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サイコとおおかみ -エリート刑事は殺人鬼?-  作者: 左京ゆり
第三章 暴走車 × 暴走者
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3-6 紫陽花が咲いている

 史狼が轢かれかけた午後、最上は映画を観ていた。

 午後二時に上映が始まり、四時半に終わる回だ。内容はありふれた恋愛ドラマで、よく覚えていない。その後はコーヒーチェーン店に立ち寄り、時間をつぶし、日比谷公園にむかった。噴水広場のまわりには、夕方でぽつぽつと人の姿がある。


 男が電話をしている。

 短い通話を終えて、男はまたスマホを耳にあてた。


 スーツの上着が震える。最上は内ポケットからスマホを取りだした。発信者名を数秒ながめ、画面をタップした。


『はい』

『ご無沙汰しています、最上さん』

『いえ、こちらこそ。先日は引越しのご挨拶をありがとうございます。お礼が遅れてすみません。今日はどうされました、一色さん?』

『お口に合えばいいんですが。いやあ、実は日比谷公園に来てましてね。警視庁にも近いですし、もしお時間が合えば夕食でもと……あの事件ではお世話になりましたし、ご挨拶もかねて……ほら、同じマンションのよしみですし』

『それはどうも。でもすみません。夜は仕事なもので、簡単なもので済ませる予定なんです』

『それは残念だな……あれ? 最上さん、もしかして今、近くにいます? 噴水の音がしませんか?』

『ああ…………ええ。僕も日比谷公園にいるんです。一色さんも噴水広場に?』


 男が広場を見まわしている。最上は男に近づいて、軽く片手を上げた。


「奇遇ですね、一色さん」

「ほんとうに……奇遇ですねえ、最上さん」


 一色は爽やかな笑顔を見せ、「今日は休みなんです」と言った。


「流行ってるでしょう、あの映画? だから観ておこうと……生徒たちとの話題が必要ですから。ははっ、恋愛ドラマなんて正直、オレはよく分からないんですけど……こんなこと言うと、生徒から鈍いって呆れられるんですけどね。それからコーヒーを飲んで、散歩でもしようかなあと……久しぶりにゆっくり出来ましたよ。最上さんは? 今日はなにを?」

「僕は仕事です。息抜きがてら、抜けてきました」

「ああ、なるほど。日曜なのに大変ですねえ」


 カールした細い髪をなでつけ、一色は感心した様子でうなずいた。


「よかったら、今度どうです? 息抜きに映画でも。スパイアクションはお好きですか? ワルサーPPKとかMI6とかが出てきたり……」

 それに、と一色は言った。口角を軽く上げた笑顔は、いかにも好青年といった姿である。

「……容疑者を尾行したり、とかも」

「ええ……好きですよ。ガンアクションやハイテク機器なんかもワクワクしますね。一色さんも?」

「オレはどっちかと言うと、ヒッチコックが好きですね。ああいった、心理的にじわじわ追いつめていくほうが好みなんです」

「ああ、なるほど……気が合いますね。僕もじわじわと追いこんでいくのは好きですよ」


 たとえば、と最上は言った。一色の背後で噴水がしぶきを上げ、水滴がガラス玉のようにかがやいている。


「……混み合ったホームで線路に突き落としてみたり、とかも」

 最上はすっと右手をのばし、一色の肩をつかんだ。

 その仕草に、一色は初めてたじろいだ様子をみせた。

「あの……? なにか?」

「ゴミがついていました」


 最上は人の好い刑事の顔をつくり、一色の肩をはらった。




 遊歩道の両端に紫陽花が咲いている。今が見頃のようだ。朝焼けを思わせる青に紫と、可憐な姿は目に心地よい。日比谷門にむかう一色と別れ、最上は霞門へと歩いていた。


 ふと立ち止まり、自分の右手を眺めてみる。

「……うらやましいな、史狼くん」

 ぽつんと漏らし、色づいた紫陽花を横目にまた歩きだした。



 テレビ画面では、血まみれの若い男女が走りまわっている。


 史狼はソファにもたれて、クッションを抱えこんだ。柔らかな生地は、ソファベッドと共布のグレーだ。肌触りがよくて気に入っている。昔のB級映画を観る休日の夜――平和だな、と史狼は思う。一昨日、車に轢かれかけたのが嘘のようだ。

