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1-4 同じ黒でも全然違うな

「……で、拳銃操法で初めて撃ったとき手が震えてさ」


 スマホを指差しながら、兼森が解説する横で、史狼はじりじりと距離を詰めていく。

 上腕同士が触れ合った。


 ……あ、

 ……温かい。

 史狼は隣の男を盗み見た。

 温かな応援の気持ちが湧き上がってくる。

 自然と笑みがこぼれた。


 この兼森という刑事は、見た目どおり真っ直ぐな気性のようだ。史狼が警察官を目指していると信じこみ、がんばれよ、と応援してくれている。いい人だな、と史狼は思った。騙しているのが申し訳ない。非難をこめて最上に視線を送ると、ふっと微笑を返された。


「そういえば、兼森。本部長は元気かい?」

「えっ? あ、はい!」

「きみが一課に配属されて、ずいぶん喜ばれてるだろうね」

「はは、そっすね!」


 ごつごつした手で髪を掻き、兼森は笑ってうなずいた。

 …………え?

 史狼は片方の眉をぴく、と動かした。

 苦しい。

 晴れ渡った空のような心に、ぽつんと雲がかかる。

 雲はどんどん広がっていき、重く、暗い。

 ……なんだこの感情は? プレッシャー?


 どんよりと沈む気持ちが苦しくて、史狼は兼森からはなれた。兼森は心の内とは反対に、あいかわらず笑顔のままだ。労わるように「気分でも悪いのか?」と史狼に尋ねてくる。いえ、と史狼が口ごもると、最上が横から言葉を引き取った。


「史狼くんは昔から優しいからね。自分に銃なんて撃てるのかって不安になったかい? 大丈夫、日本の警察官が発砲する事件なんて、そうそう起きないから」

「そうだぞ、史狼くん。それにちゃんと練習しとけば、いざって時も安心だからな」

「いざって時なんて無いに越したことないんですけどね」

「宮川、おまえよく舌噛まずに言えるなそれ」

「え? 別に噛みませんけど」

「もう一回言ってみろよ」

「え? いざって時なんて無いに越したことないんですけどね?」

「じゃあ次はあれ、隣の客はよくなんたらってやつ」

「隣の客はよく柿食う客だ。ですか?」

「すげえ! 早口マスターかよ」


 ぽかん、と二人を眺めていると、最上は慣れた調子で「ああ、そうだ」と話題を変えた。


「兼森、月曜の事件の調書、もうできてるか?」

「や、すいません! まだっす」

「今日中に確認させてもらえるか?」

「はいっ! あ、じゃあすいません、おれは先に失礼します」


 最上に頭を下げ、史狼ににかっと笑みを残して、兼森は立派な肩を揺らしながら、エレベーターに向かっていった。



「宮川は合気道が得意なんだ」


 最上が笑うと、宮川は「いえ、そんな」と謙遜するように睫毛をふせた。短めのボブに、細い首、それから……大きな胸のふくらみ。……大っきいな。史狼が顔を上げると、宮川が怒ったように見つめている。しまった。つい視線が止まってしまった。


「ほら、この授業の紹介動画、宮川が出てるだろ? 男は選択できないけど、折角だから見てごらん」

「あっ、あの! 主任、恥ずかしいです……!」


 スマホの画面を隠すように、宮川が両手をのばす。最上は微笑しながら、ふっと上目遣いで史狼を見た。早く感情を確かめろ、という意味だろう。史狼はスマホをのぞきこんだ。さりげなく、宮川の手に自分の指先を当ててみる。


 うわあああああああん。恥ずかしい‼

 胸に湧き上がる照れくささに、史狼は目をぱちくりさせた。

 えっと。まあ、うん。恥ずかしい、よな。気持ちはわかる。俺だって自分の動画とかあったら、絶対目の前で見られたくない。そんなのないけど。

 ……うん?

 そんな気恥ずかしさと共に、ちくちくと怒りも湧き上がる。

 史狼は小さくため息を吐いた。……こっちは、さっきの俺に対する感情か。胸が大っきいな、と思っただけで、全然やらしい気持ちはないんだけど。そう言い訳したい気持ちを抑え、史狼は彼女の感情に集中した。


 スマホのなかで、白い道着姿の宮川が相手を投げ飛ばしている。その俊敏な動きは、白ウサギがぴょんぴょんと跳ねている様子を連想させた。


「そうか? 格好いいよ」


 最上は柔らかな甘い口調で、ぽんぽん、と宮川の頭をなでた。史狼は目を疑った。

 いやいや、刑事さん。今どきそれ、セクハラだろ?

 …………いや。

 史狼はすうっと目を細めた。

 …………本人が嫌がってないなら、別にいいか。

 唇を引き結んだ宮川は、一見、怒っているようにも見える。

 だけど、

 恋心。

 ……このむず痒く湧き上がる感情は、そう呼ばれるものなのだろう。

 史狼は苦さを堪える思いで、最上をにらんだ。

 冗談じゃない。

 なにが悲しくて、

 俺はこの胡散くさい刑事に、恋心を感じなきゃならないんだ?

