2-1 家族が味方だとか、思ってないんで
バラルの話を要約すると、こういうことだった。
一昨日、バラルが学校から帰るとアパートに刑事たちがいた。同居人のネパール人青年が、麻薬の密売容疑をかけられたらしい。同居人はその前日からアパートに帰っていない。バラルは任意同行を求められ、刑事たちから事情聴取を受けたそうだ。
「それで? どうしたんだ?」
「自宅に戻されたけど同居人は行方不明で、まだ見つからないそうです。それでバラルが、同居人の行方も心配だし、自分も共犯と疑われて強制送還されるんじゃないか、って怯えてて……」
最上の足元には、黒いボストンバッグが置かれている。捜査が長引きそうなので、今朝は着替えを取りに戻ったらしい。とはいえ、コーヒーを一杯飲む余裕はあるようだ。台所でエスプレッソマシンが音を立てている。史狼の脳裏には、不安そうなバラルの顔がちらついていた。カフェラテのカップを置いて、台所に目をむける。刑事の最上なら、なにか助言をくれるだろうか。都合のいい考えだ。逆に弱みを握られるかもしれない。だけど、と史狼は空っぽのカップを見下ろした。少なくとも、あの夜以来、最上の言動に悪意は感じられなかった。
ふいに最上と目が合った。「どうかしたかい?」と尋ねられ、史狼は昨夜の話を切りだしたのだ。
「無実なのか?」
え、と聞き返す史狼に、最上はこっちを見ずに答えた。
「そのバラルという同僚は、ほんとうに共犯じゃないのか?」
「まさか! 違いますよ!」
「絶対に? 断言できるのか?」
厳しい声音で問われ、史狼は口をつぐんだ。
絶対にバラルが無実だと……断言できるか?
無実であると思ってはいる。
思ってはいるが……。
「その男はきみの親友なのか? 史狼くんはそいつのことを、よく知ってるのか?」
「親友……じゃないです。バイトの同僚ですけど。でも……」
「無実だと断言できるなら、協力してもいいよ」
「ほんとですか?」
ああ、と応じて、最上はシンクに腰をもたれた。カップを口に運んでいる。
「でも……そんな簡単に断言はできません」
「真面目だな」
「あんたの言うとおり、俺はバラルについてそんなに知らない。だけど信じてはいます」
「信じてるだけじゃどうしようもない」
「じゃあどうやって……」
「能力を使えばいいだろう?」
冷ややかな目で見られ、史狼は唾を飲みこんだ。無性にのどが渇いてテーブルに置いたカップに目をむける。カップは空で、底に茶色い輪がこびりついているだけだ。
「……嫌です。バラルの感情を確かめるなんて。信用してないみたいじゃないか」
「信用してないんだろう?」
「信じてはいます」
「絶対に無実だと断言できない程度には、信じてないんだろう?」
ひと息でカップを空けて、最上は蛇口をひねった。
「それを言うなら……自分以外の誰にも、絶対なんて言えないだろ」
「そうだよ。身内だって、裏切ることもあるからね」
水の流れる音、続いてシンクの鈍い音がする。だけど余計な音はしない。最上の食器の洗い方は静かだった。
「それは……分かる気がする。俺も家族が味方だとか、思ってないんで」
水音が止まった。最上はなにも言わずに、微笑みを向けた。
「でも勝手にバラルの感情を確かめるのは、覗きみたいでずるいと……」
「ずるいも何もない。テストじゃないんだ。ルールがあるわけじゃない。持ってるものは何でも使えばいいだろう?」
スーツの上着を羽織り、最上はボストンバッグを持ち上げた。
「助けたいなら、能力を使いなさい」
低く言い残し、最上は玄関をあとにした。
◆
その日の休憩時間も、バラルは相変わらず顔色が悪かった。心なしか頬もこけて見える。「食べてるのか?」と尋ねれば「食欲がないんだ」と返ってきた。史狼は二杯目のカフェオレを手に、またベンチに腰を下ろした。業務に戻るまであと十分。いいかげん話を切りださなければ、休憩が終わってしまう。
「同居人の行方、分かったか?」
「……分かんない」
目をしょぼしょぼさせて、バラルがため息を吐く。
その丸くなった背中に手をのばした。
「気を落とすなよ。大丈夫だろ、おまえはそいつが密売してたなんて、全然知らなかったんだろ?」
「うん。ほんとに全っ然、知らなかった」
戸惑い。驚き。後悔。悲しみ。怒り。
そんな感情が、ごちゃ混ぜになって湧き上がる。
胸が掻き乱されて、史狼も苦しくなった。
「そいつの行方、見当はつかないのか?」
「刑事さんにも聞かれたけど、全然分かんないんだ」
不安。心配。恐れ。
次から次に感情が湧いてくるが、悪意や後ろめたさはない。
史狼は罪悪感を覚えながらも、とどめを刺すことにした。確証がほしい。
「……バラル、正直に言ってくれ。実は共犯なんじゃないか?」
「…………兄貴」
顔に浮かんだ表情も、心に湧き上がる感情もまったく同じだった。
傷ついた。
悲しい。
ただ、それだけ。
バラルの感情には、何ひとつ疚しさはない。
無実を確かめるためとはいえ、史狼は自己嫌悪をおぼえた。
「冗談だ。そんな顔するなよ」
「……へっ?」
「おまえは麻薬の密売なんてガラじゃないだろ。あんまり深刻な顔してるから、ついな」
「兄、兄貴~~っ‼ なんだよもう~~‼ 人が悪いぞ‼」
大げさに笑い声を立て、史狼はバラルの背中をたたいた。
「助けてやるよ、バラル」
「へっ?!」
「俺、知り合いに刑事がいるんだ。同居人の行方とおまえが無実だってこと、調べてもらえないか頼んでみるから」
くりっとした目が丸くなり、バラルの顔がぱああああっと明るくなった。
「兄貴~~~‼ 人が悪いとか言ってごめん‼ めっちゃいい奴~~~‼」
痛いぐらいに抱きつかれて、史狼は苦笑いする。心がぽかぽかと温かい。それはバラルの感情だった。自分の心はまだちりちりと痛んでいる。罪悪感は消えないが、これで少しだけ帳消しにしてくれ、と史狼は思った。
◆
休憩が終わる直前に、最上にメッセージを送った。バラルが無実だと報告する。返事を見る間もなく業務に戻り、深夜を越えて翌朝になった。
スマホを見ると、メッセージが届いている。
史狼は眉をひそめ、じっと画面を見つめた。南砂町駅という言葉と、三桁の文字と数字の組み合わせ。あとはWebサイトのURL。書かれている内容はそれだけだ。URLをタップすると、白と金を基調とした煌びやかなサイトに繋がった。
【キャバクラ LUX】
史狼は狐につままれたような気分になる。……なんだこれ? メッセージをスクロールしても、他には何も書かれていない。文字と数字はおそらく、南砂町駅のコインロッカーの暗証番号だろう。どこか落ち着かない思いで、史狼は職場をあとにした。
小サイズのコインロッカーには、紙袋が一つ入っていた。開いてみると、黒のスーツの上下だった。おまけに革靴にシャツ、ネクタイまでもが揃っている。袋の底には、名刺が一枚置かれていた。
エスタブリッシュグループ
オーナー 日向虎雄
裏面に走り書きの文字がある。【面接 本日17時】この筆跡には見覚えがある。几帳面に整った、最上の文字だ。名刺を、それから紙袋の中身を、史狼は食い入るように見つめた。これは……つまり……なんだ? ……俺にキャバクラの黒服になれってことか?
史狼は思わず目を閉じた。とんでもないことに、なってしまった。