六.似た背のふたり
老人の家は、集落の端の小高いところにあった。
「ありがとう、お嬢さん」
縁側に座らされた老人は、椿が手当てを終えると、柚月に対するのとは別人のように、丁寧に礼を言った。
柚月はというと、庭の端ですっかり背中を向けてしまっている。
顔は見えなくても、むくれているのが分かる。
道中、二人はますますムキになり、ずっと子供のケンカのように言い合っていた。
椿は、柚月があんなに声を荒げている姿を、初めて見た。
だが、おぶった状態でよくそんなに揉められるものだ、とおかしくなり、二人の後ろについて歩きながら、こっそり笑ってしまった。
ふてくされた柚月は、老人を縁側に下ろすなり頬を膨らませ、「クソ爺」と吐き捨てるように独り言った。
だが途中で見捨てなかったばかりか、家に着くと、自分は下手だからと言って、椿に老人の手当てを頼み、そして今も、その手当てが終わるのをじっと待っている。
さすがに退屈したのか、庭に入ってきた猫と遊び始めた。
――そういう人なのだな。
椿は柚月の背中を見ながら、自然と笑みが漏れた。
「柚月さん」
縁側から椿が声をかけると、振り向いた柚月は、椿の笑みを見て手当が終わったのだと分かったのだろう。
縁側にやってくると老人の隣に腰かけた。
「大丈夫なのかよ」
ややぶっきらぼうな口調だが、少しは気持ちが落ち着いたらしい。
柚月の声には、優しさが戻っている。
「大したことない」
老人の方も、不愛想だが先ほどよりかは幾分落ち着いている。
その足にはしっかりと包帯が巻かれ、しばらく歩くのに不自由しそうだ。
柚月は部屋の中を見渡した。
一人住まいなのか、殺風景で、必要最低限な物しかないようだ。
そんな中、片隅にひっそりと、刀が一振り立てかけてあるのが目に留まった。
「じいさん、武士なの?」
「ああ? あんなもん、錆びついて抜けもせんよ」
老人は柚月の視線の先をちらりと見ると、ぼんやりとした口調でそう言って、さっさと視線を庭に戻してしまった。
「へえ。なんか、立派そうなのに、もったいないな」
隠すように壁に立てかけられているその刀は、鞘に紋があしらわれ、このあばら家には不釣り合いな、高貴な雰囲気を放っている。
刀に詳しくない柚月にも、特別な一振りだということが分かる。
「刀で成せる事など、たかが知れている。」
老人の声には、失望のような響きが混ざっている。
大切なものを失くした。
そんな響きだ。
「じいさん、家族、いないの?」
「おらん」
老人の突き放したような言い方の中には、寂しさ混ざっている。
柚月にも、いたんだな、と分かった。
「へえ、じゃあ、俺と一緒だな」
柚月は足をプラプラ揺らしながら、庭を見つめた。
その顔は、老人を慰めるように微笑んでいる。
「お前、親兄弟はおらんのか」
「いない。皆死んだ」
「じいさん、ばあさんもか」
そう聞かれて、柚月はふと考えた。そんなことを聞かれるのは、初めてかもしれない。
「そういえば、じいさんとかばあさんのことは知らないな。物心ついた時には、親父と二人だったから」
「親父殿と?」
「そう。母親は早くに死んじゃってたから。あ、そうそう、おれの親父も、権時っていうんだよ」
「権時…」
老人は、噛みしめるようにつぶやいた。
「さっきじいさんも、『ケンジ』って呼ばれてただろ?」
「あ? ああ、あれはケンジじゃない。『ケン爺』じゃ」
「けんじい?」
柚月は一瞬意味が分からず聞き返したが、すぐに「ああ」と理解した。
「ケンジジイね」
「誰がジジイじゃ」
柚月はいたずら坊主のように笑っている。
その横顔を、ケン爺はじっと見つめた。
「若造、お前の名前は」
ケン爺の声に、何かを確かめるような重みが混ざった。
が、柚月はそれに気づいていない。
笑いが収まらないまま無邪気に振り向いた。
「ああ、俺?」
夕日が、柚月の明るい笑顔を照らしている。
「一華。柚月一華」
「一華…」
そうつぶやくと、ケン爺は遠くを見るような目で庭を見た。
「一つ世に咲く、大輪の華か」
柚月は「え」と驚き、目を見開いた。
「なんで、知ってんの?」
いつか、父親が言っていた。
一つこの世に大きく咲く華になれ。
一華と言う名は、そう願って付けられたものだ。
「そんな変わった名前、そんなような意味だろう」
「は? なんだよ、それ」
ケン爺は小ばかにしたように微笑み、柚月もまた、笑っている。
日が暮れていく。
赤く染まる空に浮かぶ夕日が、縁側に座る二人を橙に照らす。
その並んだ背は、どことなく似ている。
「その刀は、どうした」
ケン爺に目で差され、柚月は刀を見せるように少し持ち上げた。
「これ? 親父の形見だよ」
よく、使い込まれている。
ケン爺は、柚月の瞳の奥を見るようにじっと見つめ、ふと、悲しげに視線を落とした。
「え、何?」
「いや…」
そう言ったきり、黙った。
日が沈む山に、カラスが帰っていく。
その声が、遠くにぎやかに聞こえてくる。
「西が、騒がしそうだな」
ケン爺が独り言のようにつぶやいた。
西には、萩がある。
「この国を、いい国にしたいだけなんだけどな」
柚月もポツリと漏らす。
「いい国?」
ケン爺が振り向くと、柚月と目があった。
「そう、弱い人が安心して暮らせる国」
柚月の口元は笑んでいるが、その目には、まっすぐに揺るがない強い光が宿っている。
――心星だな。
ケン爺は少しうれしそうにふっと笑うと、また庭に視線を戻した。
「そろそろ、陸軍総裁殿のところに帰らんでいいのか。もう、謁見も終わっとるだろ」
「え?」
柚月が驚くと、ケン爺はニヤリと笑った。
「それくらい分かるわい。ここいらで刀をぶら下げとるのは、都から来たお武家さんとその家来くらいじゃ。旧都なんぞと言っとるが、実際は落ちぶれた貴族がいるくらいで、盗賊もよりつかんからの。それに…」
ケン爺は振り返り、後ろに座っている椿の手を見た。
「移り住んできた若夫婦、というわけでもなさそうじゃ」
椿は手の平を隠すように伏せた。
その手には、刀を握る者にできるタコがある。
「日が暮れる前に帰れ」
街の雰囲気からして、治安は良くはなさそうだ。
確かに、暗くなる前に宿に戻った方がいい。
柚月が椿を振り返り、「帰ろう」と目で合図をすると、椿もうなずいた。
「じゃあなー」
庭の端まで来たところで、柚月は振り返り、縁側のケン爺に手を振った。
その隣で、椿が静かに礼をしている。
ケン爺は、ただじっと二人を見つめて応えた。
そして、二人の姿が見えなくなるまでずっと、ただ静かに、ずっと見送った。