 玄関の扉が鳴った。

 最上は居間を横ぎりながら、テレビをちらりと見て、「……背中にチャックが見えてるけど」とぼそりとつぶやいた。画面のむこうで、ゾンビが砂浜をうごめいている。ふわ、と甘い香りが空気に混じる。史狼は顔を上げた。


「香水ですか?」

 最上は微笑して、なにも言わずに浴室に消えた。




 風呂上がりの最上は、前髪を下ろしている。濃い茶色の髪が、額に無造作に散らばっている。白いTシャツとグレーのスウェットパンツを身につけ、ソファで足を組む姿は、仕事中よりも若く見えた。


「最上さんって何歳ですか?」

「今年で29になる」

「へえ。25、6ぐらいかと思ってました。けっこう上なんだ」

「きみぐらいの歳だと、二十代後半はみんな同じに見えるだろ」


 笑って立ち上がり、最上は掃き出し窓を開けた。灰皿を持ってソファに戻り、ライターを取りだした。


「女性ですか?」

「なにが?」

「しらばっくれないでください。あの香水。普段つけてないでしょ、香水なんて」

「野暮なこと聞くもんじゃないよ」

 唇の片側を上げ、最上は煙を吐きだした。

「徹夜で仕事してるかと思ってたのに。わりと遊んでたんですね」

「……別に遊んでない。宮川がネットカフェでシャワーを浴びたり、兼森が整体に行ったりするのと同じだよ」

 とんとん、と灰皿をたたいて、仏頂面を見せる最上に、史狼は思わず笑みをうかべた。

「……骨折ぐらいすればよかったね、史狼くん」


 じろりと睨まれ、嫌味を言われる。


 あの看護師の女は、厳重注意で解放された。諸般の事情――物損も史狼に怪我もなく、ゴールド免許の保持者で反省の様子も窺えることなど――が考慮され、逮捕には至らなかったのだ。一色とは、去年の秋に病院で知り合ったという。虫垂炎で入院した一色の、担当看護師の一人だったらしい。礼儀正しく印象がよい患者だったので、記憶に残っていたそうだ。しかし、それ以後の付き合いはないという。


「俺が骨折しても、宮川さんが被害届を出しても、あの人が捕まるだけでしょう。一色は自分が手を下す気はないんだと思う」

「だろうね」

 ふうと煙を吐いて、最上は目を細めた。

「一色とあんたってなんか似てますね」

「……どこが」

「なに考えてんのか分からないとことか、外面を取り繕うのが上手いとことか。それにこの前の一色と宮川さんの会話。あれ、あんたと同じようなこと一色も言ってたでしょ」

「ああ……まあね。僕も思ったよ。サイコパスとシリアルキラー、か。史狼くんも因果な相手に縁があるもんだね」

「自分で言うなよ」


 考えに沈むように、最上は黙って煙草をくわえている。


「この前のあれ、どういう意味ですか?」

「なにが?」

「俺があんたを殺したいんじゃないかって」

「……なんだ。覚えてたのか」

「覚えてますよ」


 次々と、ゾンビが人間に襲いかかる。血まみれの男や女に、ゾンビが食らいつき、血を啜っている。


「噛まれたらゾンビになるんじゃないのか。血を啜るって吸血鬼じゃないか……めちゃくちゃだな」

「いいんですよ。このゆるさがいいんです」

「こういうの、好きなのか?」

「別に。ネットで見て、適当に選んだだけです。なんも考えたくなかったんで」

 人間は食いつくされ、砂浜をゆらゆらとゾンビが彷徨っている。互いにかじり合い始めて……真っ黒な画面。エンドロール。

「最低だな」

 呆れたように呟いて、最上は二本目の煙草に火を点けた。

「それで? どういう意味ですか?」

「……いずれ分かるよ」


 最上は煙を吐きながら、じっと史狼を見据えていた。

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