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弐.儚い希望

 日は昇る。


 七輪山(しちりんさん)から現れた光が、都を明るく、温かく照らす。

 建物の陰に、わずかな闇を残して。


 この国は、新たな一歩を踏み出した。

 剛夕(ごうゆう)が将軍の座につき、自身の右腕として、宰相に雪原を置いた。


 封国は廃止され、海外との国交が開かれたことで、海の向こうから新しい風が吹き込もうとしている。

 大きな変化をもたらすことは必然だ。 


 この国は変わる。

 否応なく。


 (いくさ)の後始末も行われ、萩は、国主松平家が取りつぶしとなり、政府の領地、天領となることが決定した。

 開世隊の残党への警戒も、続いている。


 義孝(よしたか)は行方知れずのまま、剛夕の意により、密かに墓だけが建てられた。

 が、雪原は柚月には、そのことを伏せている。


 言えようはずもない。


 本陣に戻ってから三日、柚月はこの親友を待ち続けた。

 だが、見かけたという情報すら入ってこない。

 先に、宿場町の立て直しの話が進み始めていた。


 それが、四日目のことだ。

 医務室に運ばれてきた青年が柚月に気づき、日之出峰(ひのでみね)山中で義孝に会ったと言い出した。

 あの、大きな車輪を背負っていた開世隊の青年だ。

 柚月は本陣を飛び出した。


 楠木(くすのき)に切られた足は、傷こそ大したことはなかったが、歩くには少々不自由だ。

 その足を引きずりながら、あの夜の記憶を頼りに、最後に義孝と会った場所にたどり着いた。

 青年の話では、義孝は山頂に向かったという。


「義孝――!」


 柚月の懸命な声がこだます。

 下山しようとしていた調査員や陸軍隊員たちは皆、一様に振り向いた。

 もう日が傾いているというのに、柚月は山頂に向かっている。


「柚月殿、今からでは日が暮れます。また、明日にされては」


 陸軍の一人が声をかけたが、柚月は「大丈夫です」と振り切ると、また、「義孝―――!」と呼びながら斜面を登りだした。


 その日、親友を呼ぶ柚月の声は、夜更けまで山に響いていた。


 翌日も夜が明けないうちからその声は聞かれ、見かねた隊員が本陣に報告し、清名(せいな)が迎えに来た。


 清名が直接山頂に向かうと、そこにいた調査員が「あちらです」と差したが、その必要もなく、柚月の居場所は声で分かった。


 山頂を目指してきた柚月は、随分転んだのだろう、泥だらけになっていた。

 ケガの足も力が入らないらしく、引きずっている。

 見かけた者は皆、同情のまなざしを向けていた。


「柚月、無理をするな。帰るぞ」


 清名が肩をかそうとすると、柚月は「大丈夫です」と、その手を振りほどく。


「友達が、まだここにいるんです」


 そう言って踏み出した足が滑り、膝をついた。

 どう見ても満身創痍(まんしんそうい)

 とても、山道を行ける体ではない。

 気力だけで、ここまで来ている。


 清名は抱え起こそうとし、止まった。

 柚月の肩が、震えている。


「やっと、仲直りできたんです。『あとでな』って別れて。一緒に生きようって。新しい国で、一緒に生きようって。約束、したんです…っ!」


 柚月は歯を食いしばって立ち上がると、再び義孝を呼びながら登り始めた。

 清名は、その懸命な背中を止めることができなかった。

 見守るように後ろをついて歩き、やがて二人は、山頂から都方面に下って十人ほどの開世隊員の死体が発見された場所にたどり着いた。


 椿も訪れた場所だ。


 すでに死体は片付けられており、枇々木(ひびき)他、二名の調査員が最後の片づけをしていた。

 皆、柚月の様子に驚いたが、清名が首を振って制するので、声も掛けずに見守った。


 片付けられた後でも、ここで何があったのか分かる。

 この、染みついた血の匂い。


 柚月は、地面の状態から、死体があった場所、そして、そこで何があったかを推測し、椿と同じように、少し下ったところで不自然な場所を発見した。


 何か、小さな物が埋め込まれたような跡。

 地面に埋まっていたものはすでに取り除かれているが、椿が見つけた銃弾の跡だ。


 さらに、土には何かを搔き消したような跡があり、それが茂みの方まで広がっている。

 柚月は茂みまで這っていき、草をかき分け、覗いた。


 ここに、何かが――!


