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サイコとおおかみ -エリート刑事は殺人鬼?-  作者: 左京ゆり
第二章 キャバクラ潜入
15/50

2-7 嫌いなん?

 事務室のロッカーから、黒のボディバッグを取りだした。背中にまわし、スチール製の扉を閉める。壁の鏡をちらと見て、史狼は後頭部のヘアゴムを外した。髪を撫でつける。母親に似た眉も目も、前髪で見えなくなる。ふっと肩の力が抜けた。


「お世話になりました」


 他の黒服たちに頭を下げると、「おー元気でな」「なんだ最後なのか」「おまえ髪上げときゃいいのに」と口々に声が返ってくる。史狼は笑って部屋を見まわした。奥のデスクは空席だ。できれば直接、店長にも礼を言いたかったのだが。いくらか名残惜しい気持ちで、史狼は事務室をあとにした。




 昨夜、最上との電話を終えて、史狼たち三人は警視庁にむかった。最上から組織犯罪対策部に引き継がれ、ナナは担当の刑事に自白した。同居人の遺体は、埼玉との県境で発見された。山腹に埋められていたという。ナナの彼氏は殺人と死体遺棄の疑いで逮捕され、ナナもまた犯人隠避の疑いで勾留されている。




 なんだかこの四日間、夢のなかにいたようだ。しんと静まったホールを、浮遊する感覚で歩いていく。週末でにぎわっていた店内が嘘のようだ。史狼はぴた、と足を止めた。扉の前に店長が立っていた。


「よお。ごくろうさんでした」

「短い間ですが、ありがとうございました。ご迷惑かけてすみません」

「ほんまやで。たった四日で騒ぎは起きるわ、ナナは捕まるわ」

「……すみません」

「ったく。うっとおしい髪しよってからに」

 くしゃくしゃと髪を掻きまわされる。史狼は黙って受け入れた。

 じいっと顔をのぞきこみ、店長が首をかしげる。

「嫌いなん? せっかくモテそうな顔しとんのに」

「……嫌いです。母にそっくりなんで」


 方がついた気安さから、つい余計なことを言ってしまった。史狼が眉をひそめていると、ぽん、と頭に手がのせられた。


「……あんま、自分のこと嫌いにならんほうがええでえ?」

 労わるような、優しい感情が湧き上がる。

 驚いて顔を上げると、いつものへらりとした笑顔があった。

「……ほんとに、ありがとうございました」

「あ~~、湿っぽいのはあかんて。ほら、もうええから、帰れ帰れ!」


 背中を押されて、ばたん、と扉を閉められた。



「おつかれ」

「……待ってたのか?」


 明かりの消えた階段の下で、まどかが足をぶらぶらさせている。史狼は扉を振りかえった。店長は知っていたのかもしれない。


「……辞めるんだ?」

「ああ。初めからその約束だったから」

 とん、と立ち上がり、まどかはワンピースの後ろをはたいた。今夜は巻いた髪をそのまま下ろしている。カールした髪がふわりとゆれる。

「ひと言もなしで消えるつもりだったんだ? 別にいいけど」

「連絡先は知ってるだろ?」

「知ってるけど……しないし。して欲しくないでしょ? あんたも。安心してよ、もう関わらないから」

「なにか困ったことがあれば連絡して。最上さんに伝えるし」

「……あの親切な刑事さんに? いいの?」

「ああ。心配だろ、ナナさんのこと」

「……うん、ありがと」


 肩に触れそうな手を、史狼は迷った挙句にひっこめた。まどかに触れたのは、感情を確かめるためだった。今はもうその必要もない。理由もないのに触れるのは、間違っている気がする。自分はただの知人なのだから。しかも彼女にとって好ましくない知人だ。

 史狼の態度に、まどかは皮肉な笑みを漏らした。


「……そっか。あんた、あたしのこと嫌ってたもんね。無理に慰めなくていいし。もう行って」

「え? 違うだろ? まどかが俺のこと嫌ってるんだろ?」

「は……? なに言ってんの? あんたが……あんたが! あたしを! 嫌ってるんでしょ?!」



 まどかに告白されたのは、高一の五月。連休明けの初日のことだった。揶揄われてるんだ、と史狼は思った。当時の自分は、重たい前髪に無口なキャラで、同級生たちから距離を置かれていたからだ。その日、まどかは彼の席にやってきて、ばん、と机をたたいた。なんだ? 俺なんかしたか? と身構えていると、「あんた、好きな人いる?」と聞かれた。質問の意味が脳まで到達する前に、「いるの? いないの? いないんだ? じゃあ、あたしと付き合ってよ」と、クラス中に聞こえる声でまくし立てられた。押し切られるように、史狼は彼女と付き合うことになった。正直、なにかの罰ゲームだろうと思っていた。一、二週間もすれば別れるんだろう、と。しかし史狼の予想にも、おそらく周囲の予想にも反して、付き合いは三ヶ月続いた。別れは突然やってきた。夏休みの終わりに、まどかの家を訪ねた日のことだった。




