壱.揺れる
手紙は、将軍、冨康が姿を消したことを知らせるものだった。
開世隊が都に総攻撃を仕掛けようとしていたあの日、その数日前から、剛夕は城を出ていた。
開世隊と行動を共にするためだ。
だが、雪原との会談でその総攻撃が回避された。
それを機に剛夕は城に戻り、東の端の二の丸で、ひっそりと暮らしている。
雪原が言うには、柚月の一件で武力行使の恐ろしさを目の当たりにし、対話による解決を模索しているようだったという。
「まあ、彼も、お坊ちゃんですしね」
雪原はそう加えた。
あるいは、目的のために同志である柚月を殺そうとする姿に、開世隊の、いや、抑圧され続けた人間の恐ろしさを目の当たりにし、怖気づいたのかもしれない。
恵まれた環境で育った剛夕にしてみれば、想像以上のことだったのだろう。
だが、剛夕が城にいるということは、冨康にとってはただの脅威でしかない。
家臣も二分されたままだ。
むしろ、実際に自分に刃を向けようとしたことが、さらに剛夕への警戒心と嫌悪感をあおった。
手紙では、冨康が自ら城を出たのか、連れ去られたのか分からないということだったが、柚月は、楠木だな、と直感した。
雪原が都を離れた隙を狙ったのだ。
雪原も頷く。
楠木がなんらかの手を使って冨康に接触し、今度は冨康を開世隊側に引き込んだのだろう。
「目的はおそらく、萩からの進軍でしょう」
雪原の目が鋭く光る。
萩は遠く西にある国。
都に入ろうとすれば、他国を通らざるを得ない。
国にはそれぞれ関所があり、検問が入る。
大量の武器を持って通ることなどできない。
都に近い国ほど政府の影響力も強く、都へ向かう者への監視の目は一層厳しい。
そこを通してもらえるよう、口利きをしてもらう必要があるのだ。
「以前、開世隊が剛夕様に近づいた理由のひとつは、それでしょう」
雪原は厳しい口調で続ける。
楠木は、今はもう剛夕はあてにはならないと踏んで、冨康様に近づいたのだろう。
冨康は、どうにかして剛夕を消したいはずだ。
そこに付け込めば、どうとでも言いくるめられる。
口にはしなかったが、雪原の言葉には、冨康も世間知らずのお坊ちゃんだ、との含みがあった。
楠木からすれば、いい鴨だろう。
柚月の脳裏に、楠木の顔が浮かんだ。
やはり、斬るしかない。
あの男がいる限り、この争いは終わらない。
胸の痛みをかき消すように、柚月は拳を強く握りしめた。
都に入ると、雪原は城に向かい、柚月と椿は一行から離れ、雪原の別宅に向かった。
「おかえりなさい」
邸に着くと、玄関で鏡子が二人を出迎えた。
「ただいま帰りました」
椿が自然と応える。
その後ろで、柚月は言葉に詰まった。
また、何と言えばいいか、困る。
鏡子はその顔を覗き込んだ。
「柚月さんも、おかえりなさい」
やはり、当然のように言う。
「ああ、…はい」
柚月はさらに戸惑い、ぱっと鏡子から目を逸らすと、慌てて草履を脱ぎいでさっさと離れに逃れていってしまった。
かがんで草履を脱いでいた椿は、ちらりと鏡子を見上げた。
じっと、去っていく柚月の姿を見守っている。
その目は、どこか悲し気だった。
数日後、雪原が険しい顔で邸に来た。
冨康は家臣もつれず、一人姿を消したらしい。
城では、さらわれたのだと、家臣たちが騒いでいるという。
だが柚月には、やはり冨康は、自ら出て行ったのではないかと思えた。
たった一人出て行ったということは、もう家臣の誰のことも信用していないのだろう。
内心では、雪原のことさえも。
雪原も同意見だ。
雪原は「城に戻る」と言って、また出て行った。
「城」とは言っていたが、おそらく、本宅に帰るのだろう。
柚月は町に出た。
何ができるわけでもないが、じっとしていられる気分ではない。
椿もついて来た。
鏡子に何か使いを頼まれたらしい。
薬屋の前を通りかかると、椿が寄ると言うので、柚月は店の前で待った。
その時だ。
「柚月さん?」
柚月は見覚えのある顔に声をかけられた。
義孝とよく行っていた団子屋の娘だ。
「お久しぶりです。しばらくいらっしゃらないと思っていたら、ご出世されてたんですね」
娘は商売人らしい、愛想のよい笑顔を見せる。
が、柚月は何の話か。
ピンとこない。
「雪原様にお仕えなのでしょう? 陸軍総裁の」
「えっ?」
驚きと警戒が同時に湧き、柚月の眉が跳ね上がった。
「雪原様が横浦に行かれる列に、柚月さんを見たって。お客さんが。それでこの前、また雪原様が、今度は旧都に出向かれるって聞いて、ご一行を見に行ったんですよ。そしたら、本当に柚月さんがいたから。もう、びっくりして。うちのお客さん、立派な人だったのねって、お父っちゃんと話してたんですよ」
娘は話しながら、嬉しそうにぴょんぴょん跳ねている。
庶民相手の団子屋だ。
まさかそんな上流階級の人間と関わり合いになるなど、思ってもみない。