 史狼はそそくさと宮川から手をはなした。


「ありがとう、宮川。仕事を中断させて悪かったね。また時間があれば、史狼くんに話を聞かせてくれるか?」

「いえ! はい、もちろんです!」


 最上にぐっと頭を下げて、史狼にも申し訳程度に会釈して、宮川は小気味よく歩きだした。



「では大上さん、あの二人の感情を……」


 言葉を切り、最上はすっと視線をそらした。その先を追うと、スーツ姿の男たちがエレベーターに向かっている。一人の男が、こっちに視線を寄こした。


「石田管理官」

 その声に足を止め、男は群れから離れた。せかせかと早足で近づいてくる。

「最上、どうした?」


 年齢は三十代初め頃か。痩せぎすで無愛想な男だった。史狼を紹介すると、最上はそっと耳打ちした。「……この男の感情も」ぱっと顔をむけると、最上はもう石田と話に興じていた。


「管理官が主役の、あの刑事ドラマ。史狼くんも大ファンなんです。ほら、よかったね、史狼くん。本物の管理官だよ」

「おい、最上。私は動物園の動物じゃないんだが」

「せっかくだ、握手でもどうだい?」

「いやだから私は見世物では……」


 渋い顔をする石田に、史狼は右手を差しだした。石田は眉間のしわを深くして、しかし思い直したように――警察官を目指す若者のリクルート活動も大切であると――こめかみを引きつらせながら、硬い笑みを見せた。すみません、俺もおっさんと握手とか別にしたくないんです、と内心思いながら、史狼もおざなりに笑ってみせる。


 戸惑い。義務感。プライド。少しの……好奇心?

 淡々と湧き上がる感情に、史狼は胸を撫でおろした。この石田という警察官は、まさに名前どおり、石のように堅物で真面目な男のようだ。


「そうだ、管理官。先日のお休みはいかがでしたか?」

 …………うん?

 なんだか、胸が痛い。

「久しぶりの休日でしょう? ゆっくり過ごせましたか?」


 じくじくと……胸が痛い。

 切ないような。

 悲しいような。

 情けないような。

 とりとめのない思いが湧き上がる。

 史狼の前で、石田は変わらぬ表情をうかべている。

 だけど……心は締め付けられるように、痛い。

 ごほ、と石田が咳払いする。

 固く握ったままの手を、史狼はようやくはなした。


「まあな、うん……ゆっくりしたさ」


 じゃあがんばりなさい、と史狼に声をかけて、石田は逃げるように去っていった。



 澄んだ目で、最上がこっちを見ている。


「なにか言いたそうな顔ですね?」

「……言いたいことは、色々あります」


 あんな嘘をついてどうするんだ、とか。

 俺のことも調べたのか、とか。

 他人の感情を勝手に知るのは、失礼じゃないか、とか。

 まあ色々。


「そうですか。でも時間も惜しいので、まずは話を先に進めませんか? 捜査にも関係ありますし。兼森、宮川、石田管理官。あの三人の感情を教えてください」

「……はい。兼森さんは、俺が警察官になりたいと信じて、温かい気持ちで応援してくれてました」

「それだけですか?」

「それから……本部長? って人の話題になった途端、気が重たくなって……プレッシャーを感じました」


 最上は眉を動かして微笑んだ。


「なるほど……では宮川は? 彼女はどうでしたか?」

「動画を見て照れてました」

「それは傍から見ても分かります。他には?」

「他に……ちょっと怒ってました」

「そりゃ、あれだけ見れば宮川も……まあいいです。他には? それだけですか?」

「他には……」


 史狼は口ごもって足元を見た。古ぼけたスニーカーの隣には、艶めいた革靴が並んでいる。同じ黒でも全然違うな、と頭の片隅でどうでもいい考えが浮かぶ。


「他には?」

「……あなたと宮川さんは、実は恋人同士なんですか?」

 最上はにっこりと笑った。

「なぜですか?」

「いや……」

 再び史狼は口ごもる。宮川が告白していないなら、自分が先に伝えてはまずいだろう。

「いいですよ」


 はっと顔を上げると、最上の笑顔があった。余裕めいた表情は、どこか楽しんでいるようにも見える。まるで初めから答えを知っているかのように。


「言ってください」

 すみません、と内心で謝りながら、史狼は口を開いた。

「宮川さんは……あなたに好意を抱いてるようだったんで」

「そうですか」

 最上の笑みが深くなる。

「あの……ついでに余計なお世話ですけど。ああいうこと、誰にでもするんですか?」

「ああいうこと?」

「頭をこう、ぽんぽんと」

「まさか。わざとです」


 絶句する史狼を気にもせずに、最上は言葉を続けた。


「それで? 石田管理官はどうでしたか?」

「管理官……は、戸惑いながらも、真面目に向きあってくれてました」

「それで終わりですか?」

「いや、休日の話題が出たとき、とても胸が痛いというか……悲しいっていうか。とにかく辛い気持ちになりました」

「……辛い気持ちに?」

「はい。兼森さんと一緒で、理由は分かりませんけど」


 最上がとんとん、と唇をたたく。その動作をしながら、じっと史狼を眺めている。


 五秒、十秒。

 十一、十二、十三……。


 しびれを切らして口を開く直前、最上がソファから立ち上がった。スマホを耳にあてている。何コール目かで、相手が応じたようだ。ちら、と横目で視線を投げられる。その顔はもう笑っていない。鋭利なまなざしがピンのように、彼を透明な壁に押しつけた。


「ああ、そうだ。三日前の飛び降りだ。もう一度調べ直す……殺人事件かもしれない」

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