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サイコとおおかみ -エリート刑事は殺人鬼?-  作者: 左京ゆり
第三章 暴走車 × 暴走者
19/50

3-3 俺に嫉妬してるんですか

 数秒、数十秒のあと、最上の手から解放された。荒い呼吸を繰りかえし、史狼はソファに座る男をにらみつけた。


「なにするんだ! 殺す気か!」

「殺すなら本気で絞めてるよ」

 すげなく返して、最上は煙草に火を点けた。

「……くそ。サイコパスが」

「だからそう言ってるじゃないか」


 ひょうひょうと眉を上げ、最上は棚から灰皿を取りだした。

 とん、と陶器が鳴り、灰が落とされる。


「疑ってるって? 一色じゃなくて俺を?」

「そうだ。いや……一色さんも、だね。ここに引っ越してきた時点で、彼はもうほぼクロだ」

「あいつが怪しいなんて今さらだろ? 俺もあいつと同じ、飛び降り事件の容疑者だって? まだ疑ってるのか?」

「あの事件じゃない」

 ふっと煙を吐いて、最上は彼に目をすえた。

「これから起きる事件のことだ」

「……は?」

「きみは……僕を殺したいんじゃないのか?」

「……はっ?! なに言って」

「…………なんてね。……冗談だよ」


 つまらなさそうに呟いて、最上は視線を外した。


「宮川は僕が対処するから。史狼くんはうちにいなさい」

「だから宮川さんは関係ないって」

「嫉妬してるんだろ、きみに」

 言葉の意味が分かるまで、史狼は何度もまばたきした。

「……はあ?」

「僕と関係を持てば、もう史狼くんのことは気にしないだろ」

「……はああ?!」

「そんな大きな声だすなよ」


 最上が眉をひそめ、灰皿に煙草の先を押しつける。とっさに史狼はその腕をつかんだ。当然のように、なんの感情も湧き上がってはこない。この胸にあるのは自分の戸惑いだけだ。


