表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/51

五.真実から事実へ

 鏡子が神妙な面持ちで柚月に手紙を渡したのは、二日後の朝だった。

 玄関の戸に挟んであったという。


 表に柚月の名が書いてあるだけで、送り主の名はない。

 内容は短く、都の西にある小さな神社の名が書いてあるだけだった。


 不安そうな顔で見つめる鏡子に、柚月はにこりと微笑んだ。


「腹、減りました」


 そう言って、ぐしゃっと手紙を懐にしまい込むと朝食の席につき、以後、どちらもその手紙のことは口にしなかった。


 夜も深まった頃、柚月は静かに裏木戸から外に出た。

 大通りを渡り、西へ。


 手紙が今朝届けられたのは、おそらく、雪原がいない隙を狙ってのことだ。

 雪原が別宅を出たのは、昨日の夜。

 それまで、ずっと邸に滞在していた。


 見張られている。

 だが、あの字。


 柚月には送り主の検討がついている。


 都に入ってすぐ、柚月に課せられた仕事は暗殺のほかにもう一つ、都の地理を覚えることだった。

 どこでも暗殺(しごと)をし、かつ、逃げ切るためだ。

 まずは地図、それから、実際に歩き回って覚えた。


 あの西の小さな神社に付き合ってくれたのは、あの人だった。


 柚月が境内に入ると、真っ暗な中、社殿の陰に、傘をかぶった人影がすっと現れた。

 柚月が近づこうとすると、奥へと進んでいく。

 後を追うと、その人影は三つ角を曲がって、あばら家に入った。


 窓から、わずかに灯りが漏れている。

 柚月は戸の前まで来ると、止まった。


 ――本当に、あの人だろうか。そうだとしても…。


 胸の内に、複雑な思いがめぐる。


 ――迷っていても、仕方ない。


 柚月はぐっと拳を握りしめると、意を決して、開けた。

 予想は、当たった。

 殺風景な部屋の中、ろうそくの頼りない灯りに照らされて座っているその人は――。


佐久間(さくま)さん」


 柚月の口元に、思わず笑みが漏れる。

 が、再会を素直に喜べず、複雑な顔になった。


 佐久間は明倫館(めいりんかん)の古株で、武術は得意ではないが、学問に優れた男だ。

 年少の者の面倒見もよく、柚月にもいろいろなことを教えてくれた。

 その時、あれこれ書き記してくれていたのが、あの手紙の字だった。

 戸口の柚月を見つめ、佐久間も微笑んでいる。


一華(いちげ)、よく、生きていた」


 そう漏らすと、深々と床に額をつけた。


「守ってやれず、すまなかった」

「いや、そんな…」


 突然の佐久間の行動に、柚月は慌てた。

 だが、足は戸口から進まない。


「大丈夫ですよ、俺、運いいから」


 そう言って笑ったが、やはり、複雑な顔をしている。


 柚月が開世隊(かいせいたい)に裏切られたあの日、佐久間はあの山小屋にいなかった。

 楠木(くすのき)が別の用を頼み、あの小屋に近づけさせなかったのだ。


 後から事の次第を聞いた佐久間は、楠木に詰め寄って責めたが、楠木は取り合わなかった。

 柚月が暗殺家業をしていたことも、その時知ったという。


「お前に、そんなことまでやらせていたなんて。優しいお前に…」


 佐久間の顔が悲痛にゆがむ。

 柚月の心を思うと、胸が痛んでならない。


 この男は、特に柚月に情をかけていた。

 だからこそ、知らされなかったのだろう。

 あの日、あの小屋に呼ばれなかったのも、同じ理由だ。


「楠木は、もはや鬼だ。お前ばかりか、杉まで」


 佐久間は憎々しげに奥歯をかみしめる。

 柚月は佐久間を案じる気持ちが湧き、やっと足をすすめると、佐久間の前に腰をおろした。


「佐久間さん、今、どうしてるんですか」

「…一華」


 床から上がってきた佐久間の目が、ギラリと光っている。


擾瀾隊(じょうらんたい)を知っているか」


 柚月は嫌な予感がした。


「…噂程度には」

「俺もそれに参加している」


 やはりそうか、と、柚月は途端に気持ちが沈んだ。


剛夕(ごうゆう)様と雪原の対談以降、杉は対話での和解を進めようとしていた。杉はもともと、お前を、その…、切り捨てることも、よく思っていなかったらしい」


 言葉を選ぶあたりに、佐久間の変わらない優しさがある。

 が、ほかに表現のしようがなく使われた「切り捨てる」という言葉は、やはり柚月の胸を(えぐ)った。


