八.親友
日之出峰、山頂付近。
椿と剛夕は、人の気配に身を隠していた。
確認できるだけで、十人程度。
待機しているというよりは、何か作業をしている。
だが、まだあたりは薄暗く、詳細を確認することができない。
しばらく警戒したが、城を目指してくる様子でもない。
椿は剛夕を背に隠し、男たちと距離を取りながら、じわりじわりと山頂を目指し始めた。
幸い、男たちが気づく様子はない。
息を殺しながら、登り、頂きを越えようとした時だった。
「おーい」
男の声に、椿はビクリとして身をかがめた。
聞き覚えのある声。
瀬尾義孝だ。
椿は、茂みを楯に伺い見た。
義孝は手を振りながら、斜面を登ってくる。
「義孝。遅かったな」
「さっきの銃声、お前か? 心配したぞ。どうした」
男たちが、次々声をかける。
「ああ、鹿が飛び出してきて。ビビったやつが、撃っちまったんだよ」
義孝は軽く流すように答えた。
が、その刹那。
意を決したように鋭い眼光を放ち、それを隠すように、ヘラっと笑うと両手を振った。
「これは中止だ」
「は?」
男たちはそう漏らしたきり、一様にきょとんとした。
時が止まったようだ。
皆、義孝が何を言ったのか、飲み込めない。
だが、次の瞬間。
「どういうことだ⁉」
「義孝!」
男たちは、一斉に義孝に詰め寄った。
ただ驚いた、というより、その声には怒りが混ざっている。
「まあまあ。苦労したところ悪ぃけどよ。計画変更だってよ」
義孝が苦笑いしながらなだめるが、男たちは納得しない。
義孝を取り囲むようにますます詰め寄っていく。
椿は茂みの中から、目を凝らした。
その肩越しに、剛夕もうかがい見ている。
男たちの傍には、何か塊がある。
台に乗せられた、筒のような物。
あれは――。
「…大砲」
剛夕は思わず声を漏らすと、狼狽が体に現れて足を滑らせ、ガサリ、と、不審な音がたった。
「誰だ⁉」
一瞬にして、張り詰めた空気。
男たちの視線は皆、椿と剛夕が隠れる茂みに向いている。
椿は震える剛夕を背に庇いながら、動けない。
緊張のためだけではない。
あろうことか、義孝と目があっている。
――これまでか。
椿は静かに鯉口を切った。
息を殺し、鋭い視線で義孝を捉えたまま、飛び出す瞬間を見定める。
義孝もまた、そんな椿をじっと見ている。
そのはずだ。
だが。
「うさぎじゃね?」
義孝はさらりと目をそらした。
「…そうか?」
「ここに来る途中にも見たぜ?」
そう言われ、男たちは疑いながらもその注意は徐々に義孝に向いていく。
椿は一瞬驚いたが、すぐに義孝の意を解した。
半信半疑ではある。
が、逃がしてくれようとしているのか。
椿と同時に、剛夕の存在にも気づいたはずだ。
それなのに。
椿は問いかけるように義孝の横顔を見つめたが、義孝はかたくなに振り向かない。
それが答えだと確信した。
椿は剛夕とともに身をかがめ、茂みに隠れながら、じりじり歩を進めた。
距離を保ちながら、男たちの横を通り抜けていく。
張り詰めた緊張感。
息が詰まる。
椿も剛夕も、微かな音も立てないよう、全神経を集中させた。
もうすぐ、男たちの視界から外れる。
椿がそう思った時だった。
「何者だ!」
勘のいい一人が、茂みの剛夕に気づいた。
椿は飛び出した。
抜刀している。
咄嗟に一人が椿に向かって銃を向け、その腕を、義孝が切り落とした。
一同動揺した。
が、次の瞬間。
一斉に抜刀し、斬りあいになった。
「義孝! どういうつもりだ⁉」
当然の疑問だ。
だが、義孝は答えない。
とにかく斬った。
仲間を。
だが、もう退けはしない。
迷いもない。
