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サイコとおおかみ -エリート刑事は殺人鬼?-  作者: 左京ゆり
第二章 キャバクラ潜入
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2-6 ごめんね、わたしは知らないなあ

 ナナという女性は、一年前から店で働いているのだという。この春にまどかが入店して、最初に声をかけてくれたらしい。まどかと年齢も近く、互いに気が合ったそうだ。


「あたし、ヘルプだからどの派閥にも属してないんだ。だからそんな親しい子もいないんだけど、ナナは気さくに話しかけてくれんの。すごい優しくていつもニコニコしてて……でも先月からずっとソワソワしてて、なんか落ち着かなくてさ。彼氏がいるんだけど、別の男が気になってるんだって。その男が……ネパール人だって言ってた。彼氏の仕事関係で知り合ったって」

「彼氏の仕事?」

「……ヤクザだって」

 まどかの声が低くなる。心が不安に押し潰されそうだ。

「……ねえ。あんた、なにか知ってんの?」


 胸に湧き上がるのは、真摯にナナを思う感情だけだ。

 史狼は目的を打ち明けることにした。高校時代については、ひとまず保留にしておこう。



 そっと扉を開けて、史狼は胸を撫でおろした。よかった。事務室に店長はいない。昨日の今日で、まだ顔を合わせるのは気まずかった。


「おはようさん」


 わざと時間をかけて振りかえる。店長がいた。狐のような目が、笑うとさらに細くなる。史狼はぱっと頭を下げた。


「やっぱ昨日、新大久保いってもたわ。知ってんか? Bビルの二階になあ、めっちゃディープな店があんねん。ここ日本ちゃうやろ、ネパールやろっていう」

「……あの」

「なんや」

「昨日はすみませんでした」

「ああ?」

「余計なことを言って、ご迷惑をおかけしました」

「昨日は昨日ぉ~、今日は今日ぉ~」

 口ずさみながら通りすぎ、店長は音を立てて椅子に座った。

「……あ。せやけど、あの客の代金は給料から差し引くで? ノーチャージにしたし」


 顔を上げて言い、また鼻歌まじりでパソコンに視線を落とす。


「あの……店長」

「なんや? いやや言うても差し引くで?」

「いえ、それはいいです。俺が悪いんで。あの……ナナさんは今日も休みですか?」

「ナナ? ナナは~~~」

 デスクに置いたスマホを見て、店長はへらりと笑った。

「来るんちゃう? 欠勤の連絡もないし。いいかげん出てこな、罰金がえらいことになるで」


 どしたん、と首を傾げる店長に、愛想笑いでごまかした。



 店長の言葉どおり、ナナは八日ぶりに出勤してきた。色白で少し垂れ目の、可愛らしい女性である。週末でどのテーブルも賑わい、ナナはせわしなく動きまわっている。まどかが言うには、ナンバークラスのキャストで指名も多いらしい。声をかける機会など、まるでなかった。


 閉店後、新宿駅のそばの喫茶店にやってきた。この店を指定したのはまどかである。仕事終わりにナナを連れてくると言い、待ち合わせることになったのだ。営業が終了しても、黒服は片付けの業務が残っている。店長が途中で抜けさせてくれたが、まどかたちはもう奥の席に座っていた。


「すみません、お待たせしました」

「遅い」

「いいよ~、忙しかったでしょ? ほら、飲んで飲んで」


 ナナは笑ってメニュー表を開いてみせた。礼を言い、ホットのカフェラテを注文する。まどかとナナの前には、それぞれ、珈琲フロートとミルクティらしき物が並んでいた。


「珍しいな、24時間営業の喫茶店なんて」

「でしょ、便利なんだ。駅チカだし。たまに来て、朝まで話してんだよね」

 ね、とまどかが笑うと、ナナもにっこりとする。しかしよく見れば、目の下の隈が露わになっていた。

「でさ、どうしたの? 一週間も休むなんて。担当は夏風邪って言ってたけど……ほんとに?」

「……はは。なんかちょっと疲れちゃって」


 ナナはカップを包みこみ、ぼんやりと中身を眺めている。ようやく思い出したように、ひと口飲んだ。


「ナナさん。この男性を知りませんか?」

 史狼はテーブルにスマホを置いた。同居人の写真を見せる。

 ナナの目がはっと見開いた。

 しかしすぐに笑って、彼女は首を横にふる。

「知らない。ごめんね、わたしは知らないなあ」

 テーブルの上の、彼女の腕に手をのばす。

 史狼はその目をのぞきこんだ。

「嘘です。知ってますよね?」


 心が凍てつくようだった。

 叫びだしたい思いを堪え、史狼はナナから手を離さなかった。

 吹き荒れる。

 この胸に湧き上がるのは……なんの感情だ?

 荒涼とした。

 苦しい…………なんでだ?

 男が埋まっている。

 男が…………埋まって、いる?