柚月は、なるほど、と安堵すると同時に、やはり、と思った。
雪原の一向に混ざることで、いろんな人に自分の存在を知られている。
生きている、ということを。
「義孝さんは、ご一緒じゃないんですか?」
娘が無垢に聞く。
「ああ、いや」
柚月はうつむき、あいまいな返事になった。
適当な嘘さえ、出てこない。
「ふーん。仲、よろしかったのに」
娘は何気なく漏らすと、使いで出てきたことを思い出し、「またお店、来てくださいね」と、手を振って明るく去っていった。
『仲、よろしかったのに』
娘の言葉が胸に居座り、柚月は頭をガシガシと掻いた。
そこへ椿が戻ってきた。
その時だ。
にわかに騒がしくなった。
少し先の通りのようだ。
「喧嘩らしいぞ」
そう言いながら、男が二人、見物に駆けていく。
活気ありすぎる為か、都ではそういうことが時々ある。
そしてそれは、人々のちょっとした娯楽だ。
大したことではない。
だが柚月は、男たちが向かった先が気になった。
さっき団子屋の娘が去っていった方だ。
「行きましょう」
椿が声をかけても、柚月はじっと騒ぎの方を見ている。
椿は嫌な予感がした。
そして、その予感通り。
「ごめん、ちょっと」
柚月はそう言うなり、騒ぎの方に駆け出した。
一本先の通りに、人だかりができている。
その中央に、傘をかぶった男一人。
それを数人の男が取り囲んでいた。
双方皆、腰には刀。
「武士の喧嘩か?」
野次馬の好奇心があおられる。
男たちが抜刀したことで、観衆はさらに沸き立った。
初めに刀を抜いたのは、取り囲んでいた方の一人。
それに応じて傘の男も抜刀し、ほかの男たちも皆抜き、斬りあいになった。
野次馬も巻き込まれそうなほど激しい。
歓声がどよめきに、さらには悲鳴が交じりだした。
止めに入るべきか、いや、すぐに警備隊が来るか。
柚月は迷っているうちに、袖を引かれた。
椿だ。
柚月を見上げ、首を振る。
心配そうな顔だ。
柚月は安心させるように微笑んだ。
袖を握る手に自身の手をそっと重ねてやると、椿は少し安堵したように柚月の袖を放した。
その時だ。
わっと声が上がった。
はじかれた男が、人だかりに突っ込んでいる。
逃げまどう野次馬たちの中に、団子屋の娘の姿があった。
人にもまれ、転んだ。
柚月は飛び出していた。
止めようと、椿は咄嗟に手を伸ばす。
が、その手が、空を掴んだ。
「大丈夫?」
柚月は娘を助け起こしてやると、下がるよう促した。
新たな人物の突然の登場に、もめていた男たちの動きが止まる。
傘の男の目だけが、大きく見開いた。
「一華…」
微かに漏れたその声は、傘の内にとどまり、誰にも聞こえない。
「何者だ⁉」
一人が、大きな声を上げた。
柚月は答えない。
代わりに、声を張った。
「自分から名乗るのが筋でしょう。喧嘩は良くない。まして、そんなものを持ち出して。市民が巻き込まれたら、ことですよ」
突然現れた凛々しい若者に、野次馬の熱が再び上がる。
「兄ちゃん、やっちゃえ!」
苛立った男が振りかぶり、柚月に襲いかかった。
大振りだ。
ひらりとかわし、男の背中を押すと、体勢を崩した男はそのまま地面に転がった。
野次馬から歓声が上がる。
続いて、別の男が振りかぶってきた。
その瞬間。
「警備隊だ!」
誰かが叫んだ。
野次馬たちがどよめき、男たちの意識が一瞬とんだ。
その隙を、傘の男は逃さなかった。
さっと立ち去り、人ごみに消えた。
それを見て、対峙していた男たちも苦々しそうに去っていく。
柚月も急いで人ごみにまぎれ、椿の元に戻った。
「行こう」
椿の手を引いた。
野次馬が、散り散りになっていく。
その中に隠れながら突っ切った。
しばらく走り、静かなところまでくると、柚月はやっと足を止めた。
どうやら、追ってくる者もいない。
だが、少々邸とは違う方向に来てしまったようだ。
「大通りの方に出ようか」
柚月はそう言うと、するっと椿の手を放し、歩き出した。
頭は帰路を考えている。
そのため、椿の様子に気が付かなかった。
椿はぎゅっと手を握りしめ、じっと立ち止まっている。
「どうして、あんなことを。柚月さんが、斬られていたかもしれないのですよ」
責めるような声だ。
だが、柚月はそれにも気づかない。
「ああ、ごめん。でも、ほら…」
言い訳するように振り向き、ぎょっとした。
椿は顔を真っ赤にして、目に涙を溜めている。
「え」
柚月は驚きでそう漏らしたが、それ以上言葉が出ない。
椿は涙でいっぱいの目で柚月を睨むように見ると、何も言わずに駆け出した。
「え、ちょっと、待って」
柚月は咄嗟に椿の腕を掴んだが、椿はそれを振りはらい、振り返りもせず駆けて行く。
柚月はポツリ、一人取り残された。
何が、起こったのだろう。
あっけにとられ、立ち尽くす。
その視線の先で、椿の後姿はどんどん小さくなっていった。




