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サイコとおおかみ -エリート刑事は殺人鬼?-  作者: 左京ゆり
第三章 暴走車 × 暴走者
20/50

3-4 その日は朝から雨だった

「なにって……なにも」

「聞かされたんでしょう? ただ出ていけと言われても、納得できません。せめて何を聞かされたのか教えてください」

「…………」


 宮川はグラスを見下ろし、ストローで氷をかき混ぜている。彼女の手のなかで硬い音が小さく響く。左手は史狼につかまれたままだ。


 一分、二分……。


 店員がちらと視線を投げて通りすぎる。怪しまれるだろうか、と史狼が身じろぎしたとき、宮川の右手が止まった。意を決したように、彼女はすっと顔を上げた。


「……先週、一色さんから連絡をいただいたんです。事件に関することかと思ったら、主任の話でした。大上さんもご存知だと思いますが、一色さん、主任のマンションに引っ越されたんです。それで……相談を受けました。そのう……よく目にされるそうです。主任と……大上さんが一緒にいる姿を。あの……人前でしない方がいいようなことも……人目を憚らずにしていると…………大上さんが一方的に」

「……はあ」


 調子はずれな反応だが、他に言葉が見つからなかった。どこから突っこむべきだろうか。宮川の話は大方の予想はついていた。彼女の手にふれた数分間で、史狼は知りたくもない感情を知り、見たくもない情景を見た。正直、記憶を消してしまいたい。史狼は心のなかで一色に悪態をついた。


「つまり俺が最上さんを好きで、一方的にまとわりついて、それで最上さんに噂が立って仕事に差し支えるんじゃないかって……そういう話ですか?」

「……はい。そうです」

「嘘ですよ」

「えっ……?」

「一色さんの嘘です、全部」

「まさか……なんで一色さんがそんな!」


 宮川の様子に、史狼は軽い驚きをおぼえた。なんだ……一色への疑いを、最上はこの人に話してないのか? 兼森さんや石田さんには? もしかして……まわりの誰にも?

 俺にだけじゃない。

 最上は誰とも、一色に関する情報を共有してないのか?

 なんでだ?

 そんな疑問が頭をよぎる。

 宮川が不安そうに史狼を見つめている。その黒目がちな顔をながめ、史狼は記憶をさかのぼる。彼女を信頼していると最上は言っていた。だったら……今、自分が打ち明けても構わないだろう。


「最上さんは、一色さんを疑ってますよ」

「……嘘」

「ほんとです。今度、直接きいてみてください」

「でも! あの事件の被疑者はもう捕まりました。一色さんは嫌疑も晴れて、とても礼儀正しい方で……」

「これまでに礼儀正しい殺人犯は、一人もいませんでしたか?」


 宮川の顔がみるみると青ざめていく。

 つかまれた手が、小刻みに震えだす。


「……冤罪だって言うんですか? わたしたちが……間違った被疑者を捕まえたって……?」

「いえ、確かに犯人は捕まりました。彼女で間違いありません。でも一色さんのことは、最上さんも……俺も信用してません」


 あの事件の後、史狼は犯人と一度面会をした。通声穴ごしに手を触れてみたが……あの女子生徒の証言に嘘はなかった。一色の名前を出してみたものの、決定的な反応は引きだせなかった。大切に慕うような感情が、ただ湧き上がっただけだ。先週の一色の反応と同じく、あれではまるで清く正しい講師と生徒の関係である。講師はあの殺人に快楽をおぼえ、生徒は男を突き落としたというのに。


