参.日暮れ前の動揺
七輪山山中、誰にも気づかれないような険しい山の中に、粗末な小さな小屋がある。
その前で都を見下ろしながら、冨康はしびれを切らしていた。
「いつまでかかっておるのだ⁉ もう日が暮れるぞ!」
うっそうと木が茂る中、小屋の前は少し開けていて、都を一望できる。
冨康は、早朝の大砲の音で目覚め、羅山ふもとの合戦を、「おお、おお、始まったな」と興奮して見物していたが、夕方になっても動かない戦況に苛立っている。
「そう慌てられてはいけませんよ」
なだめるようにそう言ったのは、楠木だ。
冨康に並んで立つ楠木は、声は落ち着いているが、目は爛々と輝き、異様な光を宿している。
その目で、ただじっと、都を見下ろしている。
――もうすぐだ。もうすぐ。
楠木の胸の内に、毒々しい情熱が、情念が煮えたぎる。
ざっと、冷たい風が吹いた。
「少し、冷えてきたな」
冨康はそう言って身震いすると、腕をさすりながら小屋に戻っていった。
楠木も後に続く。
小屋に入ると、後ろ手で静かに戸を閉めた。
「この戦はいつ決着がつくのだ。いつ剛夕を消せる」
楠木は答えない。
冨康はさらに苛立った。
「私はいつ、城に戻れるのだ⁉」
苛立ちのまま振り向いた。
その瞬間。
冨康の首が、宙を舞った。
首を無くした胴体からは、夥しい量の血が吹き上がり、それが雨となって降り注ぐ。
小屋の中は、あっと言う間に血の海と化した。
その中に。
ぼとり…。
跳ね上げられた首が、鈍い音とともに床に落ちてごろりと転がり、力をなくした胴体は、自身になにが起こったか分からないまま、膝から崩れた。
それを、楠木は、ただじっと見つめている。
その目。
とても人の物とは思えない。
冷酷な目。
握られた刀から、静かに血が滴り落ちている。
そのしずくが、ポタリポタリ、血の海に混ざっていく。
「お前が城に戻ることなど、無い」
楠木は、バラバラになった冨康を、まるで汚いドブのように見下し、吐き捨てる。
「あの城が待っているのは、俺だ。この国は、俺のものだ。俺こそが、将軍にふさわしい」
薄暗い小屋の中、ギラギラと光る楠木の目は、まるで鬼にでも取りつかれたようだ。
ちょうどその時、報告にやって来た開世隊の一人、野田は、中から聞こえた物音を不審に思い、そっと小屋の戸を開けた。
「楠木様、どうかされ…」
そこまで言って、止まった。
充満した血の匂いの中、振り返った楠木は血にまみれ、人とは思えない形相をしている。
そして、その足元にある物は――。
「なんでもない。それより、あれは、進んでいるのだろうな」
「え? …あ、はい。義孝が。順調に…」
野田はかろうじて声を発した。
目が、放っておくと、楠木の足元に行こうとする。
それを、懸命に押し戻した。
見てはいけない。
見ていることを、楠木に気取られてはいけない。
今まで感じたこともない本能が、そう言っている。
「そうか」
楠木は握った刀をまざまざと見つめ、その刀が、窓から差し込んだ夕日にギラリと光った。
「失礼、いたします」
野田は微かな声でそう言うと、そっと、戸を閉めた。
手が震え、青ざめた顔は顎がカタカタ鳴っている。
見てはいけないものを見てしまった。
その恐怖で、野田は全身から得体のしれない汗が吹き出し、背中がびっしょり濡れている。
「野田」
後から来ていた男が三人、追いついてきた。
「楠木様に報告は済んだのか?」
野田は声が出ない。
が、もう薄暗いせいもあり、男たちは野田の様子に気づかなかった。
「開けるな!」
一人が不用意に小屋の戸を開けようとして、野田が厳しく止めた。
男は驚いて振り返り、初めて、野田の顔を見た。
「どうか、したのか。顔色が悪いぞ」
「何でもない。とにかく開けるな」
野田の顎から、汗が滴っている。
「いや、でも」
「開けるなと言っているだろ!」
野田のただならぬ剣幕に、男は戸から手を放した。
「いいから、行くぞ」
そういうと、野田は青ざめた顔のまま、先に歩き出した。
男たちは互いに顔を合わせて首をかしげると、小屋に立ち寄ることをあきらめ、野田の後を追った。




