表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サイコとおおかみ -エリート刑事は殺人鬼?-  作者: 左京ゆり
第二章 キャバクラ潜入
13/50

2-5 黒服としては失格

 翌日もまた、スーツに着替えて出勤した。事務室の鏡に映るのは、前髪を後ろで留めた自分……母親にそっくりの顔だった。濃い茶色の眼、まなじりのくっきりとした二重、少し突き出した赤い唇と、細いあご……鏡のむこうで、その顔が自分を睨んでいる。史狼は後頭部に手をやった。ヘアゴムを外したい衝動に駆られ、すぐに首を横にふる。だめだ。ここにいる間は我慢しなければ。ふうと息を吐いて、史狼はロッカーを閉めた。


「おはようさん。早いなあ、感心感心~~~」


 テンション高く扉を開けたのは、店長だ。昨日、彼をバックヤードに案内した男である。出身が大阪だそうで、接客中のとき以外は関西弁を喋っている。奥のデスクでパソコンを開き、ふんふん~~と鼻歌を唄っている。史狼はその前に立ち、黒いスーツの肩に手をのばした。


「んん?」

「糸くずがついてます」

「ああ、ありがとお」

「店長」

「なんや」

「ネパール人を知りませんか?」


 ふわりふわりと感情が湧き上がる。

 美味そうな……カレー? スパイス? 口のなかに唾液が……。


「……店長、お腹空いてませんか?」

「せやねん! 今日寝過ごしてしもて、飯食い損ねてん。ゼリーでも飲も思てんけど……ネパールかあ。ええなあ。帰り、新大久保寄ってカレー食ってこかなあ」

「……いいですね」


 史狼は半眼になり、糸くずを捨てる仕草をした。扉に向かいながら、心のなかで呟く。いや、うん、良しとしよう。とりあえず店長はシロだ。

「せや、新入り~~オオカミくん! 一緒にどうや?」

「や、いいです」


 史狼はにっこりと笑い、扉を閉めた。このままでは表情筋がつりそうだ。



「やめてよ‼」


 音楽に混じり、悲鳴じみた声が耳に入った。

 史狼はホールに目を走らせた。テーブルのあちらこちらで、嬌声が上がっている。手を叩いているキャスト、笑い転げる若い男の客。赤ら顔の老年の男、その手を握って自分の膝に置くキャスト。その奥の席では、中年のサラリーマンに腕をつかまれたキャスト――まどかがいた。史狼は周囲を見まわした。あいにく、黒服たちは他のテーブルに散らばっている。店長も見当たらない。サラリーマンの男は、しつこくまどかに触れようとしていた。


 考えるより先に、足が動いていた。


 男の腕を引き寄せ、史狼は手首をひねり上げた。まどかが目を大きくしている。男の息は酒くさい。だいぶ酔っているようだ。


「ああ? なんだよ、おまえは」

「お疲れ様です」


 男がぐにゃりと顔をゆがめる。


「おまっ……なに馬鹿にして」

「会社で理不尽なことがあったんですね?」

「……はあっ?」

「理不尽で……腹が立って……でも我慢した。給料をもらってるから……ですかね。それでこの店に来て、すっきりしようと……キャストたちだって仕事なんだから、自分だって我慢したんだから……彼女たちだって我慢すればいいって……そういうことですか?」

「なっ……な……」

「我慢は……家族のためですか? 子どもがいますか? まだ小さい……不機嫌なまま帰りたくないから、どこかで気分を変えようと……優しいんですね」

「お……おまっ……なんでうちの……」

「でも彼女たちも、あなたの家族と同じ、人間なんですよ」

「は……?」

「あなたの理不尽をぶつければ、彼女たちだって傷つきます。それに彼女たちも今度は、自分の家族や幼い子どもにぶつけるかもしれない」

「な……」

「そうやって、結局いちばん弱い立場の人間が犠牲になるんです」

「…………」

「せっかくなら、楽しいお酒を飲みませんか?」

「……うるせ」

「申し訳ありません‼」


 男の手首を解放して、店長が床に片膝をつく。

 じろ、と見上げられ、史狼も同じ姿勢をとった。

 店長は深々と頭を下げた。


「物を知らない新人が、生意気なことを申しました。大変失礼いたしました」

「あ……ああ、そうだ。失礼だぞ」

「どうかまた日を改めて、お越し願えませんか?」

「ふん……いや……いい。もうこんな店はいい」


 史狼を一瞥すると、男はそそくさと席を立った。

 男を見送る店長が、背後を振りむき、あごをしゃくった。


【う・ら・に・い・け】


 口パクで伝えて、男とともに入口に消えていく。

 まどかの視線を感じたが、史狼はグラスを持ってカウンターに戻った。



「あほちゃうか。客に説教してどないすんねん」

「……すみません」

 店長のデスクの前で、史狼は頭を下げた。

「ああいう客はたまにおんねん。セクキャバと勘違いしてんねや。おさわりは禁止やっちゅーてんのに。なあっ‼ 蘭~~~‼」


 かた、と事務室の扉が開いた。まどかが居心地悪そうに入ってくる。ずっと扉の前にいたようだ。


「オレ、なんて言った? ん~~~?」

「……注意しても聞かない客なら、自分で何とかしようと思うな。席を立つか、近くの黒服に合図しろ」

「やんなあ? セクハラを我慢しろなんて言うてへん。せやけど、他の客もおるからな。騒ぎにして場が白けるのはあかんやろ、みんな楽しく飲んでんねやから」

「……はい。すみません」

「おまえはもっと人に頼れ。で、おまえは……黒服としては失格や」


 冷ややかに言われ、史狼はもう一度頭を下げた。彼とまどかを順に見て、「今日はもう帰れ」と、店長は手で追い払う。クビになるのはまずい。史狼の表情を読み取ったように、店長が口を開いた、


「オーナーの頼みやから、クビにはせえへん。けど、次はないで?」

「はい」

 すみませんでした、と謝って、史狼は荷物をまとめて扉にむかった。まどかはすでに部屋を出ていた。

「……人間としては正解。黒服としては失格」


 え、と史狼が振りむくと、店長は何食わぬ顔でパソコンを眺めていた。



 裏口から店を出ると、まどかの姿があった。

 言葉を探しあぐねる史狼に、彼女が口火を切った。


「……助けてやったとか、思わないでよ」

「別に思ってない」


 内心イラっとしたが、顔には出さないようにする。そのとおりだと思ったからだ。あの男の感情がわかって、つい余計なことまで喋ってしまった。やはり黒服か店長を呼びに行くべきだった。


「オーナーの頼みって……なんなの、あんた。ただのバイトじゃないわけ?」

「……そう」

「それって……この前の話となんか関係ある?」

 まどかが上目遣いでこっちを見る。気の強そうな顔はそのままで、しかし、声には不安が見え隠れした。史狼は彼女の肩にふれた。薄いショールを羽織っただけの肩は、ひやりと冷たい。

「やっぱり……なにか知ってるんだな?」

「…………ナナが。六日前から……ナナが休んでるの」


 長い睫毛を伏せて、まどかは声を震わせた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