表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/51

八.山中の悪夢

 柚月は青ざめ、急いで外に出た。

 来た道を、必死に引き返す。

 足が、どんどん速くなる。


「おい!」


 義孝の声が追ってきた。


「おい、柚月。待てって。おい!」


 みるみる近づいてくる。

 柚月の左腕を掴んだ。


「どこ行くんだよ」

「楠木さんのところだ。このことを知らせる」


 柚月は義孝の方を振り向きもしない。

 早く。

 一刻も早く。

 楠木に…!

 柚月は懸命に進もうとするが、義孝がそれを許さない。


「知らせるって。そんなことして、どうすんだよ」

「杉さんは暴走している。止めないと」

「止めるったって…」


 義孝は困ったような顔をしながらも、柚月の腕を握る力を緩めない。

 柚月はそれでも前に進もうと、身をよじった。


「俺たちがいない間に、(はぎ)では海外の武器を集めてたなんて」

「それは、しょうがないだろ? 武器は必要じゃん」


 なだめるような義孝の声も、柚月には届かない。

 必死に義孝の腕を振り払おうとする。


 が、義孝も放さない。

 懸命に足を踏ん張り、柚月が進もうとするのを引き止める。


「このままだと、(いくさ)になる。楠木さんは、話し合いで解決するって。そのために、政府の力を弱める必要があるって。だから、俺はっ…」


 柚月は、出かかった言葉がのどで止まった。

 言ってはならない。

 いやそれ以上に、柚月自身、言いたくない。


「これなら、俺は…、何のために…」


 柚月はぐっと食いしばると、止まった。

 うつむき、唇を震わせている。

 義孝は慰めるように、優しく肩を組んだ。

 柚月はこわばったまま、拳を強く握りしめている。

 その耳元に、義孝は静かに口を近づけた。


「何のために、暗殺やってたかって?」


 冷たく囁く声が、柚月の心の深いところに、グサリ、と刺さった。

 柚月は頬が凍り付き、毒におかされたように動けない。


「悪りぃけど、杉さんだけじゃねえんだよ」


 義孝の鋭い声と同時に、柚月は一瞬、殺気を感じた。

 反射的に身をひねったが、かわしきれない。

 左の脇腹に冷たいものが走り、義孝を押しのけた。 


 ――なんだ…?


 いったい、なにが起こったというのか。

 恐る恐る脇腹に手を当てると、温かいもので手が濡れた。


「…え?」


 血だ。

 柚月は訳も分からず、だだじっと、血に濡れた手を見つめた。


 事態を飲み込めない。

 いや、信じられない。


 ゆっくりと、義孝の方を見た。

 義孝もまた、柚月を見ている。


 長い付き合いの中、一度も見たことがない、冷たい目で。

 手には短刀が握って。

 その短刀の先から、ポタリ、どす黒い物が(したた)り落ちた。


「お前を逃がすわけねえよ」

「義孝…?」


 柚月の言葉を、草をかき分ける音が遮った。

 いつからいたのか。

 義孝の後ろに、男が数人。

 さっき小屋にいた者たちだ。


 一歩遅れて、もう一人。


 木の葉の隙間から漏れた月光で、はっきりと見える。

 その姿に、柚月は目を見開き、息をのんだ。


「楠木さん?」


 目が合った。

 が、柚月が何を問う間もない。

 楠木が先に、静かに口を開いた。


「殺せ」


 冷酷な声。

 いや、音だ。

 それを合図に、男たちが一斉に抜刀した。


 柚月も反射的に刀を握った。

 だが抜けない。

 手が、心が躊躇(ためら)った。


 男たちが、じりじりと柚月につめよる。

 一人が飛び出して切りかかり、柚月は咄嗟に抜刀してそれを受けた。


 男の刀に、容赦はない。

 柚月は押し合いながら、楠木を目で追った。


「楠木さん!」


 必死に呼んだ。

 目の前の男を押しのけ切り払うと、続けてもう一人。

 間髪入れずに切りかかっ来たのをかわして、腕を斬りつけた。


 肉を斬る感触。


 今自分が切っているは、仲間だ。

 仲間のはずだ。

 幼い頃から、共に過ごしてきた。


 仲間。


 なぜ。

 自分は今、なぜ、その仲間を切っているのか。


 柚月は心が迷い、その迷いが太刀に表れて、自然、加減が入った。

 また別の男が襲い掛かってきて、それを切り払いながら、柚月は何度も楠木を呼んだ。


 なぜこんなことに?

 殺意に反応して応戦する体とは裏腹に、柚月の頭の中はぐじゃぐじゃなまま。

 自分は、今、何をしているのか?

 自問を繰り返すばかり。

 答えにたどり着かない。


 切った仲間がうめき声をあげ、その声に、胸を(えぐ)られる。


 もう、止めたい。

 ただただ、皆を止めてほしい。


「楠木さん!」


 柚月は懸命に叫んだ。

 楠木はただ黙って見ている。

 だがやがて、何も言わずに、小屋に向かって歩き出した。

 その先に、呆然と立ち尽くしている人影がある。

 剛夕(ごうゆう)だ。


「楠木さん! 楠木さんっ‼」


 柚月の声が、(むな)しく響いている。

 剛夕は、いたたまれなかった。


「いいのか?」


 楠木は剛夕の視界を遮るように立つと、その背中に手をまわし、小屋の方に向けた。


「構いません。ただの、捨て駒ですよ」


 (かす)かに聞こえたその声に、柚月は一瞬にして、体の中が凍り付いた。

 

 ――捨て…。


 声も出ない。

 柚月が見つめる先、楠木の背中が遠ざかっていく。

 師であり、父である人の背中が。

 ただの一度も、振り返ることなく。


 闇に、消えていく――。


 柚月は、ただただ立ち尽くしていた。

 顔は青ざめ、体からは力が抜けている。

 落ちた肩が、呼吸のたびに大きく上下するだけ。

 追う力も、叫ぶ力さえも、もう、無い。


 もう、何も――。


 義孝の目が、一瞬、悲しく沈んだ。

 そして、何かをかき消すように刀を強く握ると、抜いた。


 柚月も気づいている。

 力のない目で義孝を捉えると、刀を握る手に精いっぱい力を込めた。


 そこへ、別の男が一人。

 柚月に切りかかった。


 受けようと力んだ、その瞬間。

 柚月は脇腹の傷がうずき、足が滑った。


 ――しまったっ!


 体勢を整えようとするが、間に合わない。

 ギラリと光る太刀が、振り下ろされるのが、見えた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=168506871&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