第6話 白服の青年
「それじゃあ、晴れて只見君は今日で退院、いや退所だ。やっぱり何もなかったね。よかったよかった」
翌日の朝9時頃。
明美は部屋で春乃にそう告げると、彼を強化ガラスの壁から解放した。この2日の間は病衣しか着ていなかったので、帰宅の為に私服に着替えた。
「只見君、この後私が車で送るよ」
「え、でも先生まだ仕事が」
「いいのいいの、遠慮しないで。仕事サボれるからラッキ、ンンッ、何でもない」
「言い掛けましたね」
「ま、まあ少し君のいた部屋の整理とか確認とかしなきゃだから先出てて」
春乃は「分かりました」と返すと、言われた通りに部屋の外へと出た。
彼のいた部屋は研究所の3階に位置しており、窓から差し込む光は廊下を照らしている。
どこで待とうかと彼は一瞬考えたが、扉のすぐ横の壁に背中を預けることにした。
「......」
廊下の雰囲気は至って静かだった。廊下に彼以外誰もいないからだろう。話している者もいなければ歩く者もいない。寂しいものだ。
そんな中、俺がいた部屋の隣の部屋の扉が開いた。すると、
「嫌ァ、嫌アアアッ!」
耳を針で刺すかのよう女性の悲名が上がった。
「やめてぇ! まだ、まだ生きれる! 生きれるからぁぁ! 嫌だぁ、死にたくな……!」
しかし、麻酔でも打たれたのか、悲鳴はすぐに落ち着く。
そして、開いた扉から先日にも見た担架に拘束された白い肌をした襲人病患者が出てきた。
当然、拘束されている人物は女性へと変わっていたが、担架を運んでいく人達、拘束される姿、それらはあの時と同じだ。
運ばれていく女性は、麻酔の影響か眠りについていて、先程のような甲高い悲鳴を上げることはないようだ。
だが、泣き叫んでいたのか、目元と頬には涙が流れたような跡が残っていた。
女性は担架に乗せられたまま本人の意思に反して運ばれ、エレベーターへと姿を消した。
春乃はその光景を終始眺めていた。
特に何も思わず、無関心で、自分とは違う世界と認識したかったらしいが、どうやら無理だったらしい。辛いと思ってしまったが、そう思ったとしても、自分にはどうすることもできないことだと考え、割り切ろうとした。
その時だった。
「君はどう思う?」
「ッ!」
春乃は背後から声を掛けられた。
それは彼が初めて聞く男性の声だった。男にしては透き通った綺麗な声で、顔は見ていないが美男子なのだろうと頭の中で想像する。
春乃は振り返る。
そこにいたのは爽やかな笑みを溢す白服白髪の青年だった。
年齢は20は超えているのだろうが、その中性的な見た目からパッと見だと10代のように見える。想像通りの美男子だ。しかし、接着剤で顔の皮膚が固定されているかのように乱れることのないその笑みが、どこか不気味に思える。
「ねえ、君はどう思うの?」
「は?」
「だから、今のだよ。今の手遅れの人」
「今のって、あの」
「そうそう。それで、どう思った?」
青年は興味津々だ。
そんな青年のことを、春乃は少々鬱陶しく思いながらも、正直に答える。
「……見てて辛かったです。でも、俺にはどうすることもできないから」
「同情ってものかな?」
「……分かんないですけど、多分間違いではないかと」
青年は「ふーん」と期待通りなのか外れなのか分からない反応をする。すると、春乃を追い越し前に出る。
「襲人病の治療薬ができるまでの間、ここで入院してる人達は抑制剤で進行抑制で延命してるだけで、病状はどんどん悪化していく一方だからね。それでウイルスの進行が進んでいつ発病してもおかしくないと判断された人達は刑場で処分されちゃうんでしょう? 麻酔を打たれて眠らせた状態以外は、罪を犯した他の死刑囚と同じように殺される。この日本、予算削りすぎだよね。専用の刑場とか作ればいいのに」
不謹慎極まりない発言をする青年を、春乃は気味悪く思った。
「流石に言い過ぎでは? まるで死刑囚とウイルス感染者を同一存在のように言うのは、人前では控えた方がいいですよ。場合によっては反感を買いますからね」
春乃は警告する。今の発言は流石の春乃も我慢ができなかったのだろう。
しかし、青年は春乃の方に振り向き、逆に聞き返してきた。
「なんで?」
「え?」
「なんで反感を買うの? ただ自分の考えを述べただけなのに」
その彼の反応はまるで世間知らずな子供のようだった。また一般人の尺度を理解共感ができない富裕層のようにも思える。
「分からないんですか? 自分が今どんな発言をしたのか」
「だって、事実でしょ?」
「ッ! だとしても、言い方ってものがあるでしょう⁈」
「言い方? 何、それ。じゃあ正しい言い方でもあるの?」
「正しいって、その、もっとオブラートに包んだ言い方というか、遠回しに言うとか、ぼやかしながらとか」
「ふーん、じゃあそれが正しいの?」
「それは……世間ではそうなんです」
「世間? じゃあ世間がそうだったら何でも正しいんだ?」
「そ、そう言う意味でも」
春乃は次々と返されてくる質問に混乱し、戸惑った。それはまさしく無知な子供のように聞いてくるので余計にだった。
言い合いが続き、話の到達点が見えない中、青年はポツリと呟いた。
「なるほど。じゃあ世間は正しい、いや、世間が正しいんだ。世の中の、大多数の意見が強い。つまり、それこそが正しくて良いことなんだ。じゃあ、そうなると、僕の意見はどうなるんだろう? 僕の考えはどうなるんだろう? ねえ、君はどう思う?」
「ッ……」
話の規模が一気に拡大し、エスカレートしていくのが分かった。
そして、急な問い掛けに春乃は反応することができず、口を震わせた。
「フフッ。いやぁ、ごめん。馬鹿にしてるんじゃないんだ。そうだよね。急に聞かれたら戸惑うよね? いいよ答えなくても。でも僕はこう思うんだ。その理論が成立するのなら、それ以外は全て悪、悪いことになるんだって。単純だろう?」
「……は?」
何を、言っているんだ……?
