮気してるんじゃないかと、勝手に勘ぐって自滅しただけだ」

「僕の父ですか?」

「そうだ……根暗でいじけた奴だった。馬鹿な弟だ」

「僕はほんとにあなたの子どもなんですか?」

「まさか……あの女は私を避けていた。愚かな奴め」

「愛してたんですか? 僕の母を」

「あいつは華があった。一緒にいると周りの奴らが羨ましがってなあ……くそ。あの女と結婚してたら、私は議員にだってなれただろうに」


「無理ですよ」


「はあっ?! なにをっ……」

「あなたは一見、人当たりは良いけど気分にムラがあるし失言も多い。校長にまでなれたのも、伯母さんのおかげです」

「はっ、あいつが? まさか! あいつはうじうじして何もできない女で」

「いつも彼女が伯父さんをフォローしてくれてたんです。あなたが傷つけた相手にはお詫びに行ったり、教育委員会の奥さんと仲良くしたり。伯母さんが陰で支えていてくれたから、あなたは出世できたんですよ。知らなかったでしょう? 自分一人の力だと思ってましたか?」


 伯父はうなり声を上げて黙りこんだ。


「なんで都内に来たんです? 一色さんに任せてたんでしょう? 自分の手は汚さないようにって」

「一色が……連絡がつかなくなった。もう約束の期日が近いのに」

「そうでしょうね。意識不明の重体ですから」

「なっ……なに?!」


 煙草をくわえて火を点ける。窓を開けると、煙が右に流れていく。


「……伯父さん。僕が高校生のとき、進路に迷ったら助言してくれましたよね」

「あ……ああ?」

「もう忘れましたか? 僕が警察官になるか迷ってたときです。伯父さんが勧めてくれたんですよ。人のためになる立派な職業だって。ま、今思えば殉職する可能性もありますし、保険金殺人を企てるのに丁度よかったんでしょうけど」


 ね、と笑って横をむく。

 伯父は苦い顔でうつむいた。


「あなたと対立する気はなかったんで僕は言うとおりにしました。それで警察官になったんです。よかったと……思ってる。僕はわりと刑事の自分が好きみたいでね」




 最上の声音が一段やわらかくなる。

 指先がコツ、と左耳の奥をたたく。


「だから正直、惜しいんだ。このまま刑事を続けたいって欲もある……」

「辰彦‼ おい、海がっ……‼」

「……だけどやっぱり、僕はこのまま刑事でいていいのか分からない。だから…………ひとまずこれが最後の仕事だ」


 最上はスマホをタップした。角を曲がる直前、減速させてスマホを道路の脇に落とす。サイドミラーに目をやると後方にパトカーが見えた。隣では、伯父が泡を食ったように震えている。煙を吸いこむ。吐きだした。煙草をくわえる。衝撃にそなえ、四肢に力をこめる。




 銀の車体が地面をはなれ、波を散らした。

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