「なんで……一色さんを疑っているんですか?」

「詳細は最上さんに聞いてください。でも疑ってるのは、ほんとです」

 全身の緊張が解けていく。湧き上がる感情にもう濁りはない。静かな使命感のような思いがみなぎっている。

「じゃあ、ほんとうに大上さんは……主任と……何もないの?」


 史狼は間髪を容れずうなずいた。何もないどころかむしろ警戒しているし、いっそ人殺しの疑惑まで抱いている。


「俺は……そういうの苦手なんです。好きとか恋とか……正直、気持ち悪く感じるんで」

「き、気持ち悪いの……?」

「あ、いえ、好きと思うことに対してじゃなくて……あるでしょう? その先が、色々と……」

「あ……そういう」

「はい。小四のときの担任が…………なんか俺のこと、そういう感じで……そういう行為を期待されることが……すごく、すごくすごく気持ち悪かったんです」


 息を呑む音がする。宮川は空いたほうの手で、史狼の上腕をつかんだ。


「大上くん……それは犯罪です! そのとき、誰か大人に話したんですか?」

「いや、犯罪じゃないんです」

「未遂だって犯罪になり……」

「大丈夫です。彼女だって、悪意がないのは分かってるんで」


 そう。悪意はなかったのだ。あの担任だって、まさか自分の感情を史狼に知られているとは思いもしなかっただろう。思うことは罪ではない。たとえ……それがどんな欲望だったとしても。


「だから最上さんに対しても、誰に対しても、俺は何も望まないし、何かしたいとも思いません。人に触れるのも、触れられるのも苦手なんで」

「そうですか……」

 宮川は視線を落として、突然ぱっと目を丸くした。

 つかんだ史狼の上腕から、勢いよく手をはなす。

「ああっ、ごめんなさい! こういうのも気持ち悪かったですか?!」

「いや、大丈夫です。性的なものでなければ気になりません」

「そっか、よかった……」


 史狼は思わず吹きだした。きょとん、と宮川が首をかしげている。史狼の右手は、まだ彼女の手をつかんだままだ。そこは意識が向かなかったらしい。


「すみません。手、つかんだままで」

「あ! ああ、そっか! そうですよね、気持ち悪いならつかんでないか……って、え? 何でつかんでるんですか?!」

「宮川さんて……なんか面白い人ですね」

「へっ? 面白い……? いつもくそ真面目だって、兼森さんから言われてますが」


 声を立てて笑い、史狼は彼女の手をはなした。宮川はぱちぱちと瞬きしている。それからふと思い出したように、ぺこりと頭を下げた。


「誤解してすみませんでした。大上さんの気持ち、少し分かる気がします。わたしも……その、胸が目立って……けっこう揶揄われたり……嫌な思いもしてきたので。そういう目で見られるのが嫌な気持ちは、分かると思います」

「あ、あのときはすみません」

「え? いつ?」

「警視庁で会ったときです。でも俺、ほんとにやらしい気持ちはなくて。ちょっと目についただけで……」

「ああ、あのとき……っていうか大上さん! やらしくてもやらしくなくても、あんなあからさまに、人の身体をじろじろ見ちゃダメです!」

「……ですね。すみません」


 弟を叱る姉のように、宮川は頬をふくらませた。史狼が首をすくめると、優しい笑みが返ってきた。



 その日は朝から雨だった。


 水滴を孕んだ空気は重く、窓の外では通行人が傘を持って歩いている。赤、黒、青、緑……宮川は両手で上腕をこすった。店内は冷房がよく効いている。スーツを着ていても、こんな雨の日には肌寒い。

 待ち合わせの相手は、笑顔で正面の席についた。


「お待たせしてすみません、宮川さん」

「いえ、わたしも来たばかりですから……一色さん」


 宮川が話を終えると、一色は表情を曇らせた。

 一色の言葉に、宮川は笑って首を横にふる。

 少しの沈黙。また一色が口を開いた。

 宮川の顔に、次第に迷いがあらわれる。

 一色がテーブルに身を乗りだした。

 彼女の耳元に唇を寄せる。


「~~~~~~~~~~~~、ね、宮川さん?」

「……ですが」

「もちろん、何を選ぶかはあなたの自由です。誰を信じるのか、も」


 一色はカップの持ち手をつまみ、優雅に紅茶を飲んだ。ふわりとレモンが香る。宮川の右手は、ずっとストローを弄んでいる。中身はまるで減っていない。彼女の左手が、スーツのポケットをひと撫でする。

 宮川は蒼ざめた顔で、目の前の男に視線を上げた。


「…………分かりました」

 彼女のアイスカフェオレは、氷が溶けかけ、どろりと濁っていた。

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