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4-5 手料理を食べたりしなかったんですか?

 菅生すごうパーキングエリアで、最上は実家に電話を入れた。40分ほど走ると、仙台宮城インターを降りて仙台市内に入った。最上の実家は、青葉区の住宅街の一角にある。ホームドラマに登場しそうな庭付きの一戸建てだ。


「もっと早く電話をくれたら良かったのに。もうお夕飯を終えちゃったのよ」

義母かあさん、ちょっと顔を見に寄っただけですから。仕事で東北に来ていて、思ったよりも用事が早く片付いたんです。このあと史狼くんと居酒屋にでも行きますから、気にしないで」

「ええと……大上さん、でしたね?」

「はい。大上史狼と申します」


 最上は彼のことを、警察官志望の青年だと紹介した。


「東京で知り合って、よく仕事のことで相談に乗ってるんです。真面目で気のいい青年ですから、ぜひ刑事になってほしくて。しかも地元が仙台なんです、奇遇でしょう? この週末は、史狼くんも別件で帰省していたそうなんです。せっかくなら夕食でもと、僕が誘ったんですよ。でも義母さんたちの顔が見たくて、ここまで付き合ってもらいました」

「まあまあ、そうなの。大上さん、どうぞ上がってくださいね。辰彦くん、簡単な物でよければ拵えるけど」

「義母さん、玄関でいいですよ」

「なに言ってるの、大上さんもいらっしゃるのに。辰彦くんも半年ぶりでしょう? せめてコーヒーぐらい飲んでいきなさい。ね? 大上さんも」


 史狼は笑みだけで応えた。会話の主導権は最上に任せるつもりである。最上は同居にも触れていない。余計なことは喋らない方がいいだろう。


「お父さんも居間で待ってるのよ。ね、ほら、上がって」

「そうですか。じゃあ……お言葉に甘えようかな」

 無邪気に笑って、最上は上がりかまちをまたいだ。伯母の後ろを歩きながら、そっと史狼を振りかえり……獲物を狙う獣のように唇を上げてみせた。



 居間のソファに初老の男が座っている。白い革製の三、四人は座れそうな横長のソファだ。男は背中をもたれ、どっしりと踏ん反るような姿勢だった。短く揃えた白髪に、ポロシャツとチノパンという風貌はスポーツマンを彷彿とさせる。いや、若かりし頃はと言うべきか。腹やあごにはたっぷりと肉がのっている。サイドボードに並ぶトロフィーや盾が、かつての姿を物語るように飾られていた。


 男はおもむろに立ち上がり、最上の肩をばんばんと叩いた。


「おお、辰彦! よく来たなあ!」

義父とうさん、ご無沙汰しています。昨日の電話でホームシックになってしまいました」

「ははは、そうだぞ! 東京から三、四時間で来れるだろう。もっと帰ってきなさい」

「なかなか時間が取れないものですから」

「働きすぎじゃないのか? こっちに来たのも仕事だって? ああ、そうだそうだ、ええと……きみは警察官志望だそうだね?」

「はい、初めまして。大上史狼と申します」


 史狼は笑って手を差しだした。伯父は戸惑う様子を見せながら、その手を握りかえしてくる。史狼は笑顔を作ったまま、そっと手をはなした。

 伯母がトレーを手に居間に入ってくる。史狼と最上は、伯父と向かい合わせのソファに腰を下ろした。横長のソファと共布で、こちらは一人掛け用が二つ並んでいる。目の前にコーヒーが置かれ、伯母が伯父の隣に腰を下ろした。


「出発は明後日ですか? 海外旅行なんて初めてですね」

「そうなんだ。平田さん……ああ、県警の本部長の方でね、公安委員会で知り合ったんだが。彼が勧めてくれたんだ。ずっと家のことは家内に任せきりで、申し訳なかったとぼやいたらね。せっかく定年退職されたんだし、お二人で記念にいかがですか、と。母さんも乗り気だし、あっちは気候も良さそうだし。なあ、楽しみだね」

