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九.夕暮れの河原、決意の朝

 (はぎ)の軍が迫っている。

 椿がその知らせを聞いたのは雪原が横浦(よこうら)に立つ直前、雪原の別宅前でのこと、知らせに来たのは、清名(せいな)だった。


 椿が市場から戻ってくると、(やしき)の前に馬が止まっていた。

 珍しい、と思ったちょうどその時、玄関から出てきた清名の顔を見て、椿はただ事ではないと察した。


「清名さん!」


 思わず駆け寄った。

 気づいた清名も椿に駆け寄ってきたが、その顔。

 この男にしては珍しく、狼狽(ろうばい)を隠せていない。


「萩が、攻めてきます」


 清名は、椿が何を聞くよりも先にそう告げた。

 開世隊(かいせいたい)と萩の連合軍が。

 それも、もうすでに旧都近くまで進軍してきている。


 椿は、七日もすれば、都の入り口、羅山(らざん)に到着するだろうと計算した。

 時間がない。


「私はこれから、雪原様について横浦に行きます。椿殿と柚月は、こちらにて待機するようにとのことです」


 清名はそう告げると、馬にまたがり、城に向かっていった。

 椿は邸に飛び込んだ。


「鏡子さん!」


 珍しく大きな声になった。

 飛び出してきた鏡子も、やや青ざめた顔をしている。


「椿、今、清名さんがいらっしゃって…」

「聞きました。柚月さんは?」

「…え?」


 聞かれて初めて、鏡子は柚月の姿が消えたことに気づいた。


「さっきまで、ここにいたのよ。一緒に清名さんのお話を聞いて。…(かわや)、かしら。」


 言いながら、厠の方を見やっている。

 が、椿にはそこに柚月はいないことは察しがついた。


 いや、邸にいない。


 邸の中に、人の気配は感じられない。

 ガランとしている。


 耐えがたいほどの空虚感。

 胸が重くなる。


 椿は脱ぎかけた下駄を再び履き、外に出た。

 裏の河原に向かうと、やはり柚月が座っていた。

 ぼんやりと川の方を眺めて、草をちぎっては放っている。

 その草が、風に乗って舞っている。


 椿はだんだん歩みが遅くなった。

 なんと声をかければいいのか。

 邸で待機しなければ、と言うほど、冷酷になれない。


 柚月は、ずっと川の方、いや、もっと遠いどこかを見つめたまま、椿に気づかない。

 椿はのろのろ進むうちに、柚月の肩に手が届きそうなところまで来てしまった。


 だが、まだ言葉が見つからない。

 迷いながらも、声をかけようとした、その瞬間。


「きゃっ」


 ふいに下駄が小石をかんで、勢いよくびしゃっと転んだ。

 その豪快さに、柚月もさすがに気がついた。


「だい…じょうぶ?」


 いつもなら咄嗟に立ち上がって助けそうなところだが、今の柚月は、ただただ目を丸くしている。

 だが、すぐに椿が来た理由を察した。


「邸にいないとね」


 弱々しい声でそう言うと、腰を上げようとする。

 椿は慌てた。


「すぐには、次の指示もこないでしょうから」


 咄嗟に止めようと口を開いたが、事務的な言葉しか出てこない。

 だが柚月は、椿の思いを感じたのだろう。

 一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに微かに微笑んだ。


「そっか」


 そう言うと、上げかけた腰を再び地面に落とした。

 夕日で、川の水面がキラキラと輝いている。


「大丈夫、ですか?」


 問われて、柚月は「大丈夫」と言いかけたが、言い切らずに両手で顔を隠した。

 椿の真直ぐな目に、心を見透かされそうな気がする。


「いや、ごめん。大丈夫っていう顔、してないよね」


 微笑む口元に、自嘲が混ざった。

 楠木(くすのき)を斬る。

 心を決めたはずだった。

 それは、開世隊を、しいては萩も敵に回す、ということも分かったうえだ。


 なのに。


 清名から知らせを受け、少なからず狼狽した。

 いや、自分で思った以上に。


 そして気づいた。

 この期に及んでまだ、どこかで、この日が来なければいいのにと願っていたのだ。


 ――情けない…。


 柚月は大きくひとつ、息を吐くと、ガシガシと頭を掻いた。


「大丈夫。やるべきことは、分かってる」


 自分に言い聞かせるように言い切った。

 その目に、声に、強さが戻っている。


 だがそれだけに、無理をしているのが伝わってくる。

 椿は何も言えなかった。

 かけられる言葉など、慰められる言葉など、ない。


「疑ってる?」


 柚月は、いたずらっぽく椿の顔を覗き込んだ。

 子供っぽいその顔に、椿も思わず笑みが漏れ、口元に手を当てた。


「いえ」


 この笑顔。

 口元に添えられた手。

 この手に、斬らせないと決めた。


「楠木は、俺が斬る」


 柚月は、まっすぐに椿を見つめてそう言うと、再び、川の方を見やった。


「新しい国を作るんだ。弱い人が、安心して暮らせる国を」