 史狼はぎゅっと目をつむる。

 ああ…………この感情は。

 ……………………絶望か。


「…………ナナさん。この人は……亡くなってるんですか?」


 今すぐにでも泣き喚きたい。渦巻く感情が、史狼の胸を支配している。

 ナナは平然とした様子でカップを見つめている。心にこんな感情を隠しながら、そんな態度が取れるのか。さすがナンバークラスだな。頭の片隅で、どこか冷静な自分が考えていた。

 それでもナナの苦しみは、どこまでも湧き上がってくる。


「ねえ、ナナ……あんたやっぱり、なにか知ってるんでしょ? 話そ、ね? あんた……なんかいつもと違うもん」


 笑って首を横にふり、ナナはカップから手をはなした。ふっと真顔になり……彼女は静かにテーブルに突っ伏した。花柄のブラウスがかすかに震えている。声を殺して泣いているのだ。

 史狼はずっと彼女の腕をつかんでいた。


 一分、二分……掛け時計の秒針がまわっていく。


 おもむろにナナが顔を上げた。長く息を吐きだして、ハンドバッグから金の鏡を取りだした。ずれたつけ睫毛を剥ぎとっている。


「あーあ。やだな……顔、ボロボロだし」

 まどかがウェットティッシュを渡すと、「ありがとお」と受け取って、とんとん、と顔をこすった。

「きみ……オオカミくん、この人探してるんだ?」

「はい。俺の友だちの同居人なんです。一週間前から行方不明で」

「うん……知ってる。知ってるけど……」

「…………もう亡くなってるんですね?」


 ナナは子どものようにうなずいた。




 最初は彼氏が連れてきたんだ。ヤクをさばかせてる子たちの一人でね。純粋そうな子だったから、あんまり染まらないといいなって思ってたの。だんだん、彼氏がいない時も、うちに遊びに来るようになって。わたしのことが好きだって……彼氏がなにするか分かんないし、別れられないって言ったらさあ、一緒に自分の国で暮らそうって言うんだもん。びっくりするよねえ……ナガルコットって村の出身で、ヒマラヤ山脈が一望できるんだって。朝陽も夕焼けもすごいきれいなんだって。わたし、いいなあって言っちゃったの。いいなあ、そんな人生だったらよかったなあ、って言っちゃった。ばかだよねえ……そんな言葉本気にしてさあ。商売用のヤクを盗んで金を作るから、一緒に出国しようって。ばれるに決まってるじゃんね。彼氏、殺さないって言ったんだ。正直に打ち明けたら見逃してやるって……ばかだよねえ。わたしもさあ……そんな言葉真に受けるとか。ほんと……ばか。




 震える両手でカップを持ち上げ、ナナは口元に運んだ。

 まどかの手が優しく背中を撫でている。


「あんたは? 大丈夫だった?」

 ナナは薄く笑って、ブラウスの裾をめくってみせた。まどかが顔をこわばらせる。腹部から背中にかけて、青黒いあざが何箇所もできていた。

「商売道具だから。顔とか、見える場所には作らないんだ。ちゃっかりしてるよねえ」

「警察に行きましょう」


 ナナは黙ってカップを見つめている。


「自首しましょう、ナナさん」

「……今さらだよ。警察に言って、あの子がかえってくるんなら……捕まっても、わたしが死んでもいいけどさあ」

「その男と付き合い続けたいんですか?」

「……わたしも共犯だもん。あいつと離れて、今さらやり直しても」

「ナナさ……」

「やだよう」


 史狼は口をつぐみ、目の前の二人をながめた。

 ぼろぼろと涙を零しながら、まどかがナナに抱きついている。ナナは目を大きくして、されるがままになっていた。


「あんたをこんな傷つける男とかやだよ。あんた、あたしの恋バナも笑って聞いてくれたじゃん。振られたっつったら、一緒に怒ってくれたじゃん。こんなことされながら、そいつと付き合ってくとか絶対やだ。ナナはあたしよりずっといい奴だもん……絶対やり直せるし」

 ナナは駄々っ子をあやすように、まどかの涙をぬぐった。

「ありがと、蘭。でもさあ、あの子は死んだんだよ? わたしだけやり直すとかずるいよ」

「ばか! あんたがこのままだったら、その子も心配で成仏できないんだから!」


 真剣に怒るまどかに、史狼はふっと微笑んだ。そんな自分に驚いて、思わず口元を手でおおった。


「…………うん。そっか。そうかもね。でも警察って……どこに? わたしなんかの話、ちゃんと聞いてくれるかなあ」


 史狼はスマホを耳にあてた。深夜にも拘わらず、相手は数コールで応じる。今夜もまだ警視庁にいるのだろうか。刑事も大変だな、と軽い同情をおぼえた。


『どうした? 史狼くん』

『同居人の行方がわかりました』


 事のあらましを、彼は最上に報告した。

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