「だが」


 佐久間の語調が強くなる。


「楠木は、そんな杉を。今回のことは、杉の一存だと、密かに国主、松平実盛(まつだいらさねもり)様に報告したのだ」


 即日杉は捕らえられ、十分な詮議もなく、切腹させられたという。

 実盛としても、一刻も早く事態を納めたかったのだろう。

 それをきっかけに、開世隊は明確に分裂した。


「杉を慕っていた一部の者が楠木を襲い、逆に返り討ちにあった。あいつの腕は確かだ。それを機に、楠木は、杉を支持する者だけでなく、杉に同情する者さえ許さず、そればかりか、隊を抜けようとする者まで斬って捨てた」


 便乗した血気盛んな都の郎党も加わり、杉派狩りは、日を増すごとに激しくなっている。

 開世隊は、もはや隊とは名ばかり。

 荒くれ者の集まりだという。


「先日、俺も市中で囲まれ、これまでかと思ったところ、お前に助けてられたのだ」


 佐久間は脇に置いている笠に手を置いた。

 その笠。

 柚月は、武士同士の喧嘩に割って入ったことを思い出した。


「じゃあ、あの時の、笠の男って」

「俺だ」


 佐久間はバツ悪そうににやりと笑った。


「楠木を殺すしかない。でなければ、こっちが殺される。そのために、擾瀾隊を結成したのだ。」


 情報を共有し、助け合うために、身を寄せ合っている。


「…(はぎ)に、帰った方が」


 残してきた家族もいるだろう。

 柚月がそう言いかけると、佐久間は首を振った。


「萩はもはや、開世隊の、いや、楠木のものだ」


 今となっては、実盛もまた、楠木を恐れている。

 かつては、利用し、切り捨てようと考えていたというのに。


「萩に戻れば、即刻、処刑されるだろう」


 帰る場所もない。

 擾瀾隊とは、そう言う者の集まりだ。


「一華」


 佐久間は手をついた。


「擾瀾隊に参加してくれ」

「え?」


 驚く柚月に、佐久間はさらに迫る。


「お前の力が必要なのだ」


 佐久間は柚月の腕を知っている。

 むごい願いだということも分かっている。

 だが。


「今の擾瀾隊は脆弱すぎる。そう遠くないうちに、根絶されるだろう」


 生き残るには、柚月に頼るしかないのだ。


「頼む! 一華…‼」


 目の前で、佐久間が額を床につけ、深々と頭を下げている。

 柚月はその姿を、じっと見つめた。


 佐久間のこんな姿を、見たことが無い。

 できれば、見たくはなかった。


「やっぱり、都を出たほうがいいですよ」


 柚月の諭すような穏やかな声に、佐久間はぱっと顔を上げた。

 柚月の優しい目が、佐久間を静かに見つめている。


「しかし、萩には」

「萩でなくても、どこか。別の地に一度身を隠したらどうです。楠木さ…。いや、アノ人の一番の目的は、中央政府のはずです。地方まで、追ってはこないですよ」


 柚月は、残党を、とは言わなかった。

 明倫館の人間を、そう呼びたくない。


「俺たちを見捨てるのか。今の地位が惜しいか! そもそもお前、なんで雪原なんかのところにいる‼」


 佐久間は願いがかなわず、苛立ちをあらわにした。

 命がかかっている者の、鬼気迫った語調だ。

 柚月は傷つき、唇をかみしめた。


「なんでって…」


 成り行きだ。

 だが、それだけではない。


「佐久間さんは、いったい、何のために戦ってるんですか?」


 思わぬ問いに、佐久間は答えがない。「え?」と漏らしたきり、柚月の顔を見た。

 柚月は、悲しそうな笑みを浮かべている。


 雪原は、護衛といって連れながら、柚月に様々なものを見せた。

 海外のこと、その力、上流階級の古びたしきたり、国の現状。


 それは総じて、世界は広い、ということ。


 それまで、柚月は楠木の背中しか見てこなかった。

 その狭い視界を、雪原は大きく広げてくれた。

 光を見せてくれた。

 反対に、佐久間の話には、未来が見えない。


「ごめん、佐久間さん」


 柚月はそう漏らすと、さっと立ち上がり、あばら家を出た。

 ポツリ残された佐久間は、柚月の最後の顔が、悲しそうな笑みが、いつまでもまとわりついて離れなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=168506871&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