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4-6 僕は刑事だからね

今話には、東日本大震災に言及する会話が一部あります。

「なんであんなことを?」


 シートベルトを締め、最上が助手席をむいた。

 手相の【答え】は、あらかじめ最上から指示されていた。最後に伯母にかけた言葉だけが、史狼のものだった。


「後悔が……湧き上がったんだ、伯母さんの心のなかに。前にも後ろにも進めずに、ずっと燻ってるような。辛いんじゃないかって思って」

「へえ、優しいね」


 茶化されているのかと思ったが、横目で見れば、意外に真面目な顔をしていた。

 カーナビを触りながら、最上が尋ねてくる。


「さて、どうしようか?」

「どうって?」

「もう九時だ。今から食べに行ってもいいけど……きみの実家に送っていこうか?」

「俺の実家に? なんで?」

「なんでって……しばらく帰ってないんだろ? 帰りたいなら送っていくよ。話は明日でいいから。夕飯は駅のエスパルかどこかで、テイクアウトすればいい」

「いや、いい」


 思ったより硬い声になってしまった。最上にじっと見つめられ、史狼は目をそらした。


「母子家庭なんだろ? いいのか? 会わなくて」

「……調べたんだな」

「調べるよ、同居人の素性ぐらい。人殺しかもしれないだろ?」

「そうだな」

 あんたみたいに、と続く言葉は飲みこんだ。まだ軽口を叩く気にはなれない。出来たばかりのかさぶたのように、剥げばまた、血が流れだすんじゃないかと不安だった。

「僕みたいに」

「……言うか? 自分で。我慢したのに」


 からからと笑い、最上は煙草をくわえた。


「じゃあ、温泉にでも行こうか」

「……温泉?」

「そう。露天風呂に入りたくてね。仙台駅近くのホテルを取ってある。ツインだから、泊まりたければ泊まっていいよ」

「風呂より飯が食いたいんだけど」

「……若いな」


 呆れたように目をすがめ、最上はライターを点けた。

 車が静かに動きだす。街灯が道路を照らし、その両側には四角い明かりが並んでいる。運転席の窓が開く。ひやりと涼しい夜風が、重たい頭に心地よかった。



 全身が湯に溶けていきそうだ。ぽかぽかと湯気が上がり、頭上いっぱいに星空が広がっている。史狼は後頭部を露天風呂のふちにのせた。通路の左右に灯籠風の明かりが灯り、水面に淡い光を落としている。夜の11時過ぎとはいえ、大浴場にはちらほらと先客がいた。この露天風呂にも、史狼と最上の他に老人が一人いる。


 夕食は一時間前、県道沿いのファミレスで済ませた。ハンバーグのセットに、フライドチキンとソーセージの盛り合わせも追加して、腹がいっぱいである。最上は「見てるだけで満腹になりそうだ」とぼやいていたが、自分だってぺろりとステーキを空にしたのだから、人のことは言えない。


 こうして温泉に浸かっていると、眠気が忍び寄ってくる。ざ、ざ、と水面を掻く音がした。顔を横にむけると、老人が湯から上がろうとしている。目が合った。老人はまるい額を撫で、史狼を、次に最上をながめた。


「あんたら、旅行かい?」

「はい、東京から」

「そうか、そうか。いっぱい美味いもん食って、いっぱい見てまわってな。どこも綺麗になっとるだろう?」

「ええ、ほんとうに」


 皺だらけの笑顔を見せて、老人は湯から上がった。カラカラと硬い音が響き、引き戸が閉まる。


「東京って」

「いいんだよ。震災の日、僕は東京にいた。同じ仙台の人間と名乗るには、地元にいた人と僕とでは経験も思いもまるで違うだろう。ああ……でもそうか。史狼くんはまだ小学生だったな。すまない……みんな無事だったのか?」