 夕日に照らされた柚月の横顔は、強いまなざしで、真直ぐに、前を見つめている。

 なぜ、と椿は思う。


 なぜ、柚月が見る未来はいつも、明るい物だけではないのだろう。

 なぜ、黒い影がついてくるのだろう。


 弱い人を想い、新しい国を作りたいというこの人が、楠木を、師と慕った人を、父を想った人を、自ら殺すと言っている。


 どんな時も、人を思い続ける、優しいこの人が。


 椿も、柚月が見る先を見つめた。


「私には、親も兄弟も、家族と呼べるような人はいません。あるのは、拾ってくださった雪原様へのご恩だけです」


 だから、人を斬ることも(いと)わない。

 確実に仕留めなければ、雪原に危害が及ぶ。

 椿は、その一心で剣を振るってきた。


「私には、難しいことは分からないけど、この戦が終わったら、刀を持たなくていい国になってほしい」


 何よりも、柚月が、もう人を斬らなくていい国に。


「あなたは、人を斬るには、優しすぎる」


 そう言いながら、椿は柚月に微笑みかけた。

 その微笑みに、言葉に、柚月の痛みを想う気持ちがにじんでいる。


 柚月は椿を見つめ、くすりと笑った。

 うれしかった。


「ありがとう」


 柚月の顔がパッと笑顔に変わり、椿はなんだか恥ずかしくなってうつむいた。 


「いえ」


 そう言って、ちらりと見上げると、上目遣いに柚月と目が合った。


 その瞬間。


 ほんの一瞬。


 時が止まった。


 柚月は一歩、手をついて体を傾けると、椿の頬にキスをした。


 再び目があう。

 柚月はいつものように微笑んでいるが、その目には男の色が差している。

 椿が初めて見る表情だ。


 椿はそっと頬に触れた。

 柚月が触れた場所。

 その感触が、ぬくもりが、まだある。


 何が起こったのか。

 夢のように一瞬で。

 でも確かに――。


 じわじわと湧いてくる実感が、今起こったことは、現実のことなのだと教えてくる。

 椿の頬が、染まった。

 夕日の力を借りて、より赤く。


 心臓の音が、自分の耳で聞こえるほど大きい。

 柚月にまで聞こえそうで、それがまた恥ずかしい。


 柚月は何事もなかったかのような顔で、川を見つめている。

 その目は強い決意を宿し、夕日に輝く水面を捉えていた。


 ***


 その日が来た。

 早朝、椿が先に邸を出た。


 いつもの着物に袴を着け、腰には刀をさした。

 女装で、という指示だ。


 椿は、城で剛夕(ごうゆう)の警護に当たる。

 が、あくまで女中として、ということだった。


 出発の前、椿が離れに行くと、柚月が部屋から出てきた。

 柚月は本陣に行き、雪原の護衛に当たる。

 本陣は、都の中央あたりにある商家、濱口家を借りることになっている。


 ここでの別れは、今生の別れになるかもしれない。


 互いに分かっているが、言葉にはしない。

 代わりに、しばらく見つめあった。


「では、行きます」


 先に椿が口を開いた。

 緊張を隠し、柚月に微笑みかける。


「うん」


 柚月もまた、微笑んで応えた。

 玄関で鏡子が椿の背に火打石を打ち、柚月と鏡子二人で椿を見送った。


「さて」


 鏡子はいつもと変わらない調子でそう言うと、柚月に握り飯を用意した。

 それを平らげると、今度は柚月が出る番だ。

 鏡子とも、また会える保証はない。


 鏡子は、雪原に避難するよう言われたが、「都で戦をするのに、どこに行っても同じでしょう」と言って、聞き入れなかった。


「私は、ここを守ります」

 みんなが帰って来る場所を。

 鏡子の目には、覚悟があった。

 息を一つは吐き、雪原が折れた。


「いってらっしゃい」


 柚月ももう、本陣に向かわなければならない。 

 玄関まで来ると、鏡子はいつものように柚月の背に声をかけた。

 柚月は応えそうになり、鏡子に背を向けたまま、迷うように唇をかんだ。


「…俺」


 微かに絞り出すような声に、鏡子は見守るように、優しい目を向けた。


「俺、嫌だったわけじゃないんです。鏡子さんが、『おかえり』って言ってくれるの。ただ…」


 柚月は震える唇で、懸命に、声を、思いを絞り出す。


「ただ…、怖くて」


 また、「ただいま」と言える場所を、無くすのが――。

 皆まで言わずとも、鏡子には分かっている。


「帰ってらっしゃいね」


 柚月が振り向くと、鏡子の笑顔があった。


「待っていますからね」

「…はい!」


 柚月は元気よく応えた。

 その目に、迷いはない。


 どこであれ、鏡子のいる場所に帰ってくる。

 椿も、雪原も。

 皆のいる場所が、今の自分の、帰る場所だ。


 火打石の音が響く。

 すべての不安を払い去るように。


「いってきます!」


 柚月は勢いよく玄関の戸を開けた。

 世界が、朝日で白く輝いている。

 その中に、勢いよく駆け出して行った。


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