春乃は理解ができず、間抜けな声を漏らしてしまった。
青年は春乃を置き去りにせず、分かりやすいように言い換え、続ける。
「つまり、君はこう言っているんだ。世の中が決めたことならなんでも正しい。それこそが“正義“。それこそが良いこと。つまりは正解。でももし、それ以外の意見を持ってしまったら? その意見に反感を覚えてしまったら? それはこの世の中では“悪“に分類される。悪、それはつまり悪いこと、つまりは不正解、間違い。勧善懲悪っていうんでしょ? うん、実に素晴らしくふざけたことだよ。じゃあもし、この世間の輪から外れてしまった人はどうなるのかな? 外れてしまった人は、何を思うのかな?」
再び問われる質問。春乃には当然、答えられるはずがない。
自分の流れで言ったことを事細かく解析され、それがどんなにおかしいことなのかを聞かされ、脳が意見、反論を作るのを放棄してしまっている。
それは反応速度、反射の低下に繋がっており、春乃はそもそも今、自分自身に聞かれていること自体を理解できていない。
つまり、聞くだけの脳になってしまっているのだ。
青年は俺の状態を見かねると、さらに続けた。
「答えは簡単だよ。“ふざけるな“。彼らは、自分達を否定されることに心底腹が立つだろうね。自分達の都合の良い尺度に合わせるなって、自分達の正義で勝手に悪を決めるなって。じゃあ、そんな人はどうなるかな? 人の中身は生まれた時から備わっている天然のもの、自然物だ。根本から変えるのは非常に難しくて、はっきり言って不可能。そんな人は、どんな末路を辿るのか。これは正直、人それぞれ。変えるのに成功する人もいれば、成功せずに無理矢理自分の考えを押し殺す人だっている。人によってその行き先は変わるよ。でも、少なくとも僕だったら……
自分の正解を取るかな?」
青年は言い終わりと同時に、今までの中で一番の笑みを溢した。
瞬間、空気が凍りついた。
背筋がゾクリとし、呼吸が速くなり心臓の鼓動が加速する。
(この感覚、どこか似ている……これはまるで、あの夜、あの襲人が近づいてくるあの感覚に、まるで……)
彼はただ笑っただけだ。そう、笑っただけなのだ。
それなのに、あの襲人と対面した時のような、いや、あれをも凌駕する恐怖に蝕まれる。
(死ぬ……死ぬ……死ぬ?)
