表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/50

5-1 殺さないでってお願いしてみようかな

「わあ、ありがとう」


 手元の箱を見つめ、バラルは笑みを浮かべた。今日の午後、菅生すごうパーキングで買った仙台銘菓である。


「今日戻ってきたの?」

「ああ。昨日一泊して、さっき東京に着いた」

「大丈夫? ご家族に何かあった?」

「あっ……いや、そんなんじゃない。ちょっと用事があっただけで」

「そっか、よかった! 東北のお土産なんて初めてだなあ!」


 バラルがぱあっと相好をくずした。心配してくれたのだと気づき、照れくささと嬉しさがこみ上げる。いやこっちこそありがと……と、史狼はもごもごと口ごもった。これも知らない自分だ――友人に気遣われると胸がむず痒くなる。


 東京に着いたのは、夜の七時過ぎだった。最上はマンションまで彼を送り、その足で警視庁にむかった。史狼は軽くシャワーを浴びて、仕事に出かけたのだ。



 一色の実家をあとにして、最上の車はそのまま高速に乗った。パーキングで遅い昼食をとり、互いに職場の土産を買った。


「牛タン食ったの久しぶりだな」

「僕もだ。やっぱりとろろと麦飯は欠かせないね」

「あんたあれだけ笹かまぼこ買って配りきれるのか? 冷蔵品なのに」

「なに言ってるんだ、史狼くん。あれはうち用だよ? 職場はお菓子だ」


 フロントガラスを眺めたまま、最上は真顔でうそぶいた。大箱三つあったぞ、と史狼は思わず眉を上げる。まあいい。賞味期限までに食べきれなければ、史狼の腹にもおさまるのだろう。

 史狼は上目遣いでルームミラーを見た。前髪がもっさりと顔の上半分を覆っている。聞き込みの間は後ろに上げ、ヘアゴムで留めていた。


「どうした?」

「いや、なんでもない」


 運転席を横目で見る。最上は疲れた顔もせず、悠々とハンドルを握っている。昨夜は余計なことまで喋りすぎた。旅先の気安さのせいだろう。史狼は前髪を指先でいじった。余計なことだ――なのに心はどこか軽やかで、そのぶん自分の髪は重たく感じた。


「最後のあれ、なんだったの?」

「なんのことだ?」

「質問だよ。一色さんの母親への。一階の寝室から……って」

「ああ……あれは」


 史狼の頭に映像がよぎる。落ちていく男。そう、落ちていく男だ。


「……男が落ちた? 父親が?」

「ああ、たぶん。ぼんやりとしか見えなかったけど。あの人に触れてたとき、たしかに父親は落ちていってたんだ」

「下からじゃなくて上から見てたのか?」

「って思ったんだけどな。本人はああ言ってるけど」

「……そうだね。史狼くんは以前、一色さんに触れたときは被害者が落ちてくる光景を見たんだろ? そのとき一色さんは下にいたはずだ……だったらやっぱり、母親が嘘をついてる可能性はあるね」

「でも決定的なことは何もわからなかった。クリーニング店の女性も、大学教授も、母親も……みんな感情が平坦で、動揺がほとんどなかったんだ」

「へえ。サイコパスなのかな」

「そうそうサイコな奴がいてたまるか。あんたと似てるんだよ、たぶん。意志の力で感情を押しこめてるんだ。バレたらどうしようとか、一色が憎いとか、騙されてるんじゃないかとか……そんな思いがないんだ。もう覚悟を決めて感情が揺れないっていうか……三人ともが。あの飛び降り事件の女子生徒と同じだった」

「ふうん……一色さんが関わってるんだとしたら、ずいぶんな盲信だな。人誑ひとたらしの才能を分けてほしいね」

「あんたも大概だろ」


 最上はふっと唇を上げた。嫌味な男だ。


「あんたの伯父さん夫妻みたいに、もっとわかるかと思ったのに」

「伯父は現在進行形で僕に殺意を抱いてるようだし、伯母はまだ後悔の渦中にいるみたいだからね。他には? なにか分かったことはないか?」

「他には……あの店員の女性はもしかしたら……旦那を憎んでたのかも。わずかにそんな感情が湧き上がった。あと大学教授も奥さんに対して、どこか寒々しい感じがした……あとこれは一応言っとくけど」


 なんだ? と問う最上の目がルームミラーに映る。


「教授と一色は関係を持ってた、と思う」

「へえ……なるほどね」

「あいつ男が好きなのかな?」

「それはないと思うけど……女は複数人いるみたいだし。バイなのか、それとも教授を誑しこむために肉体関係に持ちこんだのか……」

「あんたも好かれてたぞ、わりと」

「へええ……そうなの?」

「ああ。一昨日公園で会ったとき、あんた目当てで引っ越したのか聞いてみたんだ」

「直球だな。それで?」

「肯定の感情と同時に、あんたへの好意も湧き上がった。あの教授みたいな好意とは違う。宮川さんのあんたへの好意とも。たぶん恋愛感情じゃない……でも好きか嫌いかで言ったら、好きだとは思う。俺は完全に嫌われてたけど」

「ふうん……じゃあ笹かまぼこを持っていって、殺さないでってお願いしてみようかな」

「あんたが言うと冗談に聞こえない」


 車内に笑い声が響く。やはり最上はハイなのかもしれない。


「一色は子どもが好きなのかと思ってた」

「……ロリコンってことかい? なんで?」

「公園で転んだ女の子を助けて、色々話しかけてたんだ。近くに母親もいたし、別に何かしたってわけじゃない。ただなんとなく……可愛くて大好きだって言ってたし、もしかしたらって思ったんだ。でも勘違いかもしれない。小学校の教師だったなら、子どもにも慣れてるだろうし」

「感情は確かめなかったのか?」

「触れてみたけど一瞬で……強いて言うなら、あんたへの好意に近い。でもはっきりとは分からなかった」

「一色さんの妹の話のときは? 母親はなにか示さなかったか?」

「いや、なにも……ああ、でもそうだ。妹が亡くなった日の話になったら、少しだけ心が動いた。怒り……かな。それか憎しみか……それに近い感情だった」

「クリーニング店の女性の夫も交通事故で亡くなってたな。彼女の子どもは女の子で……ああ……それにあの看護師の女性も、たしか一人娘がいたはずだ。そうだね、一応気にかけておこう。可能性はゼロじゃない」


 トントン、と指先でハンドルをたたいて、最上は押し黙った。


 次第に陽が傾き、交通量が増えていく。ぽつり、ぽつりとテールランプが灯る。窓を流れる景色が橙に染まっていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