「ああ。断水が二週間続いて、アパートにひびが入って引っ越したぐらいで……俺も母親も無事だった。叔父の家族もみんな市内だったから。あんたの家は?」

「うちもそうだ。食器棚や家電が倒れて散らばっただけで……沿岸部とは被害状況が全く違う」

「……そうだな」


 史狼は手のひらで湯をすくった。とろりと滑らかな湯がぽたぽたと指のすき間からこぼれていった。



 最上が机の前に座り、ノートパソコンを開いている。その姿を眺めながら、史狼は両手を頭の下で組み、ベッドに寝転がっていた。


「いつから知ってたんだ?」

「なにが?」

「俺がD小学校の卒業生だって」

「出会った頃だ。言っただろう? 第一発見者のきみも被疑者の一人だった。ざっと一通りは調べたよ」

「一色が教師だったのも?」

「そうだ」

「全然知らなかった。一昨年の春に辞めたって……知ってて黙ってたんだな」

「言ってなかったっけ?」

「しらばっくれるなよ」


 キーを打つ手を止め、最上はおもむろに振りかえった。


「疑ってたんだよ、史狼くんを」

「まだ疑ってるのか?」

「……もう疑ってないよ」

 ふうと息を吐いて、最上はまた背をむけた。

「教えてくれるか? きみが確かめた感情を」


 カタカタとキーを叩く音がする。

 史狼は目をつむり、数時間前の会話をさかのぼった。


「……最初に伯父さんと握手したとき、俺の存在を知ってるような感じがした。ああ、こいつが……って感じの。前もって聞いてたみたいな。あんたは話してないよな?」

「ああ、僕はひと言も話してない」

「だったら、一色が話したんだろな。伯父さんと面識があるんだろ? それだけじゃなくて……」

「二人は僕を殺そうとしてる?」

 史狼は天井を見つめ、上体を起こした。

「……知ってたのか?」

「これから起きる事件だよ。僕の殺人事件だ」


 背中を見せたまま、最上は淡々と言った。ベージュの館内着はXLサイズでぴったりだ。揃いの上着の袖をまくる。史狼はLサイズだ。なんだか合宿のような光景である。


「暑いならクーラー強めたら?」

「なんで分かるんだ?」

「背中に目があるんだよ」


 おざなりな調子で最上は小さく笑った。史狼は空調パネルを操作して、ちらとテレビに目をむけた。黒い画面が反射して鏡のようになっている。これか、と納得してベッドに腰かける。


「一色の話になったとき、伯父さんから殺意を感じたんだ。あんたへの。この春に一色と会ったこと、伯父さんは隠したがってる様子だったし」

「そうだね。僕の殺害でも頼んだのかな」

「あんたと伯父さんと、ぱっと見、仲が良さそうじゃないか。なんでそんなこと……」

「僕は警察官になったとき、生命保険に加入したんだ。警察共済組合とは別にもう一つ、伯父が勧めた高額なものだ。もし僕が殉職しても、伯母や僕の未来の妻が困らないようにって熱心に言われて……特に断わる理由もなかったからね」

「いつ頃の話だ?」

「もう六年ぐらい前かな」

「なんで今になって」


 結婚すると思ったからじゃない、と最上が言った。


「結婚って……誰が?」

「僕が」

「するのか? いつ?」

「……するつもりだと、試しに話を振ってみたんだ」


 椅子を回転させ、最上がこっちに向き直る。


「この春、伯父の退職祝いに電話をしたときだ。僕も今年か来年には、そろそろ身を固めたいと……まあそう思ってはいるけど、まだ未定だよ。ともかく、そんな話を振ってみた」

「それで?」

「三週間後に線路に突き落とされた」


 冗談めかして肩をすくめられ、史狼は呆気にとられた。


「……ヤバいじゃないか」

「殺す気はなかったと思うよ。電車が来るまで数十秒はあったから、すぐにホームに上れたし。そもそも駅の飛びこみ自殺だったら、賠償で保険金どころじゃないだろ? それと先々週ぐらいかな? 車のタイヤがパンクしてた」

「マジかよ……なんでそんな」

「警告なんじゃない? いつでもその気になれば殺れるぞ、ってね。当初は犯人に心当たりもなくて、伯父が闇サイトでも利用したのかと思ったよ。きみと会ったのはその頃だ」

「あの飛び降り事件のときだな?」

「そう。伯父と同じ小学校の卒業生のきみ。元教員の一色さん。どちらも同じぐらい疑わしかった。だけど自分から僕に接触してきたのは、史狼くん、きみだったから……きみの方がより怪しいと思ったね。やたらと一色さんを犯人呼ばわりするし。自分から目を逸らせるためかと思った」