「ええ、そうですね」


 伯父に微笑んで、彼女はカップを持ち上げた。

 史狼もひと口含む。軽い酸味とコクがある。豆の種類は分からないが、美味いと思った。いつものエスプレッソマシンとは、また違う味わいだ。


「やっぱり、義母さんのドリップは美味しいですね」

「あら、東京なんて美味しいお店がたくさんあるでしょう?」

「義母さんのコーヒーは特別ですよ」

 伯母は「お世辞を言っても何もでませんよ」とぼやきながらも、嬉しそうな顔をした。

「そうだ、史狼くんは面白い特技があるんです」


 ちら、と合図を送るように、最上は横目でこっちを見た。


「ほお、なんだね?」

「手相を見るのが得意なんです。僕も、料理が苦手なのも寝起きが弱いのも、見事に当てられてしまいました」

「あらまあ……辰彦くん、ちゃんとごはんは食べてるの?」

「大丈夫ですよ、義母さん。警視庁の近くにいい店が沢山あるので」

「だけど外食ばかりじゃ……」

「おいおい、おまえ、もう子どもじゃないんだから。なあ、辰彦」

「そうですよ、義母さん。しっかり食べてますから安心して。ほら、史狼くん。いい機会だ。義母さんの手相を見てあげてくれないか?」


 手相を口実に伯父夫妻の感情を確かめる――これはあらかじめ、最上と車内で打ち合わせていたことだ。史狼は寝耳に水という顔をした。伯母にわざとらしく頷いて、苦笑いをしてみせる――強引な息子さんで大変ですね、でもここは息子さんの顔を立ててあげましょうか? ――とでも言うように。