 そう、はやる気持ちに注意をそがれたのだろう。

 手をついた場所が悪かった。


「ぅわっ!」


 ズルリと滑り、短い悲鳴を残して頭から茂みに消えた。

 これにはさすがに清名も慌てた。

 ほかの調査員も同様だ。

 皆一斉に、急いで茂みを覗き込む。


 柚月は少し斜面を下ったところで、仰向けになり、大の字になって転がっていた。


 木の隙間から、青空が見える。

 浮かぶ雲が、ゆっくりと流れ、去っていく。


 柚月は、現実を閉ざすように、片手の甲で視界を遮った。


 足音が一つ、近づいてくる。

 清名の足音だ。


 何を言われるのか、分かっている。

 それを言われるのが、怖い。

 柚月は清名が言うより先に、自分で口にした。


「分かってるんです。きっと、もう、義孝は…」


 喉が詰まる。

 この言葉を、事実を、できればこのまま、喉の奥に押し込めておきたい。

 でも。

 柚月は顔を隠す手を、ぎゅっと握りしめた。


「義孝はもう、生きてない…」


 それが、現実だ。

 現実なんだっ…。


「でも…」


 柚月の声に、涙が混じる。

 肩が、震えている。


「信じなくても、いいですか?」


 清名はこみあげて来るものをぐっとこらえ、拳を握りしめた。


「無論だ。遺体が見つかったわけではない」


 叱咤(しった)するように厳しいくらいの口調だ。

 だがそこには、柚月への(いたわ)りと、励ましが混じっている。


瀬尾(せお)が訪ねてきた時、お前が元気でいなければ、始まらんだろう」


 優しく加えられた言葉に、柚月は顔を隠したまま頷いた。


 清名が柚月を負ぶって戻ってくると、調査員たちは自然と道を開け、ゆっくり下山していく二人の背中を見送った。

 枇々木もまた、見えなくなるまで二人を見送っていた。


 清名は柚月を本陣に連れ帰り、医務室の布団の上に下ろしてやった。

 柚月は肩を落とし、へたり込むように座ったまま動かない。

 清名は励ますようにぽんと柚月の肩を叩くと、呼ばれて出て行った。


 政府軍の勝利の御旗があがって五日ほど経つというのに、まだ運ばれてくる怪我人も多い。

 医務室は人の出入りが激しく、騒がしい。

 だが、柚月には、すべてが遠くに聞こえた。


 視界がにじむのは、涙のせいだろうか。

 体が、心が、岩のように重い。


 ふいに温かい風を感じてちらりと横を見ると、椿が座っていた。

 静かに、柚月を見つめている。

 柚月は、慌ててごしごしと目に残った涙を拭いた。


「どうしたの?」


 できるだけ平静を装ったが、笑顔には力がなく、手は慌てている割にのろのろとしか動かない。

 椿は何も答えず、言わず。

 代わりに、そっと皿を置いた。

 握り飯が二つ、寄り添うようにのっている。


「…ありがとう」


 柚月はそうは言ったが、食べようとはしない。

 その横顔は、憔悴(しょうすい)しきっている。


『新しい国を生きてね。一華(いちげ)と』


 義孝は最後にそう言った。

 それは、椿に生きてほしいというだけではない。

 いやむしろ、義孝が望んだのは、柚月が生きることだ。


 ――この人を、死なせるわけにはいかない。


 命を懸けた、義孝の願いだ。

 椿は突然、握り飯を一つ掴むと、勢いよく食べ始めた。


 食べることは、生きることだ。


「おいしいですよ」


 そう言ってニコリとする。

 その目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

 それを気にも留めず、また、握り飯を口に運ぶ。


「おいしい」


 独り言のようにそう言いながら、懸命に食べた。

 精一杯、おいしそうに。

 柚月も、つられて食べたくなるように。


 柚月はガシガシと勢いよく頭を掻くと、皿に残ったもう一つの握り飯を掴み、ほおばり始めた。

 うまかった。


 ちらりと椿の方を見ると、目が合った。

 椿は嬉しそうに笑い、笑った拍子にもう一粒、目から涙がこぼれ落ちた。

 柚月が返した笑顔は、いつものように優しくて明るい、そして、強い意志を秘めたものだった。


 翌日、柚月は姿を消した。


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