 ああそれに、と最上が笑う。


「僕に感情がない、なんて言ってくるし。きみは僕が脅迫したって言うけどね、僕の方が脅されてるのかと思ったよ」

「だから手元に置いて監視したって?」

「そうだ」

「なんで俺じゃないと思ったんだ?」

「やっぱりきみなのか?」


 混ぜ返すように言われ、史狼はしかめっ面になる。

 最上が片膝を抱えて両手を組んだ。答える気はないらしい。


「それで? じゃあなんで、結婚の話をしたら命を狙われるんだ?」

「保険金の受取人が、伯母から僕の妻に変わるからだろ。伯母の財産に手は出せても、息子の妻は無理だろう?」

「…………ほんとに保険金目当てで、あんたを殺そうとしてるんだな」

「たぶんね」


 史狼は自分の両手を見下ろした。右手は伯父の感情に、左手は伯母の感情にふれて――あのとき、嵐の海のようだと思ったのだ。


「……最上。あんた、両親の保険金は伯父が使ったらしいって言ってたよな? それで不信感が募ったって」

「そうだね。なにか分かったのか?」

「あんたの父親の死を……伯父さんは喜んでたよ。上手くいったぞって得意な気持ちだった。二人は仲が良くなかったのか?」

「ああ。伯父は昔から目立つタイプで人気があってね。父は真面目で気が弱くて、父の陰に隠れてたようだ。伯父は大学で母と出会って付き合った。だけど……母は伯父と別れて、父の恋人になって結婚したんだ。まあ伯父としては心外だったろうな。どうだ? あの人は、母のことをどう思ってた?」

「悲しい……っていうより、悔しい気持ちだった。自分の玩具が取られたような。でも殺意は感じなかった」

「へえ……玩具ねえ。母のことは殺すつもりじゃなかったのかな。伯母は? なにか後悔してるって言ってたな?」

「伯母さんは、あんたの母親に嫉妬してた。伯父さんと付き合ってたって話のときな」

「無理もないね。楽しい気持ちはしないだろうから」

「でもあんたの名前を呼んだとき、怒ってた……ってより、悲しんでた……いや。罪悪感だ。罪悪感に押し潰されそうで……苦しくて、すごく後悔してた」


 最上は口元に手をやった。考えこむように、黒いスリッパを見下ろした。


「…………なるほど。伯父だけじゃなくて、伯母も両親の死に関わってるのか。でも後悔してる……?」

「ああ。伯父さんは、後悔も何もなかったけどな」


 ふっと息を吐いて、立ち上がり、最上はカーテンを開けた。窓が開く。空気が震え、車の走行音やクラクションが部屋にすべりこむ。煙草に火を点けて、最上はまた椅子に戻った。


「……父が浮気相手と疑った男は、伯父だったんだ。ほんとに……僕は伯父の子どもなのかな」

「違うだろ、自分の子どもを殺…………いや。違うだろ。優しい母親だったんだろ? 信じてやれよ、浮気なんて父親の勘違いだろ」

「優しいね」

 煙を吐きだし、最上は唇を上げた。

「まあね。父に殺されかけて、今度は伯父に命を狙われて、しかも実は血の繋がった父親でした……なんて、悲劇だか喜劇だか分からないよな」


 くっ、と押し殺したような声が漏れる。

 泣いているのかと思ったが、最上は可笑しそうに笑っていた。


「なんだよ。ハイなのか?」

「別に。普通だよ」

「あんた……なんでサイコパスなんて言ったんだ?」

「え? 僕はサイコパスだけど?」

「違うだろ」


 史狼は顔をしかめた。


「サイコパスなのは、むしろあの伯父さんじゃないか。あんたの父親の死を喜んで保険金を手に入れて……今度はあんたまで殺そうとしてる。普通じゃないだろ」

「サイコパスの定義は難しいんだ。実際のところ、伯父がサイコパスかどうかは分からない。でも一説によると、サイコパスは自分と同じサイコパスを避ける傾向があるそうだ。だから……僕をサイコパスだと思う人間がいたら、僕は否定しない。伯父にしろ、一色さんにしろ、きみにしろ……敵にまわす確率が下がるだろうから」

「伯父さんや一色はともかく、俺まで一緒にするなよ」

「サイコパスと同居しようだなんて、きみも正気だとは思えないけどな」


 灰皿に吸い殻を残し、最上が立ち上がる。

 洗面所にむかう姿を目で追いかけた。


「これからどうするんだ?」

「どうしようかな」

「殺すつもりじゃないよな?」

「伯父を? 父にしたように?」


 薄茶の目がこっちを見ている。

 そのまなざしが、知りもしない八歳の最上と重なっていく。

 きっとこんな無垢な目をしていたのだ。

 その無垢なまなざしで、自分の父親を――。

 史狼はぐらり、とめまいがした。

 少なくとも今朝、最上は殺意を――はっきりと殺意を抱いていた。


「…………殺すと言ったら? 史狼くん、きみはどうする?」

「止めるに決まってるだろ。刑事が人を殺してどうするんだ」

「僕はもう人殺しだけど」

「八歳のあんたは刑事じゃなかっただろ、まだ」


 最上の目がふわ、と丸くなる。

 驚いたように眉が上がる。


「……たしかに。そうだ……そうだね」

 なにが可笑しいのか、最上は笑いながら洗面所に消えていく。

「おい、待てよ、答えは?」

「…………殺さない。捕まえるよ」


 僕は刑事だからね、と言い残し、最上は歯を磨きはじめた。

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