「そうねえ。じゃあせっかくだから、お願いしましょうか」

 おずおずと差しだされた手を、史狼は両手で支えた。

 じっと目を凝らすふりをする。

「義母さんは料理が得意なんだ。僕が苦手なのは、死んだ母譲りなのかな」


 史狼の両手のなかで、伯母の小さな手がぴく、と跳ねる。


「ねえ義父さん、どうでした? 母は料理が苦手でしたか?」

「うむ……いや、どうだったかな」

「義父さんは昔、母と付き合ってたんでしょう?」

「ああ、まあ……うん」

「手料理を食べたりしなかったんですか?」

「はは、なあ、辰彦。その話はあんまり……」

 伯父は盗み見るように、隣に座る伯母に目をやった。

「料理は得意でしたよ」


 伯母は表情を変えずに、さらりと言った。


「そうですか。さて、と。どうだい、史狼くん。義母さんの手相は?」

 史狼は手元から顔を上げた。

 意志の力で、口角をぐっと引き上げる。

「とても家庭的で包容力のある方です。いつも周囲に目配りされて、支えてあげる秘書みたいな……奥ゆかしくて控えめな女性だと思います」

「おおっ、すごいな。おまえにぴったりじゃないか」

「あなた、そんなこと……」

「なかなか当たるもんだなあ。どれ、私も見てもらえるかね?」


 伯母に会釈して、史狼は伯父に向き直った。

 その肉厚な手を両手で支える。


「ああ、そうそう。史狼くん、きみの小学校はどこだったっけ?」

「え? D小学校ですけど」

「なに? 私の学校かい?」

「えっ?! そうなんですか?!」


 史狼はぎょっと目を見開いた。今度こそ寝耳に水である。車中でもひと言も聞いていない。


「史狼くんは二十歳だから……八年以上前かな。義父さんはもう校長でしたよね?」

「そうだな。いやあ、そうかそうか……卒業アルバムでも見れば分かるかもしれんが……大上くんはもうすっかり大人だしなあ」

「いえ、俺も当時のことはあまり覚えてなくて……すみません」


 恨みがましい視線を、こっそり最上に送ってみる。

 そういう大事なのは先に教えとけよ。

 史狼の静かな訴えを無視して、最上は機嫌よく話を続けた。


「児童からも保護者からも人気だって、義父さんは評判だったんですよ。ねえ」

「こらこら、辰彦。大上くんに身内びいきだと思われるぞ」

「だって本当のことですから。そうだろう? 史狼くん。義父の顔は覚えてなくても、人気があったんじゃないのかい?」

「あ…………はい。俺も俺の……友だちも、みんな校長先生を好きで慕ってました」

「はは、いいよいいよ、大上くん。そんな無理をしないで」


 満更でもなさそうに、伯父は目尻を下げた。史狼は「ほんとですよ」と笑って、内心でつぶやいた。全く記憶にないし、そもそも俺、友だちなんていませんでしたけど。


「あ、そうだ。義父さん、一色先生を覚えてますか?」

 史狼はからだを強ばらせた。

「うん? 一色先生……ああ、覚えてるよ。たしか一昨年の春に辞められたんだ」

「あなた、この春にもお会いしたでしょう? あなたの定年退職のお祝いで、うちに来てくれたじゃないですか」

「ごほっ、ああ、そうだったな。退職してから、すっかり忘れっぽくなっていかん。辰彦、それで? 一色先生がどうしたんだ?」

「仕事の関係で偶然、都内でお会いしたものですから」

「一色先生が言っていたのか? その……私の小学校で働いていたと?」


 最上は微笑した。答える代わりにカップを口に運んだ。


「…………義父さん。僕はほんとうに、しあわせだと思ってるんです。義父さんの子どもになれて」

「おいおい、突然どうしたんだ?」

「父が死んで、いっそ良かったと思ってるんです。義父さんの方がよほど良い父親なんですから」

「……いや、辰彦。そんなことを言うもんじゃないぞ」

「義父さんは思いませんか? あなたの弟が……僕の父が死んで良かったと。義父さんの方が容姿も人望も、ずっと優れてたんでしょう?」

「うむ……たとえそうでも、あいつが死んでいいわけじゃ」

「母は愚かですよね。そんな義父さんと別れるなんて。その挙句に、父と結婚して殺されて。自業自得だと思いませ……」

「辰彦くん‼」


 最上は口をつぐみ、隣に視線を移した。伯母の顔はすっかり蒼ざめている。史狼は彼女の手を左手でつかんだ。小刻みに震えている。右手から伯父の、左手から伯母の、二人の感情が同時に湧き上がる。まるで嵐の海のようだ。脳みそがぐらぐらと揺れる。


「そんなこと……言っちゃだめよ。過去は変えられないんだから……あなたのお母様を悪く言ってはだめ」

「僕の母親はあなたでしょう? 義母さん」

「……でも、あなたを産んでくれたのは静さんですよ」


 伯母はカップに目を凝らした。その視線はコーヒーに注がれながら、でも遠いどこかを眺めているようだ。

 部屋の空気に不釣り合いな、明るい声が響く。


「いかんいかん。久しぶりの再会なのに、なんだか辛気臭くなってしまったなあ。辰彦、おまえの両親はいい人間だったよ。二人とも、私の大切な弟と義妹いもうとだった。あの事件は不幸な事故のようなもんだ。このまま忘れておきなさい…………忘れてるんだろう? あの事件のことは……それとも、なんだ? ……なにか思い出したのか?」

「いえ。まだ思い出せないんです」

「そうだ、その方がいい。思い出していいことなんて何もないぞ」

「そうですね。もう諦めるつもりです」


 最上は従順な調子でうなずいた。伯父が満足そうに目を細める。


「ところで、どうだね? 大上くん。私の手相は?」

「はい……生まれついての王者のような方です。強いリーダーシップを発揮して、人びとを導いていくでしょう。容姿に優れ人望が厚く、誰からも好かれるタイプです。向かうところ敵なしといった……これまでもこれからも、順風満帆の人生を送られると思います」

「ははは、そうか。これはまいったな」


 伯父は大口を開けて笑い、がしがしと頭を掻いている。気を許したように、史狼に茶目っ気のある笑みをむけた。


「いやあ、きみは面白い子だなあ。でもなんでそんな髪型をしてるんだ? 目が悪くならないか?」

「史狼くんは額を隠してるんです。傷があるものですから」

「ふむ、そうか。でも男なんだから、傷の一つや二つ、気にしなくてもいいだろう?」

「アレです。某ファンタジーの主人公と似た稲妻みたいなんです。揶揄われるのが嫌なんですよ、ね? 史狼くん」

「はは……そういうことです。たぶん」


 たぶん? と首をかしげる伯父に、史狼は笑ってごまかした。最上は隣でにこにこと笑っている。こいつ口から生まれたんじゃないのか、と史狼は内心で毒づいた。



 カップに残ったコーヒーを飲み、最上は暇乞いした。「もう一杯どう?」と勧める伯母に首をふり、史狼も立ち上がった。

 伯母は玄関まで見送りにきた。史狼の顔を見て、「いいお医者様を探してみたら? 今はレーザー治療も進んでいるみたいだから」と気遣わしげに言う。史狼はそっと笑みを浮かべた。いい人だな、と目を細める。前髪を上げて伯母にうなずいてみせた。


「ありがとうございます。でも……すみません。冗談なんです、最上さんの。俺が人見知りなんで、庇ってああ言ってくれたんです」

「あ、あら……そう」

 伯母は二重の目をパチパチさせ、遠慮がちに口を開いた。

「あの……大上さんは、もしかしてアイドルの卵……?」

「違います」


 史狼は即答した。なぜそうなった。


「そ、そうよね。警察官の卵ですもんね」


 いや、まだ卵でもないしなるつもりもない。内心で度々突っこみながら、史狼は彼女の手を取った。腰をかがめて顔をのぞきこむ。心なしか、頬が赤い気がする……気のせいだろう。たぶん。


「一歩踏みだしてみるのも、いいと思います」

「え……?」

「俺もずっと同じ毎日で、ずっと一生変わらないって思ってたんですけど……けっこう、動いてみたら全然ちがう景色が見えて……それがいいのか悪いのか分からないんですけど。でも迷ったときは、行動してみるのもいいんじゃないかって。そう思うんです」

「ええと……」

「手相のことですよ。義母さんの」


 最上が横から言葉を添えた。伯母は、ああ、といった調子でうなずいた。目尻にしわを寄せ、伯母が二人に手を振る。史狼はぺこと頭を下げ、玄関をあとにした。

あけましておめでとうございます!

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