「あんた、あの日なんて言った?! 気持ち悪いって言ったでしょ‼ 脱いだあたしに気持ち悪いって……トイレで吐いたじゃんか! そんなにあたしのこと嫌だったんなら、やる前に言えばいいじゃん! それともなに? 嫌いな奴でも、やれたらラッキーだって思ってたわけ?!」

「いや……それはこっちの台詞だろ。まどかが俺のこと気持ち悪いって思ってたんだろ? 俺とやるのは嫌だって……だからあんな、ぐちゃぐちゃな気持ちで」




 あの日、ベッドに誘われて、史狼もその気になっていた。本音を言えばセックスは――というより、他人と触れ合うこと自体が――あまり好きだとは思えなかったが、まどかとなら出来るかもしれない、と思ったのだ。三ヶ月の付き合いは、そう思えるぐらいには楽しいものだった。まどかがオフショルダーのTシャツを脱いだ。彼女の肩はクーラーで冷えていて……冷たいな、と思った瞬間、史狼は吐き気に襲われた。まどかの心は、嫌悪と恐怖と不安が渦巻く、ジェットコースターのようだった。「気持ち悪い」とつぶやいて、史狼はトイレに駆けこんだ。部屋に戻ると、まどかはシャツとバッグを投げつけた。夏休み中にメッセージを送ったが、返信は一度もなかった。新学期が始まって……卒業までの三年間、史狼は学年中から無視された。




「ぐちゃぐちゃな気持ちってなによ! 適当なこと言ってごまかして……」


 史狼は華奢な手首をつかんだ。

 まどかの怒りが、心に湧き上がってくる。

 怒り。予想どおりだ。それから。

 …………悲しみ?


「……まどか? なんで……悲しんでるんだ?」

「は? べつに?! か、悲しんでなんて……ないしっ」

 史狼は心の底に潜るように、意識を集中した。

「困惑……焦り……」

「な……なに言ってんの、あんた」

「…………恐怖」

 目が合った。

 まどかは一歩、彼から下がった。

「あんた……そういやあの客にも、なんか色々言ってたけど……なんなの、ソレ? ……怖いんだけど」


 史狼は自嘲の笑みをうかべた。まどかの反応はごく普通のものだ。こんな呪いみたいな能力は、怖がられて当然なのだから。だけど……面とむかって言われると、けっこう刺さる。

 ふと最上の顔がうかぶ。

 試されて、脅された相手だというのに、あの男といるのは不思議と気楽だった。感情がないからか? いや、それだけではない。史狼は笑みをこぼした。最上の態度は、良くも悪くもぞんざいだった。取り繕うだけ時間の無駄だと思ったのだろう。史狼のことを、父は疎んじて母は怖がった。能力を知られた相手に、拒絶されなかったのは初めてだ。雑に扱われるのは、案外、悪くない。


 打ち明けてみようか。ふと史狼は思った。

 最上の態度は完全に予想外だった。まどかがどう受け止めるのかも、考えていても分からない。


「……………………俺、ちょっと人と変わってて。相手に触れたら、その感情がわかるんだ」

 不意打ちを食らったように、まどかは目をしばたたかせた。

「……は?」

「だからあの日、まどかに触れた途端に吐き気がした。まどかに対してじゃない。俺に対するまどかの感情が、気持ち悪かったんだ。まどかは……吐き気がするぐらい、俺が嫌だったんだって……そう思ってた」

「……あたしの感情が?」


 史狼がうなずくと、まどかはその場にしゃがみこんだ。


「…………なにソレ。共感覚……とか、そういうやつ?」

「あ……うん、まあそんな感じ」

 以前に調べて、それとは違うと思っていたが、あえて否定はしなかった。なにかのカテゴリに当てはめた方が、話が早いこともある。

「…………嫌ってないし、別に」

 小さな呟きがアスファルトに落ちる。

 史狼も腰をかがめて、視線の高さを彼女に合わせた。

「……怖かったから」

「俺が?」

「ちがう。…………初めてだったから。怖かっただけ」

「初めて……まじで? 俺てっきり」

「なによ」

「……や、あの……経験ずみかと」


 ぱんっ、と頭を叩かれた。

 真面目に痛い。


「怖かったの! めっちゃ緊張してたの! ドキドキしてすごい緊張して……そしたらあんたが、いきなり気持ち悪いっつって部屋とびだして……トイレから吐く声がして……まじかって思った! そんなに? そんなあたし気持ち悪いんだ? って……すごいショックだった」