何故自分は殺されると思うのか、何故死が近づいてくると思ってしまうのか。
分からない。春乃にはそれが何一つ理解できない。
「ッ……」
「……なーんてね。なんか、変な話しちゃったね。ごめんごめん。まあ僕が言いたかったのはさ、世の中には正しさが分からなければ、間違いも分からないってこと。だって、みんながみんな神様じゃないんだからさ。本当にごめん。試すような喋り方をして」
空気が温度を取り戻す。
脈拍が安定し、乱れる呼吸も正常に戻る。
間近に迫っていた死は、もう春乃の前にはいない。
青年は話が終わると、再び春乃に背を向ける。
そして首を動かして視線だけを俺に向ける。
「じゃあね、2人の天然の適合者の内の1人。また会える日を、楽しみにしてるよ」
そう最後に告げると青年は階段へと向かって歩き出した。
その瞬間だった。
部屋の扉が開き、部屋の確認を終えた明美が出てきた。
「よし終わった。待たせたね、じゃあ早速車に向かおうか」
「は、はい」
馴染みの顔に安心したのか、気が抜けて声が出た。
しかし、完全にはあの恐怖は消えていないようで、余韻がまだ残っている。
春乃は口が回らないながらもどうにか返事をすると、青年が今向かった階段へ向かう為に彼の背中を見ようとした。
だが、彼の姿は既に消えていた。たった数秒前にそこで歩いていた筈なのに……
☆☆☆
「只見君の家は……ここだっけ」
「はい、そうです。その脇ら辺で……そう、OKです」
春乃を乗せた明美の車は、いかにも古めかしいオンボロのアパート前に止まった。
築40年。階の数は2階。
鉄骨やフェンスには赤黒い錆が付いており、白い扉ももはや白ではなくなっている。
部屋前の電灯も長年変えていないのか、中に虫の死骸が入り込んでしまっている。もういつのかも分からないので恐らくミイラ化しているだろう。
春乃の他に人が住んでいるのかは定かではないが、人ではない何か、つまり霊の類は何体かいそうな雰囲気だ。
そんなアパートを見た明美は「うわぁぁ」とドン引きする。
「言わないで下さい。これでも生活ギリギリなんですから」
なんというのか察した春乃は、言われる前に答える。
だがそれでも、彼女は口を開いた。
「何か、ハロワでもいいから仕事のサポート受けたら? バイトじゃなくて。正規雇用とかで稼いで引っ越した方がいいよ、絶対」
「できたらしてますよ。俺を採用してくれる会社があればの話ですけど。8年あの研究所で過ごしたなんていう俺の過去、中々見逃さないんですよ、会社側は」
「でも、流石にここじゃ」
「分かってますよ、それくらい」
車の扉を開け、外に出て扉の枠を掴み、中を除くようにして続ける。
「これでも1人で生活できるんだったらマシな方ですよ。先生も麻火恵と暮らしているでしょうに」
「賄ってるのは確かに私だけど、それとこれとは」
「金ないんでどうしようもないですよ。それじゃあ、また今度」
話を無理矢理切り上げ、扉を閉じる。
明美はまだ話したそうだったが、残念そうに諦めて車を走らせていった。
車を見届けた後、彼はアパート2階の隅にある自分の部屋へと向かった。
家々に囲まれた所に位置するのも相まってか、日当たりの悪い部屋だ。
「はぁぁ2日ぶりマイホーム」
部屋に入るなり、そんな力の抜けた声を吐き出しながら、彼は3日前にバタバタして片付け忘れていた敷布団に倒れた。
2日も休んでいたのに休んでいた気に慣れない春乃は、暫くその状態でいた。勿論、眠ろうとは一切しなかった。
だが、視界と外を遮断し、暗くするというだけで、疲れは少しだけとれていった。
少しすると、彼は仰向けになり再び瞳に薄暗い光を入れた。
そんな彼に、あの青年の言葉が浮かび上がってくる。
「何が正解で、何が間違いで、何が良くて、何が悪くて、何が正義で、何が悪か、なんて、そんなのは誰にも分からない、か」
青年の言葉をまとめたものが、ポツリと独り言として吐かれる。
名も知らぬ青年にここまで乱されるとは、彼自身思いもしなかったのだろう。
故に、ここ最近で2番目かの衝撃の中にこのセリフが刻み込まれた。当然1番は3日前の夜だ。
「じゃあ、俺の選択は間違いでもなければ、正解でもない。ただ、選んだ選択とこと、なのか」
3日前。
赤髪の彼女の言葉に乗らず、その誘いを拒否した。
それは今でも間違ってはいないと信じたいし、それは自分の身の安全の為には当然のことだというも彼には分かっている。
だってそうだろう? 普通の人に、常人に、あんな誘いを快く頷くことができるだろうか。
自分の命を使って、つまり自己犠牲の精神であの人喰いの化け物からこの町の人々を守る為に戦うなんて、普通はやろうとする者なんていない。
誰もが彼女みたいなヒーロー体質でもなければ、少年漫画の主人公でもない。寧ろ世の中の殆どの人間が、何だかんだで自分第一で、自分が一番大事なんだから。
その最たる例が只見 春乃だ。
しかし、そんな善人でもなく、悪人でもなく、臆病者で、卑怯者で、屁理屈な常人でも、思ってしまうことがあった。
恐らくそれは自分が善人でありたいという願望が現れたのだろう。
戦いに向かう少女を、これから処分という言われ方をしながら殺される少女を、何を血迷ったのか、自分が手伝いたい、助けたいなどと思ってしまったのだ。
だが、
「……願いだけじゃ、何も変わらない、よな」
行動に移せていない時点で、未だに善人にはなりきれない口だけの偽善者なのだと、春乃は思っていた。
毎日投稿を今週の金曜までは続けることに変更します。そこからは3日に1話ペースになります。