半数ほど斬ったところで、椿は茂みに駆け込み、剛夕の手を引いた。
斜面を駆け下りる。
速く、速く。
力の限り、速く。
義孝も応戦しながら後に続いた。
しばらく下ったところで、剛夕の足がもつれ、止まった。
息も随分上がっている。
これ以上進むのは難しい。
椿は剛夕を連れ、茂みに隠れた。
剛夕を背に庇いながら様子をうかがい見ているところに、義孝が追い付いてきた。
が、義孝は何も言わず、聞かず、二人を背に隠すようにして椿の前にかがんだ。
剛夕の様子から、進めないことは察しがついている。
「…瀬尾様」
「ん?」
椿の声に、義孝は振り向かずに返事だけした。
口調はこの青年らしい軽い感じだか、目は鋭く、下ってきた斜面を睨んでいる。
「開世隊は、横洲で大砲を解体して、部品の状態で七輪山の中を運んだのですね。日之出峰で組み立て、そこから城に砲撃するつもりで」
義孝はハハッと口元だけで笑った。
「お嬢さん、さすが。頭いいね」
口調は軽い。
だが、やはり振り向かない。
柚月が切った男が背負っていた車輪も、この大砲の一部だ。
義孝はその計画の最前線、日之出峰での砲撃、そして、そこからの進軍を任されていた。
そこに割かれた兵の数も、当然、知っている。
さっきの男たちだけではない。
まだ、合流していない者がいる。
義孝はちらりと剛夕を見た。
肩で息をし、疲労の色が濃い。
恐怖が、余計に体力を奪っているのだろう。
剛夕を連れていては、逃げ切ることは難しい。
義孝は刀の柄尻を額に押しあて、何事かを考えた。
「お嬢さん。名前だけ、教えてもらっていい?」
「え?」
こんな時になんなのだ。
椿は一瞬そう思ったが、義孝は額から柄尻を離し、どこか遠くを見ている。
肩越しにちらりと見えたその目は、あまりにも真剣だ。
「椿です」
「椿…」
義孝は、満足げに口元に笑みを浮かべた。
懐かしいような目をしている。
「そういえば、そうだったね」
初めて団子屋の前で会った時、確かにそう呼ばれていた。
あの時の柚月の顔。
椿が去った後も、椿が消えた雑踏をずっと見つめていた。
「あいつ、いい女見つけたなあ」
義孝は、誰に言うともなくそう漏らすと、ふっと笑った。
「ねえ、椿ちゃん」
振り向いた義孝の顔は、何か、覚悟を決めている。
「新しい国を生きてね。一華と」
俺の代わりに。
そう、目が言っていた。
義孝は茂みから飛び出し、斜面を駆け上がった。
同時に、椿は剛夕を連れ、斜面を駆け下りる。
もみ合う音が、背中に聞こえ始めても、振り返らず、ただひたすらに山の出口を目指した。
だんだん、木の隙間から見える景色が近づいてくる。
立ち並ぶ邸が大きくなった頃、陸軍の旗が見えた。
十二番隊だ。
隊員も気づいた。
「…椿殿? 隊長、椿殿です!」
隊員が声をあげた、ちょうどその時。
山に銃声が響いた。
一発。
続けざまに四発。
隊列が一斉に身をかがめる。
同時に二人飛び出し、椿と剛夕に駆け寄ると、保護した。
椿も思わず、安堵の息が漏れる。
が、すぐに銃声があった方を見上げた。
最初の一発は義孝の足を捉え、崩れたところに四発が放たれた。
義孝は膝から崩れ落ち、斜面に従って仰向けに倒れて大の字になった。
腹の底から、何かがせりあがって来る。
吐き出すと、生温かく、赤かった。
視界が、かすんでいく。
その中で、木の隙間から七輪山が見えた。
山の端に光の線が走り、どんどん空が、世界が、光に包まれていく。
「あったかいな…」
真っ白な光に包まれながら、義孝は静かに目を閉じた。
その手には、武士に憧れ続けた義孝らしく、しっかりと、刀が握られたまま。




