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4-2 パズルのピース

 手元の書類に影が落ちる。

 最上は調書を繰る手を止めて、首をまわした。


「管理官、どうしました?」

「練馬区で殺人事件だ。若い夫婦がともに自宅で刺殺された…………どうだ、おまえ行きたいんじゃないか? 手が空かなければ、他の班に振っていもいいが」

「行きます」

 書類を置いて、席を立つ。隣で兼森も上着をつかんだ。

 石田は二人に背をむけて……思い直したように振りかえった。

「……おい、大丈夫だろうな?」

「大丈夫ですよ」


 有無を言わせる間もなく、最上はにっこりと笑みを作る。デスクから車の鍵を取り、スーツの上着をはおった。



 無線を聞き終えて、兼森は顔をこっちに向けた。


「あの……」

「なんだい?」

「さっきの、どういう意味ですか? 管理官が大丈夫かって」

「ああ、あれはね……」


 黒のセダンのハンドルを握りながら、最上は数秒、頭をめぐらせる。さて、この忠実な部下にどこまで話したものだろうか。横目でちらと助手席を見る。がっしりとした体つきに、引き締まった口元。しかしその目は意外なほどに穏やかだ。大型犬――といっても、シェパードやドーベルマンの類ではない。ゴールデンレトリバーのような男である。肌も焼けてるしな、と思い、最上はそっと笑った。


「……僕の実の両親は亡くなったって、以前話しただろう? 事件に遭ったんだ。この事件と同じように二人とも刺殺されてね。僕が第一発見者だった」

「えっ?! ……そうだったんすか。すいません、全然知らなくて」

「いいよ。あまり人には話してないから。それで警察官になりたての頃は、刺殺のご遺体を見て気分が悪くなったりしてね……それじゃあ刑事は勤まらないだろう? だから管理官には、似たような事件が起きたら出来るだけ現場にまわしてくれ、って頼んでるんだ」

「そんな……めちゃめちゃスパルタじゃないっすか」

「はは、荒療治っていうだろ?」


 そう、荒療治である。嘘ではない――少なくともその点に関して言えば。兼森と石田への説明には、本当のことも交ぜている――嘘をつくときの定石だ。

 実の両親が死んだ。本当だ。

 僕が第一発見者である。本当だ。

 石田さんに現場にまわしてくれと頼んだ。本当だ。

 刺殺のご遺体を見て気分が悪くなる。嘘だ。

 僕が殺人事件の現場を見たい理由は……。


「主任、あそこっすか? あの角の住宅の」

「……ああ、そうだな」


 兼森の声に、現実へと引き戻される。最上はすっと唇をなぞった。無性に煙草が吸いたい。仕事中はめったに吸わないし、たまに吸うときも加熱式タバコである。だけど今は自分の家に置いてある、あの紙巻き煙草がほしかった。煙の代わりに息を吐き、最上はハンドルをまわした。


 この現場で、パズルのピースは見つかるだろうか。



 史狼はあくびを一つして、玄関の鍵を開けた。三和土たたきには黒の革靴がある。ということは、最上は帰っているのだろう。


「ただいま、最上さん」


 いつの間にか、この挨拶が日常の一部となっている。「おかえり」と言ってくれる相手がいるのは悪くない。そんな自分が気恥ずかしくて、わざと不機嫌な声を出してしまう。史狼は首をかしげた。今朝はめずらしく、返事が返ってこない。人の気配はするのだが……居間の入口で、史狼は足を止めた。


「……なにやってんだ?」


 最上がグレーのソファに座っている。いや、横たわっているというべきか。アーム部分に腰をあずけ、足をのばしている。ベッドにもなるそれは、普段は史狼が占拠している。最上の定位置のソファを見ると、黒い背もたれに、乱雑にスーツの上着がかけられている。テーブルには、ネクタイがくしゃりと丸まっている。そして最上は……物憂げに右手の指先をながめていた。


「あんた……なにやってんだよ」

「……ああ、おかえり、史狼くん」

「危ないだろ」


 最上の右手には包丁が握られている。台所にある調理用のものだ。最上にも史狼にも使われず、ほとんどオブジェと化しているそれを、最上はぶらぶらと揺らしている。じっと刃先をながめる。また揺らす。目の前で、その動作が繰りかえされた。


「おい、やめろって」

「史狼くん。もう出ていっていいよ」

「は? ……なんだって?」

「いただろう? バラルさんだったかな? 同居できるっていう友だちが。彼のアパートに居候させてもらったらどうだい?」

「……なんだよ、いきなり」


 史狼は息を呑んだ。

 包丁の切っ先が自分に向けられている。

 最上の薄茶の目が据わっている。

 史狼は時間をかけて唾を飲みこんだ。


「人殺しと同居は嫌だろう?」


 一歩、足を踏みだした。

 包丁が真上に投げられて、ひゅっと空気を裂いて最上の手中におさまる。


「おい! 危ないだろ?! 怪我するぞ‼」

「危ないね……だから、出ていけって言ってるだろ?」

「人殺しなんて……今さらなに言ってんだ? あの公園でもあんた、仄めかしてたじゃないか。人を刺したとかなんとか」

「……まあね」

「どうしたんだ? サイコパスだろ、あんた。今さら殊勝に反省してるってか? だったら通報してやるけど」

「……捕まる気はないよ」

 億劫そうに口を開き、最上はまた包丁を揺らした。

 史狼はその手をつかんで…………弾くように放した。

「あんたっ……なんで」

「なにが」


 最上が横目で見上げてくる。いつもの余裕ぶった視線とは違い、心底面倒そうな目つきである。自分を奮い立たせるために息を吸う。吐きだした。史狼は最上の手をつかんだ。


 ぐら、と世界が反転しそうになる。

 心に湧き上がる情景は、

 赤い。

 赤い。

 赤い…………鮮血?

 内臓がぐちゃぐちゃに裏返されそうだ。


「なにがあった?」

「なにも」

「あんた……死にたいのか?」

「…………さあね」

 切っ先が史狼の喉にあたる。

 息を吐くと、尖った刃が食いこんでくる。

「一人殺すのも二人殺すのも一緒だと……そんな供述を聞く度に、反吐へどが出そうだったけど……なるほどね。確かに分からなくもないな」

「止めろよ」


 史狼は包丁の刃を握りしめた。

 手のひらがむず痒く、少し遅れて、じわじわと痛みが増していく。


「血が出てるよ、史狼くん」

「だから止めろって。人に向けるもんじゃないだろ」


 手首をつたい、ぽたり、ぽたりと、赤い粒が落ちていく。

 その粒を、最上はぼんやりと目で追った。

 ふっと力がゆるみ、抵抗がなくなる。

 左手で最上の手首をつかみ、右手を滑らせて柄を握り、史狼は包丁を抜き取った。

 上体をひねって、背後のテーブルに置く。

 鈍色の刃に点々と赤い跡がついていた。


「……ばかだな、史狼くん。なにやってるんだ」

「それはこっちのセリフだ」

 最上がのろのろと起き上がり、壁際の棚に歩いていく。ライターが鳴る。煙草をくわえ、灰皿を手に戻ってくる。またソファに足を投げだして、静かに煙を吐いた。

「……忘れてた。昼間、煙草を吸いたかったんだ」

 誰に聞かせるでもなく言って、最上は満足げに目を細めた。

 一本吸い終わるのを待ち、史狼は口を開いた。

「いつからなんだ?」

「なにが」

「いつから……あんた、感情があるんだ?」


 最上は煙草の箱をつかんで、しばらく手を止めた。それからぽつりと、「コーヒーが飲みたい」とつぶやいた。

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