参.出遇う
噂の嵐が吹きすさぶ中、柚月は一人、腰の刀に肘をかけ、街を歩いていた。
すべての音が遠い。
人々の、噂しあう声も。
行きかう足音も。
まるで柚月の周りにだけ、音が近寄ってこないようだ。
その中を、突然、陽気なノリが貫いて来た。
「よう! 柚月」
声と同時に勢いよく肩を組まれ、その衝撃と重みで柚月はハッと我に返った。
「なんだよ、義孝」
振り向いた柚月の顔は、見事なしかめっ面だ。
その顔に、肩を組んできた青年はニッと笑った。
瀬尾義孝。
この軽いノリの親友は、加減を知らない。
いつものことだが、肩を組んでくる勢いがよすぎて、首が痛い。
そしてこれもいつものことだが、義孝の方は柚月の眉間の皺など気にしていない。
「まぁまぁ、そう照れんなって」
そう言って、柚月よりもやや整った、だが、同じく無造作な短髪の頭を、柚月の頭にぴったりくっつけた。
その視線は、噂話に懸命な人たちに向けられている。
「ま~た人斬りが出たってよ。街中その話で持ち切りだぜ」
義孝は楽しそうにそう言うと、柚月の顔を覗き込んだ。
その目は、一変して、鋭い。
「昨日は、大変だったな」
声も低くなっている。
柚月は空に向かって一息つくと、義孝の腕から逃れ、そばにあった団子屋の長椅子に腰かけた。
「お姉さーん、団子とお茶、二つ」
義孝が店先にいる団子屋の娘に向かって声を張る。
「はーい」
商売人らしい、愛想の良い返事だ。
義孝は、いそいそと店に入って行く娘の姿を見届けると、柚月の隣に腰を下ろした。
「雪原麟太郎が、陸軍総裁になったらしい」
義孝の声は、周囲を警戒するように低い。
「雪原、麟太郎?」
柚月はピンとこない。
義孝と同じく、低い声で聞き返す。
聞きなれない名だ。
「まあ、知らねえよな。俺もそうだった。雪原家の五男坊らしい。代々政府の中枢を担うあの雪原家も、五男坊ともなれば影が薄い。外務職だったらしいからな。横浦で、外交官をしていたらしい」
「外交官から、陸軍総裁に?」
柚月は驚いた。
封国をしているこの国も、政府が認めた数か所の港でわずかに貿易をしている。
横浦はその一つ、都の東隣り、都から一番近い港だ。
だが、政府が外交に本腰を入れていないこともあり、貿易含め、外交にあたる外務職は政府内でも地位が低い。
左遷された者が配属されることもあるくらいだ。
一方陸軍は、この国の軍事力そのもの。
もちろん海軍も存在するが、海外と戦などしないこの国にとって、その役目は薄い。
軍と言えば陸軍だ。
その長たる総裁など、従軍している者でもそうそうなれるものではない。
まして、一外交官が任命されるなど。
異例すぎる出世だ。
「つまり、政府が、海外の力を借りることにしたってことだろ。覚えてるか? 舶来の銃の性能の高さ。この国の銃なんて、おもちゃみたいなもんだ。違いすぎる」
海外とのつながりが強い者を軍の中枢に置き、その力を借りて、軍事力を一気に強化する。
その目的は、つまり。
柚月は嫌な予感がした。
「本格的に、開世隊を武力で潰す気だ」
義孝が柚月の心を代弁し、柚月の顔が苦々しくゆがむ。
「だとすると、戦になる」
「それしかないだろう。それが一番手っ取り早い」
義孝の目が、ギラリと鋭く光った。
「お待ちどうさま」
柚月は何か言おうとしたが、団子屋の娘の愛想のいい声に遮られ、張り詰めた空気が一瞬で緩んだ。
「ありがとう。そのかんざし、初めて見るな。似合ってるよ」
義孝の調子のいい言葉に、娘は「お上手ですね」などと照れてはいるが、嬉しそうだ。
義孝は、そういう細かいところに、本当によく気づく。
柚月は感心した。
というより、あきれた、という方が正しい。
我関せずと、一人静かに茶に口をつけた。
その横で、二人の話は盛り上がっている。
「義孝さんと柚月さんって、ほんとに仲いいですよね。いつも一緒で」
