6-2 まるで血の海のようだ
料亭の駐車場は、周囲を雑木林に囲まれてしんと静まっていた。
砂利が擦れる音を立て、最上は車を端に寄せた。扉を開けて、外に出る。夕方とはいえ、葉陰に覆われて薄暗い。ぽつぽつと行燈が灯り、数メートル先に玄関が見えた。
最上はその場から動かずに、耳を澄ませた。
意識を集中する。
…………斜め後ろ、右側で、かすかに空気がゆれた。
ぎりぎりまで引きつけてから屈みこむ。
男の呻き声がした。バランスを崩したのだろう。
右肘を男の鳩尾に食いこませる。
手応えがあった。そのまま手首をひねり上げ、頸動脈を圧迫する。
「運動不足ですね、義父さん。昔はもっと動けたでしょうに」
砂利道にハンマーが転がった。
目をむいて最上を睨みつけ――伯父の首がかくんと垂れる。
両手で抱きかかえ、最上は男を車内に運んだ。
◆
最上は左耳の奥にふれる。イヤホンは嵌まったままだ。
すっかりなじんで外すのを忘れていた。インカムをオンにする。
助手席で伯父が身じろぎする。手足は拘束して、上からブランケットを掛けておいた。今朝の史狼くんみたいだな、と思い、悠長なことを考える自分に苦笑いする。
「目が覚めましたか?」
「辰彦……おまえなにを」
「なにをって? 聞きたいのは僕の方です。僕をハンマーで殴り殺すつもりでした?」
「まっ……まさか! おまえ、なにを言って」
「ですよね。それなら義父さんはどう見ても殺人犯だ。せいぜい気絶でもさせるつもりでしたか?」
「そんなこと……」
「心中したいんでしょう? 僕と」
「なっ……なにを言ってるんだ?!」
「僕を海に沈めたいんでしょう? 気絶させて車に乗せて。飛びこんだ後は、自分だけ脱出するつもりでしたか?」
最上は緑のスマホを振ってみせる。自分の物ではない。
「おまえっ……それは私のっ!」
「検索履歴なんて残すもんじゃないですよ、義父さん。ちゃんとシークレットモードで見なくちゃ。まあ、解析すればバレますけど」
「辰彦‼ おまえは何か勘違いをっ……‼」
「義父さんの計画どおりでしょう? ちゃんと埠頭に向かってますよ。なにが不満なんです? ああ……助手席に座る予定なのは僕だったのにって?」
「やめてくれ……なあ、辰彦? 冗談だろ?」
「なにがですか?」
「まさかこのままほんとに、海に飛びこむなんて……」
「本気ですよ」
最上は車の速度を上げた。信号にはまだ一度も引っかかっていない。たまにそんな時があるものだ。まるで――天に味方されているように。
「僕が記憶を取り戻したことにする。そして僕は、両親の死の真相を知って後悔に耐えかねた……なぜなら、そのどちらかを殺したのは自分だから。死に駆られた僕を説得しようとして、義父さんは巻き込まれた。そんなシナリオでしょう、これは?」
「辰彦、止めてくれ……‼」
「違いますか? そうなんでしょう?」
「そっ……そうだ! 悪かった! だから引き返し……」
「もう遅いですよ。僕はすっかりその気になってしまいました」
「なにを言ってっ……」
「……逃がしませんよ、伯父さん」
「辰彦っ‼」
「…………そんなに怒鳴るな、史狼くん。一緒に伯父を捕まえるんだろ?」
インカムを押さえ、最上は目を細めた。
フロントガラスが真っ赤に染まっている。
まるで血の海のようだ。
◆
埠頭の周りにパトカーが集まっている。
宮川が車を停めると、史狼は扉から転がりだした。
手近な警察官の男をつかまえて、声を張り上げる。
「二人は?!」
男が指した一角で、伯父が毛布に包まっていた。その手に手錠が嵌められている。
「最上はっ……?!」
男は同情するように、ゆっくりと首を左右にふった。
海にはボートが浮かび、水難救助隊の隊員たちが潜っていた。
史狼は声もなく、暗い水面を見つめ続けた。




