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サイコとおおかみ -エリート刑事は殺人鬼?-  作者: 左京ゆり
第二章 キャバクラ潜入
11/50

2-3 なんだかいろいろ、間違っている気がする

「大上史狼さん、二十歳だね。じゃ、今夜からお願いできますか?」


 目の前の男――日向虎雄ひゅうがとらお――はさっぱりと笑って、史狼に手を差しだした。三十代半ば頃の、白いスーツを着た、一見して堅気には見えない男である。金に脱色された短い髪はつんつん立って、目は据わり、名前のとおりトラを連想させた。とっさに手を握りかえすと、その笑顔と同じく、気安い歓迎の思いが湧き上がる。よかった、迷惑ではないようだ。史狼はようやく肩の力を抜いて、向かいに座る男に頭を下げた。




 店は新宿駅東口から徒歩五分、歌舞伎町のビルの二階にあった。約束の十分前、史狼は重たい気持ちで、通りを行きつ戻りつしていた。夕方のこの時間はキャッチの姿もなく、夜の街という雰囲気はさほど感じない。それでも心は憂うつだった。約束の五分前、もう逃げられないと覚悟を決めて、史狼はビルの階段を上がった。


 開店前の店内は明るかった。大理石の床に、深紅の絨毯、緩やかに湾曲する白いソファ席に、黒光りする丸テーブル、極めつけは、天井から吊るされたシャンデリア。まるで高級ホテルのような内装である。自分と同じ、黒いスーツを着た男たちが、てきぱきと動きまわっている。想像よりも普通だな、というのが最初の印象だった。それもそうだ、客にとっては非日常でも、従業員にとっては日常なのだから――などと考えていると、一人の男が近づいてきた。狐のような目をした、白抜きの短髪の男である。へらりと笑う男に用件を告げると、バックヤードに案内されたのだ。




 面接は形だけの簡単なものだった。普段は店長が行なうが、最上の紹介ということで、オーナーの日向が顔を出したらしい。

「すみません。俺、今日は他の仕事があるんです」

 え、そうなの? と日向は首をかしげて、スマホを耳にあてた。数コールのあと言葉が交わされ、「はい」とスマホを手渡される。


『やあ、史狼くん』

『最上さん?!』

『倉庫のバイトなら、一人休んでも何とかなるだろう? 身内が倒れて一週間ぐらい帰省するとでも言えばいい』

『いや、そりゃ、シフトは一人じゃないから何とかなりますけど……でも迷惑ですし……っていうかそもそもこっちの仕事だって、一週間で辞めたら迷惑でしょう』

「あ、話はついてるから。うちは大丈夫」

 日向はひらひらと手を振って、人懐こい笑みをむけた。

『バラルさんを助けたいんだろう?』

『はい……でも、それとこれと何の関係が』

『捜査情報は漏らせないけど、ヒントはあげたよ。あとは自分の能力で何とかしなさい』

『は?! 最上さ……』


 耳に響くのは、無機質な機械音だった。

 史狼はスマホを持ち主にかえした。


「ほんとにいいんですか? 俺、目的を果たしたら、すぐに辞めるつもりです」

「いいよ。最上とは知り合いでね。警察とこの商売と、持ちつ持たれつって感じでやってるから。詳しいことはおれも聞きたくないし。みんなの士気が下がらないように、ま、いる間は必死でがんばって?」

 日向はにっと笑って席を立った。面談室の扉に手をかけて――はたと足を止め、史狼を振りかえる。

「あ、でもその前髪はだめ。どうにかしてね?」


 真顔で指をさして、扉の向こうに消えていった。



 薄暗い店内にシャンデリアが輝いている。EDMが大音量で鳴り響くなか、ときおりキャストの歓声や客の笑い声が聞こえてくる。カウンターの傍に立っていると、近くの席のキャストと目が合った。彼女は軽く右手を上げて、親指と小指だけを立てて下にむけた。史狼はしばし固まった。キャストたちは黒服に用事を頼むとき、ハンドサインを使うことが多い。音楽がにぎやかだし、会話を中断させずに済むからだ。


 ええと……あのサインは確か。史狼はテーブルに目をむけた。アイスを替えろ、だったな。ガラス製の容器(アイスペール)をカウンターに運び、新しい物をテーブルに持っていく。別のキャストが「オオカミ、モエ入れて」と言って笑う。もえ……燃え……萌え……いや違うだろ。モエ……シャンパンだったな。史狼は再びカウンターに行き、氷で冷やされた緑のボトルを運んでいく。小太りのサラリーマンが、史狼を見て囃し立てる。「なんだあ、こいつ、オオカミなのかあ?」「そうそう、木原さん、この子ねー、オオカミなんだって」「おいオオカミ、おれのメグに手え出したらタダじゃおかねーぞお!」「やあだ、木原さんかっこいいー守ってえ」「あたしもあたしも」引きつった笑いを返し、史狼は逃げるように持ち場に戻った。


 …………なんだかいろいろ、間違っている気がする。


 開店から二時間しか経っていないが、史狼はどっと疲れていた。倉庫のバイトの比にならない。今のところ、テーブルとカウンターを往復しながら、トレンチ――盆のことをこう呼ぶらしい――を運び、灰皿を替えているだけだ。これは一種の潜入捜査だ、と史狼は自分に言い聞かせる。同居人の行方の手がかりが、この店にあるのは間違いない。なにがどうヒントなのかは、さっぱり分からないが。史狼は目だけでホールを見まわした。


 キャスト、黒服、それとも客か? 誰がヒントなんだ?


「ねえねえオオカミ、今夜ヒマ? 上がったらあそばない?」

 すれ違いざまに、キャストが耳元でささやいた。驚く史狼に、ふふっと笑って去っていく。耳たぶに触れた唇からは、どろりとした欲望が感じられた。……さっさと解決して、一刻でも早くここから立ち去りたい。吐き気に口元を押さえていると、背後から声をかけられた。


「オオカミ、ぬれしぼちょーだい」

「はい、取ってきま……」


 視線の先にいたのは、今夜、初めて言葉を交わすキャストだった。仔馬のような目が印象的な、栗色の髪をサイドアップにした華やかな女性。史狼は彼女のことを知っていた。彼女も史狼のことを知っているはずだ……前髪をハーフアップにした黒服姿で、高校時代の見た目とは違っていても。


「ひさしぶりだね、史狼。で? あんたこんなとこで何してんの?」


 目の前にいるのは、片桐まどか。

 史狼の高校時代の同級生。

 そして……元カノだった。

・ぬれしぼ:濡れたおしぼりのこと。店によってはそのまま「おしぼり」と呼ぶことも。乾いたおしぼりは「かわしぼ」、冷たいおしぼりは「つめしぼ」と呼ぶ。

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