「そりゃそうだよ。ガキの頃からの、大・親・友! だから」
そう言って、義孝が勢いよく柚月の肩に手をまわし、茶を持つ柚月の手が大きく揺れた。
「おいっ! 茶ぁこぼれるだろ!」
柚月はイラっとしてグイッと義孝を押しのけたが、義孝の方は楽しそうにヘラヘラ笑っている。
「まあまあ、そう怒んなよ。濡れたところで、ボロ服じゃん?」
反省の色もない。
「うっせ、お前もだろ!」
柚月ばかりムキになっている。
確かに二人とも、着物も袴も随分着古した物で、薄汚れている。
武士の象徴である刀を持っているので、一応武士と分かる。が、脇差はなく、長刀一本だけ。
二人そろって、貧乏丸出しである。
だが二人とも、それを悲観する様子は微塵もない。
「まぁまぁ。団子でも食えよ」
義孝は、まだ柚月にじゃれついている。
「それ、お前の食いかけだろ⁉」
二〇歳手前の男二人。
団子屋の席でギャアギャアうるさい。
だが、やはり仲がいい。
団子屋の娘はおかしくなった。
「ごゆっくり」
そう言って娘が店に戻っていくと、入れ替わりに女が一人、すっと通りかかった。
その姿。
「あ」
柚月は思わず声が出た。
女の方も気づいたらしい。
笑みを見せると、柚月に丁寧に頭を下げた。
「昨日は、本当にありがとうございました」
昨夜、柚月が出逢った女だ。
「え、何、知り合い?」
義孝は驚いて、団子を手に持ったまま、柚月と女を交互に見ている。
無理もない。
女は、年のころは十六・七。
身なりからして中級の武家の娘、といったところ。本来なら、自分たちとは接点がない人間だ。
いやなにより、かわいい。
透き通るような白い肌。
結い上げられた髪は絹糸の様に繊細で、やや明るく茶色がかっているのも目を引く。
よく見ると、目の色も珍しく緑が混ざっている。
義孝は興味津々。
目が、誰だよ? と聞いている。
柚月は困って頬を掻いた。
昨夜逃げている時に会った、とも言えない。
「あ…っとぉ」
言葉を探していると、女の後ろから男が顔を出した。
三十代半ばから後半といったところのその男は、身なりがよく、帯刀しているところを見ると、中級か、いやそれ以上。
それなりの家柄の武士だ。
「どうかしましたか? 椿」
穏やかな声だ。身なりを裏切らず、落ち着きと品がある。
そしてこの女は、椿、という名らしい。
「この方が、昨日、邸の近くまで送ってくださったのです」
椿が紹介するように柚月を差すと、男は、ゆるりと柚月に視線を向けた。
その瞬間。
柚月の肩がビクリと震えた。
男の目が、鋭い。
だか、それは一瞬のこと。
柚月は、椿との関係を変に誤解されたか、と焦ったが、そう思った次の瞬間には、男の目から鋭さがすっと消えた。
そしてそのまま男の視線は、今度は柚月の身分でも確かめようとしたのか、柚月の刀の方に移った。
使い込まれた、古いだけの無名の刀。
持ち主が下級武士であることを表す以外、大した価値があるようにも思えない。
だがその刀を見た瞬間、男の目が、わずかに見開かれた。
ただ、それもまた、ほんの一瞬。
男は穏やかに微笑むと、柚月に向かって丁寧に頭を下げた。
「ご親切に。ありがとうございました。帰りが遅いので心配していたのです。最近、市中も物騒ですので」
「あ、いえ」
柚月は慌てて立ち上がり、頭を下げた。
むしろ、巻き込んでしまって申し訳ない。とは、言えない。
「では」
男は義孝の方にも会釈をすると、その場を後にした。
椿も男に倣い、その後ろについて行く。
二人は街の雑踏に混ざって、見えなくなった。
「お前、どこであんなかわいい子と知り合ったんだよ?」
義孝が茶化してきたが、柚月には義孝の声が遠い。
「…椿」
そうつぶやくと、二人が消えた雑踏を、ずっと、じっと、見つめていた。
胸に、何か引っかかる。
不思議な引っかかりだ。
だが、それが何なのか。
分からないまま――。