五.日之出峰
柚月は大通りから横道に入り、武家屋敷の間を北に急いだ。
日がどんどん落ちてくる。
空がだんだん黒く染まっていく。
城が、日之出峰に隠れた。
が、まだ距離がある。
もどかしい気持ちで睨む峰の上を、黒い点が越えてきた。
どんどん近づいてくる。
柚月はぐっと手綱を引き、馬を止めた。
その頭上を、黒い点が通りすぎ、まっすぐ本陣に向かっていく。
椿からの返信だ。
柚月はほっとして、笑みが漏れた。
椿に知らせが届いたのだ。
これで、椿と剛夕が、七輪山に向かうことはない。
開世隊と鉢合わせすることはないだろう。
残るは、開世隊、いや、楠木だけだ。
柚月は再び馬を走らせた。
都の北北東の端、田沼邸の奥に隠されて、日之出峰の入り口はある。
不思議と厳かな空気が漂っていて、鳥居こそないが神社のような雰囲気だ。
山の中に向かって伸びている小道は、参道と言ったところか。
――神社みたいだな。
柚月の感想もそれであった。
馬で登れそうだが、目立ちすぎる。
柚月が馬を降りると、ちょうど蹄の音を不審に思った田沼邸の下人が、裏木戸から恐る恐る顔をのぞかせた。
下人は柚月の顔を知っていた。
「あなた様は、確か、雪原様の。このようなところで、どうなさったのです」
そう聞きながら、ただ事でないことは察している。
柚月が馬を預かってほしいというと、「今から山に入られるのですか?」と止めた。
そこに十二番隊が追い付いて、下人は、それ以上止めなかった。
袴を着け、ハチマキを巻いた田沼の奥方も現れ、「とにかく上を目指されることです。この山は、頂上までまっすぐ伸びていて、沢もない。途中、下ることはありません」と助言した。
代々この日之出峰への入り口を守ってきた田沼家。
その奥方もまた、ことの重大さを察している。
奥方は先頭を行く柚月を見て、あんな若い子が、と、胸を痛め、無事を願って手を合わせて見送った。
山道を駆け上がる柚月は、恐ろしく速かった。
日頃訓練している陸軍の人間が、誰一人ついていくことができない。
鎧ひとつつけていない装備の軽さのせいもあるだろうが、それだけではない。
「さすが、雪原様のお抱えということはだけある」
ただ者ではない。
息を切らせながら、一人が言った。
柚月はさらに速度を上げ、どんどん小さくなって、見えなくなった。
中腹まで来たところで、柚月は足を止めた。
すっかり日は落ちている。
あとは闇が濃くなるだけだ。
十二番隊は気配すら感じない。
山に不慣れな隊は、今夜はひとまず歩を止めたのだろう。
木の間から都を一望でき、遠く、南西の空が赤く染まっているのが見えた。
火の手が上がっている。
宿場町の方だ。
朝の砲撃では、被害はなかったはずである。
柚月の顔が、苦々しくゆがんだ。
――とうとう都に入られたのか。
自然と焦りが沸き起こったが、それをぐっと抑え、木の幹に背を預けて腰を下ろした。
さすがに、これ以上は進むのは危険だ。
一息吐き、空を見上げた。
木の葉の隙間から、満点の星空がのぞいて見える。
『すっげぇきれいだなぁ』
ふいに、懐かしい声がよみがえった。
義孝の声だ。
――萩の星空も、きれいだったな。
柚月は胸の内で、無意識に義孝に話しかけていた。
だが隣に、その姿はない。
ただ虚しく、暗闇が広がっている。
それなのに。
記憶の中の義孝が、笑いかけてくる。
あの頃、萩にいた頃の。
当然のように、一緒にいた、あの頃。
どうしもうもなく、懐かしさがこみあげくる。
それと一緒に、涙まで。
柚月はぎゅっと唇を噛みしめ、こらえた。
漂う空気が、ひんやりしている。
少し冷えてきた。
腕をさすりながら、会いたいな、と思う。
義孝に会いたい。
また、どうでもいいことで笑いあいたい。
でもそれと同じくらい、会いたくないとも思う。
いや、会うのが怖い。
次に会うときは、敵同士なのだ。
治ったはずの脇腹が、チクリと痛んだ。
朝の匂いが漂い始めた頃、柚月は日の出が近づいているのを感じて起き上がった。
まだ暗い。
が、先を急ぎたい気持ちを抑えきれず、再び進み始めると、少し開けた場所に出た。
斜面に対して楕円状に木が生えていない。
と、突然。
銃声とともに、柚月の顔前を風が切った。
――なんだ⁉
銃撃。
さらに二発。
柚月は咄嗟に茂みに飛び込んだ。
息を殺し、草の隙間から伺い見たが、敵の姿は見えない。
暗い。
だが、それは相手にとっても同じだ。
互いに出られない。
先に動いたのは、柚月。
木の陰に身を隠しながら斜面を駆け上がり、楕円の広場の淵を沿うように弧を描いて、敵に迫った。
草の音が柚月の移動を知らせる。
それを狙って銃撃が始まった。
不規則な銃声。
だが、数は少ない。
――相手は、…二人か。
柚月は恐ろしい速さで距離を詰めていく。
その気配に恐怖し、焦った男が一人、不注意にも木の陰から飛び出した。
当然、柚月は見逃さない。
瞬時に速度を上げると、大きく踏み込んで小手を打ち、男の手から銃が飛ぶと同時に右腹のあたりから横一線、右薙ぎに払った。
男は勢いよく倒れた。
それを見て、茂みの中のもう一人は悲鳴のような声をあげ、逃げ出した。
倒れた男は、息はしているようだが、気を失っているらしい。
なにか、大きな輪のようなものを背中に括り付けている。
触ってみると、輪ではなく、大きな車輪だと分かった。
柚月による傷よりも、その車輪の重さに圧死するのではないかと思うほど、重い。
なぜこんな物を背負っているのか。
そして、なぜ、こんなところにいるのか。
まだ尾根には距離がある。
柚月は疑問がわいたが、それよりも、と思う。
暗くて傷のほどは確かめられないが、斬った感触から、致命傷にはならないだろう。
とどめを刺すべきだ。
分かってはいる。
が、迷った。
迷った末、男が輪を括り付けている縄を解き、それで男の手を後ろ手に縛った。
こうしておけば、目が覚めてもすぐには追ってこられないだろう。
そう思って、立ち上がろうとした時だ。
「優しすぎるんだよ、お前」
突然の背後からの声に、柚月はピタリと止まった。
この声。
知っている。
昨晩も聞いた。
記憶の中で。
だが、今度は記憶の中ではない。
確かに、耳で聞こえた。
義孝の声だ。




