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サイコとおおかみ -エリート刑事は殺人鬼?-  作者: 左京ゆり
第三章 暴走車 × 暴走者
18/50

3-2 だめだよ

 午後二時にスマホのアラームが鳴る。史狼はテーブルに腕をのばし、ぱたぱたと振ってスマホをつかんだ。部屋がしんと静まりかえる。遮光カーテンの隙間から、光の帯がちらついている。穏やかな平日の午後だった。スマホを見て、史狼は首をかしげた。見知らぬ番号の着信が残っている。



「突然すみません」


 宮川は早口で言い、深々と頭を下げた。

 つられて史狼もお辞儀して、カフェオレをひと口飲んだ。指定された待ち合わせ場所は、東京メトロの有楽町駅からすぐの喫茶店だった。


「わたしが呼び出したのに、近くまで来てもらってごめんなさい」

「いいですよ。職場もそう遠くないんで」


 からからと氷がぶつかる。宮川は落ち着かない様子で、アイスコーヒーをかき混ぜている。ゆったりと広い店内は、座席間隔も広く、周囲の会話は聞こえづらい。禁煙の赤いソファ席には、パソコンを開いているサラリーマンや、年配の客がちらほらといた。

「それでご用件は? 先月の事件のことですか?」

 宮川と会ったのは、警視庁で動画を見たときと、面通しのときの二回だけだ。あの事件以外の用件は、取り立てて思いつかなかった。宮川はためらうように、首をゆっくり横にふった。

「じゃあ何の……」

「突然ごめんなさい。大上さん、あの……あのですね。主任、いえ、最上さんと同居してるって……ほんとですか?」

「はい、してますけど」

「あの…………あのっ、止めて……くれませんか?」


 史狼の視線に、氷が乾いた音を立てた。




「止めるって、同居をですか?」

「……はい」

「俺にあのマンションを出ていってほしい、ってことですか?」

「……そうです」

「……なんで」


 宮川は口をつぐみ、ストローをくわえた。

 白いストローが茶色に染まっていく。


「…………噂が」

「噂?」

「……はい。噂が……立つんじゃないかと。心配で」

「噂って……何のですか?」

 宮川は怒ったように彼を見据えた。

「その……その…………主任によくない噂です」

「よくないって?」

 なぜか顔を真っ赤にして、宮川は金魚のように口を開いた。

「だっ……だから……そのう……つまり……警察官として出世に響くというか」

「……ああ。俺が警察の秘密を漏らすんじゃないか、とか。そういうことですか?」

「そっ、そうです! そうです‼ そういうことです‼」


 宮川はほっとした様子で、首をぶんぶん縦にふった。


「大上さん、ご存知ですか? 警察官は原則として同居は禁止なんです。情報漏洩の危険もあるし、男女だったら、その……倫理的な問題もあるので」

「倫理的な?」

「……結婚前の同棲なんて、いまどき珍しくないと思うんですけど。警察官はそういう価値観が半世紀前から変わらないというか……厳しいんです。同棲とか……それに同性同士の恋愛とかも」

 ちら、と意味ありげに顔を見られる。

「そうなんですね。知りませんでした」

「はい。だから……同居は止めてくれませんか? 噂が立ったら、主任が悪いわけじゃなくても、口さがない人はいると思うんです。嫌なんです。そんなことで主任の足が引っ張られるのは」


 ウサギのような黒い目が潤んでいる。そうだ。この人はあの男のことが好きだったのだ。どのみち、史狼が望んだ同居ではない。この暮らしに少しずつ馴染んではいたが、宮川の言い分も理解できた。


「分かりました。それなら出ていきます」

「え……えっ、いいんですか?」

「出ていった方がいいんでしょう?」

「はい……はい! そうです」

「なら出ていきます」

「ありがとう……ございます。突然すみませんでした。大上さん、あの、このことは…………いえ、なんでもありません」

「話しませんよ、最上さんには」


 宮川はきまり悪そうに、ぽつんと「ありがとう」とつぶやいた。



「だめだよ」


 抑揚のない声で、ひと言で返される。

 昨日は宮川と別れて、そのまま仕事に行った。早朝にマンションに戻ったら、数日ぶりに最上がいた。史狼はさっそく「出ていきたい」と切りだした。そして、にべもなく断わられたのだ。

「捜査には協力します。でもそれだって、もう一ヶ月近く経つけど一度もないじゃないですか。用があったら呼んでください。やりたくはないけど、やらなきゃ警察庁に売る、って言うなら約束どおり協力しますから。だから同居じゃなくてもいいでしょう?」

「だめだよ」


 カップを手に、最上は居間にやってきた。バルコニーに近い、一人掛け用のソファに腰を下ろす。黒い革製のそのソファが、最上の定位置である。テーブルにカップを置いて、代わりに新聞を取り上げる。紙媒体で二誌、デジタルで三誌とっているらしい。かさかさと捲る音がする。もう話はすんだ、と言わんばかりだ。


「警察官の同居はまずいんだろ?」

 グレーがかった紙面の上から、ちらりと視線を寄こされる。

「許可は取ってある。問題ないよ……それで? 誰がきみにそんな話を?」

「誰がって……別に。たまたまネットで見ただけで」

「昨日の夕方は、宮川を見かけなかったけど」

「……へえ、そうですか」

「史狼くんは、わりとしらを切るのが上手いよね。やっぱり刑事に向いてると思うけど」

 紙面を捲りながら、最上がくすくすと笑っている。史狼はむっとして身を乗りだした。

「とにかく、出ていきますんで」

「だめだよ」


 わずか二、三秒の出来事だった。最上は新聞を置くと、左手をテーブルについて、右手で史狼の首をつかんだ。食いこむ指は思いがけない強さで、息を吸うどころか吐くことさえ苦しい。


「あんた……なんっ……で」

「なんのための同居だと思うかい? 史狼くん?」

「……っぐっ……」

「ああ、すまない。これじゃあ喋れないね?」

 わずかに力が緩み、のどから笛のような息が漏れた。

「……あんたがっ……捜査に協力……することへの対価だと」

「なんだ。そんなこと本気にしてたのか?」

「ちがう……のかよ」

「きみを監視するためだよ」


 史狼は言葉を失った。

 声を出せないからではない。なんと返せばよいのか分からなかった。

 最上の目が、すいと細くなっていく。


「僕はきみを疑ってるんだよ、史狼くん?」


 澄んだ薄茶の双眸が、間近で史狼を見つめていた。

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