「関係って……え? あんた、宮川さんのことが好きなのか?」

「好きじゃない」


 さらりと言って、最上は彼の手をテーブルに退けさせた。


「きつく掴むなよ。しわになるだろ」

「好きじゃないって……」

「人間としては信頼してる。部下としても、真面目で仕事熱心で申し分ない。恋愛で、という意味だ」

「じゃあなんで」

「きみに嫉妬してるんだよ。僕と寝て自分のほうが優位だと思えば、そんな気も失せるだろ?」

「はあ? だからなんで俺に? あんた、好きじゃないのに宮川さんと付き合うのか?」

「なんでって……まあいいけど。宮川と付き合う気はないよ。結婚を期待させたら悪いだろ?」

「それって……ただのセフレじゃないか」

「なにか問題が?」


 史狼はあきれて男をながめた。噛み合っていないのは、倫理観なのか何なのか。


「結婚を考えてる相手でもいるのか?」

「いないよ」

「じゃあ付き合ってみたらいいじゃないか。結婚したくなるかもしれないだろ?」

「結婚するなら、仕事と僕の人生に有利な相手がいい。好きとか愛とかで選ぶ気はない。だから宮川とは結婚しない。他の女たちとも」

「あんた……けっこうクソだな」

「……恋愛感情がないのに、どうやって恋愛しろって言うんだ? 僕にとっては、結婚も仕事も同じだよ。就職だって自分に有利な会社を選ぶだろ? それと何が違う?」


 史狼はなにも返せず、口をつぐんだ。

 ……そうだった。

 こいつは感情がないんだった。


「きみだってある意味、僕と似たようなもんだろう? 他人と距離を置いて生きてきて、誰かと親密になるつもりもないくせに」

「……まあ……そうですけど」

「じゃあ、話はこれで終わりだ。宮川のことは僕にまかせなさい」

「俺が対処します」

「え…………史狼くん、宮川と寝るの?」

「は? なに寝ぼけたこと言ってんですか。俺が宮川さんを説得しますから、あんたは手を出さないでください」

「説得なんて出来るのか?」

「やりますよ」


 最上は新聞を折りたたみ、重ねてテーブルに置いた。ソファから立ち上がり、灰皿を手にした。腰をかがめ、史狼の顔をのぞきこんだ。


「期待してるよ、史狼くん。失敗して、寝ぼけた僕に寝首をかかれないようにね?」


 トントン、と指先で、リズミカルに史狼の首すじを叩いてから、最上は玄関に消えていった。少し遅れて扉の閉まる音がする。


「なんだよ……大人げないな」


 さっきの言葉を根に持っていたらしい。史狼は長々と息を吐き、ソファに倒れこんだ。

 一体なんだったんだ? 俺が最上を殺したい? 最上が俺を殺したいの間違いじゃないのか? スマホの鏡アプリを起動させ、自分の首を映してみる。くっきりと指の跡が残っていた。殺意じゃないなら牽制だろう。冗談だと最上は言ったが、とてもそうは思えない態度だった。バラルの一件で、多少は気を許していたのだが……やはりよく分からない男だ。史狼は寝室の扉をじろりと見た。



 目の前でもう一分半ほど、宮川が目を伏せている。


「同居は続けます」と史狼が告げた途端、この席だけ時間が止まったかのようだ。

 ピアノ曲が流れる店内は、ときおり離れた席から客の話し声や、キーボードを叩く音が聞こえてくる。しかし遠い波のようで、すぐにBGMにまぎれてしまう。二人が座っているのは、一昨日と同じ喫茶店の同じ席である。今日は夕食と重なる時間帯だが、立地柄か、店は程よく混んでいる。


「……どうしてですか? この前は同意してくれたのに」

「最上さんから止められました」

「嘘っ‼」


 がば、と顔を上げ、宮川は声を荒げた。店員や他の客たちが、こっちを盗み見る気配がする。宮川は肩をまるめ、「……すみません」と消え入るような声で言った。


「なんで嘘だと思うんですか?」

「……あなたが」

「俺が?」

「……あなたが嫌なんでしょう?」

「嫌って?」

「……あっ……あなたが…………主任から離れるのが嫌なんでしょう!」


 宮川は苛立つように、史狼の腕をつかんだ。

 史狼は額にしわを作った。

 ……どろどろと濁った感情が。

 ……腹の底から、

 ……湧いてくる。

 軽い吐き気をおぼえながら、史狼は苦笑いした。

 なんだ。最上が言ったとおりなのか。

 ……この感情は。


「俺に嫉妬してるんですか、宮川さん?」

「なっ……‼」

「なんで嫉妬してるんですか? 俺が最上さんと同居してるからですか? 宮川さんもあの人と暮らしたいんですか?」

「……っ‼」

「一緒に暮らしたら地獄ですよ」

「……っえ?」

「あの人すごい人使い荒いですから。いくら俺が秘書だからって、こき使いすぎですよ」

「え……? 秘書?」

「みたいなもんです。俺が警察官になりたいって言ったら、まず適性を試してやるって。同居人なんて言っても、ただの秘書、っていうかパシリですよ。宮川さんも一緒に暮らして仕事のスキルを盗みたいんでしょ? 技は教わるな、見て覚えろ、って言いますもんね。だけど仕事中だけで十分ですって。二十四時間一緒にいたら、ワーカホリックで気が狂っちゃいますよ、絶対」


 史狼はふっと息を吐きだした。宮川の濁った感情が少しだけクリアになる。このまま納得してくれないか、と祈ったが、宮川はゆるく首を横にふった。


「……嘘。大上さん、あなた……主任のことが好きなんでしょう?」

「はあ?」


 素で声が出てしまった。あいつのことが好きなのはあんただろ、と勝手に動きそうになる口を、史狼はぐっと引き締める。宮川の感情にふれて、そういう類の話なのか、とようやく史狼も気づいていた。だから話を逸らしてみたのだが……きっぱりと直球を投げられてしまった。


「いや、まさか。ぜんぜ……ん……」


 史狼はかっと目を見開いた。

 自分の腕をつかむ宮川の手を、反射的につかみ返す。

 宮川が驚いたように目を丸くする。

 その黒い目を史狼はにらみつけた。


 いや、彼がにらんでいたのは、宮川でも、その目に映る自分でもなく……宮川の心に浮かぶ男だった。

「…………宮川さん。一色さんから何を聞かされたんですか?」

 史狼の手の下で、細い指先がぴくりと震えた。

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