「……ごめん」

「……っさい」

「……傷つけてたなんて思わなかった。ごめん」

「……うるさい。ばか」


 涙に濡れた目でにらみ、まどかは彼の前髪を引っぱった。


「うっざ。なんでこんな伸ばしてんの? 知ってた? あんた女子から隠れイケメンて呼ばれてたの」

「……は? 知らない」

「あたしと別れて、しれっと他の女と付き合うとか許せないって思って。夏休み中、あんたの悪口みんなに送ったの。盛れるだけ盛ってやった。そのせいであんた……高校生活、最低だったでしょ?」

 否定はしなかった。

「あたしのこと恨んでるでしょ? もういいよ、行ってよ。二度と会わないから」

「……なんで俺と付き合おうって思ったの?」

 当時は聞くことができなかった。その勇気がなかったのだ。

「あの…………隠れ……イケメン? だから?」

「あほか。自分で言うなばか」

「……ごめん」


 無駄に傷ついた気分になり、史狼は内心で自分をののしった。


「……入院」

「入院?」

「あんたのお母さん、入院してたでしょ? 連休前、T病院に」

「なんで……知って」

「うちの親父も入院してたんだ、循環器内科に。倒れた次の日、着替えとか持ってったら、受付であんた見かけたの。こっそり後つけてったら、心療内科の病棟で……」

「……後つけてたんだ」

「……それは言ってないよ。あんたのお母さんのことは、みんなには言ってない。ごめん……怖かっただけなの。うち父子家庭でさ。親父倒れて、もしこのまま一人になったらって……看護師さんが教えてくれた荷物つめながら、すごい怖くて。大病院なんか初めてで、一人ぼっちみたいな気分で……そしたらあんたがいたの。心強いってったら悪いけど……でも嬉しかったんだ。一人じゃないみたいな気分になれて」

「お父さん、今は?」

「元気! もうめっちゃ元気! 薬は飲んでるけど」

「ごめん……全然知らなかった」

「いいって。誰にも言ってないし……ほら、心配されるのも逆に気を遣うっていうか……重いって思われるのも嫌だしさ」

「……店長の言うとおりだな」

「は? なにがよ?」

「もっと周りに頼れ、って」

「今は関係な……」

「頼りにならなくてごめん」


 黒い大きな目が、ふいに柔らかくなった。


「あんたと寝たら話せるかなって。少しは素直になれるかなって思ったよ」

「……ごめん」

「別に。あんた悪くないし」

 まどかは立ち上がり、階段のほうへ歩いていった。クラッチバッグを持ち上げて、スマホを取りだした。

「送迎車も行っちゃったし。彼氏に迎え頼もっかな」

「彼氏いるんだ?」

「そう。先月キャバしてるのがバレて、大学の男に振られたんだ。その後に知り合った奴で、五つ上の会社員。味噌汁作り置きしてくれたりすんの。優しいんだ」

「いいじゃん」

「いいよ。……いいけど」


 スマホには触れず、まどかは史狼をじっと凝視した。


「…………その前に。あんたと再会できてたら……よかったのかな」

「仕事帰りに味噌汁作ってくれるような、いい奴なんだろ?」 

「……うん」

「大事にしろよ」

「……っさいな。……言われなくても分かってるよ」


 まどかはスマホをタップした。

 通話の声は、仕事中と同じように甘かった。


「来てくれるって。もう行っていいよ。ばいばい」

「来るまで待つよ。この時間に一人じゃ危ないだろ」

「大丈夫だってば」

「黒服だって言っとけよ。そんなの気にする男なのか?」

「……っとに。うっさいなあ、もう」

 苛立つように言い放ち、まどかは階段に座った。少し離れて立っていると、ぱしぱし、と隣を叩かれる。座れ、という意味らしい。史狼は距離をとって腰を下ろした。せっかく空けた距離を埋めて、まどかは頭を肩にのせてきた。

「おい……」

「いいじゃん。今日だけ。今だけだよ。酔ったのよ」


 史狼は退けようとしなかった。動物が気まぐれに懐くような、刹那的な甘さだった。なんの欲望も含まれていない。湧き上がる甘い感情は、ただ心地よいだけだった。


「……怖いんじゃないの、俺のこと」

「別に。よく分かんないから怖かっただけ。分かったし別に…………嫌いじゃないんでしょ? あたしのこと」

「うん」

「ならいいや」

「……今もわかるんだけど。まどかの感情」

「やだー見ないでよエッチ」

「そんな棒読みで言われても」

「……別にいいってば。共感覚? とかよく分かんないけど。みんないろいろ事情があるってことでしょ?」

「…………優しいんだな」

「は? なんて?」

「……なんでもない。俺も酔ったのかもな、って」

「はあ? 酒も飲んでないのに何言ってんの」


 史狼はなにも答えず、静かに笑った。隣で悪態をつきながらも、彼女の頭はまだ史狼の肩の上にある。昨夜ナナを抱きしめ、涙をこぼしていた彼女を思い出す。


 優しいんだな、まどか。

 史狼は心のなかで、こっそりと呟いた。

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