5-1 殺さないでってお願いしてみようかな
「わあ、ありがとう」
手元の箱を見つめ、バラルは笑みを浮かべた。今日の午後、菅生パーキングで買った仙台銘菓である。
「今日戻ってきたの?」
「ああ。昨日一泊して、さっき東京に着いた」
「大丈夫? ご家族に何かあった?」
「あっ……いや、そんなんじゃない。ちょっと用事があっただけで」
「そっか、よかった! 東北のお土産なんて初めてだなあ!」
バラルがぱあっと相好をくずした。心配してくれたのだと気づき、照れくささと嬉しさがこみ上げる。いやこっちこそありがと……と、史狼はもごもごと口ごもった。これも知らない自分だ――友人に気遣われると胸がむず痒くなる。
東京に着いたのは、夜の七時過ぎだった。最上はマンションまで彼を送り、その足で警視庁にむかった。史狼は軽くシャワーを浴びて、仕事に出かけたのだ。
◆
一色の実家をあとにして、最上の車はそのまま高速に乗った。パーキングで遅い昼食をとり、互いに職場の土産を買った。
「牛タン食ったの久しぶりだな」
「僕もだ。やっぱりとろろと麦飯は欠かせないね」
「あんたあれだけ笹かまぼこ買って配りきれるのか? 冷蔵品なのに」
「なに言ってるんだ、史狼くん。あれはうち用だよ? 職場はお菓子だ」
フロントガラスを眺めたまま、最上は真顔でうそぶいた。大箱三つあったぞ、と史狼は思わず眉を上げる。まあいい。賞味期限までに食べきれなければ、史狼の腹にもおさまるのだろう。
史狼は上目遣いでルームミラーを見た。前髪がもっさりと顔の上半分を覆っている。聞き込みの間は後ろに上げ、ヘアゴムで留めていた。
「どうした?」
「いや、なんでもない」
運転席を横目で見る。最上は疲れた顔もせず、悠々とハンドルを握っている。昨夜は余計なことまで喋りすぎた。旅先の気安さのせいだろう。史狼は前髪を指先でいじった。余計なことだ――なのに心はどこか軽やかで、そのぶん自分の髪は重たく感じた。
「最後のあれ、なんだったの?」
「なんのことだ?」
「質問だよ。一色さんの母親への。一階の寝室から……って」
「ああ……あれは」
史狼の頭に映像がよぎる。落ちていく男。そう、落ちていく男だ。
「……男が落ちた? 父親が?」
「ああ、たぶん。ぼんやりとしか見えなかったけど。あの人に触れてたとき、たしかに父親は落ちていってたんだ」
「下からじゃなくて上から見てたのか?」
「って思ったんだけどな。本人はああ言ってるけど」
「……そうだね。史狼くんは以前、一色さんに触れたときは被害者が落ちてくる光景を見たんだろ? そのとき一色さんは下にいたはずだ……だったらやっぱり、母親が嘘をついてる可能性はあるね」
「でも決定的なことは何もわからなかった。クリーニング店の女性も、大学教授も、母親も……みんな感情が平坦で、動揺がほとんどなかったんだ」
「へえ。サイコパスなのかな」
「そうそうサイコな奴がいてたまるか。あんたと似てるんだよ、たぶん。意志の力で感情を押しこめてるんだ。バレたらどうしようとか、一色が憎いとか、騙されてるんじゃないかとか……そんな思いがないんだ。もう覚悟を決めて感情が揺れないっていうか……三人ともが。あの飛び降り事件の女子生徒と同じだった」
「ふうん……一色さんが関わってるんだとしたら、ずいぶんな盲信だな。人誑しの才能を分けてほしいね」
「あんたも大概だろ」
最上はふっと唇を上げた。嫌味な男だ。
「あんたの伯父さん夫妻みたいに、もっとわかるかと思ったのに」
「伯父は現在進行形で僕に殺意を抱いてるようだし、伯母はまだ後悔の渦中にいるみたいだからね。他には? なにか分かったことはないか?」
「他には……あの店員の女性はもしかしたら……旦那を憎んでたのかも。わずかにそんな感情が湧き上がった。あと大学教授も奥さんに対して、どこか寒々しい感じがした……あとこれは一応言っとくけど」
なんだ? と問う最上の目がルームミラーに映る。
「教授と一色は関係を持ってた、と思う」
「へえ……なるほどね」
「あいつ男が好きなのかな?」
「それはないと思うけど……女は複数人いるみたいだし。バイなのか、それとも教授を誑しこむために肉体関係に持ちこんだのか……」
「あんたも好かれてたぞ、わりと」
「へええ……そうなの?」
「ああ。一昨日公園で会ったとき、あんた目当てで引っ越したのか聞いてみたんだ」
「直球だな。それで?」
「肯定の感情と同時に、あんたへの好意も湧き上がった。あの教授みたいな好意とは違う。宮川さんのあんたへの好意とも。たぶん恋愛感情じゃない……でも好きか嫌いかで言ったら、好きだとは思う。俺は完全に嫌われてたけど」
「ふうん……じゃあ笹かまぼこを持っていって、殺さないでってお願いしてみようかな」
「あんたが言うと冗談に聞こえない」
車内に笑い声が響く。やはり最上はハイなのかもしれない。
「一色は子どもが好きなのかと思ってた」
「……ロリコンってことかい? なんで?」
「公園で転んだ女の子を助けて、色々話しかけてたんだ。近くに母親もいたし、別に何かしたってわけじゃない。ただなんとなく……可愛くて大好きだって言ってたし、もしかしたらって思ったんだ。でも勘違いかもしれない。小学校の教師だったなら、子どもにも慣れてるだろうし」
「感情は確かめなかったのか?」
「触れてみたけど一瞬で……強いて言うなら、あんたへの好意に近い。でもはっきりとは分からなかった」
「一色さんの妹の話のときは? 母親はなにか示さなかったか?」
「いや、なにも……ああ、でもそうだ。妹が亡くなった日の話になったら、少しだけ心が動いた。怒り……かな。それか憎しみか……それに近い感情だった」
「クリーニング店の女性の夫も交通事故で亡くなってたな。彼女の子どもは女の子で……ああ……それにあの看護師の女性も、たしか一人娘がいたはずだ。そうだね、一応気にかけておこう。可能性はゼロじゃない」
トントン、と指先でハンドルをたたいて、最上は押し黙った。
次第に陽が傾き、交通量が増えていく。ぽつり、ぽつりとテールランプが灯る。窓を流れる景色が橙に染まっていった。




