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1-3 まるでガラス玉のようだ

 一階の受付で名乗ると、待合室に案内された。ソファに腰かけ、目だけで周囲を見まわした。落ち着かない。青い制服姿の警察官や、スーツを着た刑事らしき人たちが、一人で、あるいは集団で、ゲートを行き来している。なんだかひどく場違いな気がした。彼らが通り過ぎる度に、横目で見られている気がする。気のせいではないだろう。

 目を覆うほどの長い前髪。サイズの合わない、くたびれたパーカーとパンツ。履き古して穴が空きそうなスニーカー。そのまま仕事に行こうと普段の服装を選んだが、こんな場所では悪目立ちする。ジャケットでも着るべきだったか。そわそわと待っていると、数分で最上がやってきた。


「お待たせしてすみません」


 いえ、と軽く頭を下げ、最上のあとを付いていく。ロビーの端にあるソファに並んで腰を下ろした。史狼は改めて相手を見た。柔和な印象の男である。よく見ると端正な面立ちであるが、それよりもまず、物腰の柔らかさが目に留まる。警察官といえば体育会系や強面のイメージだが、刑事はまた違うのだろうか。ああ、でもあの兼森って刑事はいかにも体育会系だったな……などと考えていると、最上が口を開いた。


「大上さん。あの夜の件で、何かお話されていないことがありますか?」


 史狼は軽く口ごもった後で、もう一度、遺体発見までの経緯を伝えた。内容は数日前と変わらない。結局、それ以外に話せることはなかった。最上は手元のメモに視線をむけて、また顔を上げた。


「大上さんの仰るとおり、駅や近隣の防犯カメラの映像を確かめてみたんです。黒いパーカーを着た、175㎝ぐらいの背丈の男は見当たりませんでした。コンビニや駅で聞き込みもしましたが、誰も覚えていません。被害者には争った痕跡も見られませんでした。それに彼には自殺の動機も……いえ、それはともかく、検視や検証の結果をふまえて、警察は自殺と判断したんです」

「でも……あの男が犯人だと」


 同情するように、最上の手が肩に置かれた。


「お気持ちはお察しいたします。あのような形でご遺体を見ることなど、普通はめったにないご経験ですから。大上さんが不安になるのは当然です。人間は不安を感じると、個別の物事を関連づけてしまうことがあります。飛び降りのご遺体を見た。そういえば、20分前に黒いパーカーの男がいた。怪しい素振りだった気がする……そのように思われるのも無理はないことです。しかし……」


 最上は言葉を切り、史狼の顔をのぞきこんだ。


「……どうかしましたか?」

 史狼は自分の左肩を凝視していた。正確には、その肩に置かれた最上の手を、だ。

「ああ、すみません。馴れ馴れしかったですね。失礼しました」

 肩から離れていく手を、史狼は反射的につかまえた。

「不快にさせてしまい、申し訳ありま……」

「なんでだ?」


 手を振り払うこともなく、最上は彼を見つめている。

 表情は穏やかだが、わずかに困惑が滲んでいる。


「……ええと、なにがでしょうか?」

「なんであんた…………感情がないんだ?」


 カチ、と誰かがボタンを押して、時間が止まったかのようだった。

 最上は動かない。

 史狼も動かない。

 最上の薄茶の目がこっちを見ている。

 まるでガラス玉のようだ。

 同情するような口調も、励ますような手も、全部、全部、嘘だった。

 とはいえ、食い下がる史狼に内心うんざりしている、というわけでもない。

 なにもない。

 この男の心には、なにもなかった。

 …………そんなこと、あるか?


「あの、どうかされましたか?」


 彼らの傍に警察官が立っていた。史狼を一瞥して最上に会釈した。声をかけた相手は最上で、史狼は不審者扱いである。この状況では仕方がないか、と史狼はそろそろと手をはなした。


「なんでもないよ。ああ、きみ……すまないが、一課の兼森と宮川みやがわを呼んでくれるか?」

「はっ!」

 威勢のよい返事を残し、警察官はちらと史狼を見やり、持ち場に戻っていった。

「感情がない、というのは僕のことですか?」

「…………」

「ねえ、大上さん? 僕のことですか?」


 表情も、声の調子も、一見なにも変わらない。

 温厚で柔らかな――史狼は眉をひそめた。

 なにかが違う。

 今、この男を見ても、先ほどと同じ印象は抱けない。

 最上の唇は笑っている。

 最上の目は笑っていない。


「すみません……忘れてください」

「大上さん、僕のことか? と聞いてるんです。質問に答えてくれませんか?」

「話しても、信じてもらえるとは思えないんで」

「それは僕が決めることです。あなたじゃない」


 優しい口調だった。それなのに、ほとんど脅迫めいた圧を感じる。史狼は手を開いては閉じた。無意識に固く握りこんでいた。薄っすらと汗までかいている。……怖いのか、俺は? 史狼は唇をゆがめた。怖い……のかもしれない。


 上目遣いで男を見た。

 目の前の刑事。

 生まれてから今まで、感情のない人間になど会ったことがない。

 この男は……なんなんだ?


「どうしました? 突然口が利けなくなりましたか?」

「…………」

「ところで……ご存知ですか? 大上さん?」

 最上はにっこりと笑い、史狼に顔を近づけた。

「事件捜査では、第一発見者も被疑者の一人なんですよ。怪しい男を見たというあなたこそ……怪しい男だったりして、ね?」


 囁くように耳元で言われ、史狼は思わず目をむいた。こいつ……これじゃあほんとに脅しじゃないか。最上は悪びれもせず、こっちを眺めている。いいだろう。話してやろう。信じなければそれまでだ。だけど万が一、俺の話を信じたなら……捜査が再開される可能性だってある。


 史狼は手短に、自分の能力について話して聞かせた。

 その間中、まばたきを忘れたように、最上は彼を見つめていた。

 コツコツと足音が聞こえ、止まった。

 スーツ姿の男と女が、史狼たちの前に立っている。


「お待たせしました、主任。どうしました?」


 男は刑事の兼森で、女は初めて見る顔だった。最上は二人を紹介し、次いで史狼を彼らに紹介した。女は宮川と名乗った。


「実は、史狼くんは僕の知り合いなんだ」

 史狼は隣に立つ男を見上げた。

 …………え? なんだって?

「へえ、そうだったんすか!」

「地元が一緒でね、仙台なんだ。家が近所でよく挨拶してくれてね。僕が大学で上京してから、もう十年になるかな……最後に会ったのは史狼くんが小学生のときだったよね? すっかり大人になって、最初は気づかなかったよ」


 ね、と笑う最上に、つられて兼森と宮川も笑う。

 三人の笑顔に囲まれて、史狼はひきつった笑みをうかべた。

 家が近所だと?

 最後に会ったのが小学生のときだ?

 よくもまあ、スラスラと嘘が出てくるもんだ。

 ……っていうかなんでこいつは、俺が仙台出身だと知って。

 そこまで考えて、史狼は現実に引き戻された。

 最上がとん、とやや手荒く、彼の肩を叩いたのだ。


「史狼くんは警察官になりたいそうだ。きみたちのほうが歳が近いだろう? よかったら少しだけ、警察学校の話を聞かせてやってくれないか?」

 言いながら、最上はスマホを取りだした。YouTubeで警察学校の動画を選んでいる。二人の刑事も画面を覗きこんでいる。史狼の隣で、そっと最上が耳打ちした。


「……二人の感情を確かめて。後で教えてください」


 思わず横をむくと、最上は何食わぬ顔で画面を見ていた。

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