表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/51

八.偶然がもたらした確信

 翌日も、朝から西洋館を訪れた。

 前日とは別の館で、今度はその館の主が夫婦で出迎え、雪原は相変わらず流ちょうな外国語で話し、楽しそうに笑いあい、主たちと昼食を共にすると、館を後にした。


 一行はそのまま、宿に引き返すのかに思われた。

が、市場の近くを通りかかった時だ。

雪原は「ちょっと散歩して帰ります」と言って籠を降りると、清名と柚月だけを供にして、あとの者は宿に帰した。


 ここでもやはり藤堂は、「危険です」と最後まで食い下がったが、清名に制され、しぶしぶ宿に帰っていった。


 横浦の市場。

 そこは、一歩踏み入れただけで、別世界だ。


 活気があるのは言うまでもない。

 だが都とはまた違った活気だ。


 封国(ふうこく)下ではまず出逢うことのない異国の人々が溢れ、外国語が飛び交い、通りには籠ではなく馬車が走っていく。

 さらに、所狭しと並ぶ露店で売られているのは、海外から輸入した舶来品ばかりだ。


 訪れる者は皆、この国にいることを、日常を、忘れてしまう。


「やはり、横浦はいいですね」


 雪原は大きく伸びをした。

 文字通り、羽を伸ばしている。


 裏腹に、清名は緊張の面持ちだ。

 警備が手薄なうえに、人が多い。

 柚月も自然と周りを警戒した。


 雪原一人、のんきな顔で楽しそうである。

 露店を見て歩き、何か気になったのか、女物の小物がたくさん並んでいる店の前で足を止めた。


「いらっしゃいませ。お土産ですか?」


 商売人は(かす)かな好機も逃さない。

 すかさず愛想の良い店主が顔を出し、商品の説明を始めた。


 とにかく、舶来の珍しい物ばかりらしい。

 雪原も興味を示している。

 少し、長くなりそうだ。


 柚月は店主の声を耳の端で捉えながら、周囲に広く意識を集中した。

 話声、足音、物音。

 自然と色んな音が耳に入ってくる。


 だがガヤガヤと、一つ一つははっきりしない。

 その中を、男の声が貫いて来た。


「おや、栗原(くりはら)様」


 柚月は反射的に振り向いた。

 隣の露店の店主が、通りかかった男に声をかけている。


 よく来る客のようだ。

 店主と親しいらしい。

 男は店主と二三言葉を交わすと、去っていった。


 柚月は、何事もなかったように雪原に注意を戻した。

 雪原は変わらず、店主と楽しそうに話している。


 変わらずに。


 柚月はそう思った。

 だが、男の声に反応したのは、柚月だけではない。

 雪原もだ。

 いや正確には、雪原は、柚月が男の声に反応したことを見逃さなかった。


 だが柚月はそんなこと、気づきもしない。

 雪原の様子を確認すると、今度は周囲を見回し始めた。

 通りは、変わらず賑わっている。

 不審な人間も気配もない。


 柚月は再び雪原の近くに視線を戻し、ふと店頭のかんざしが目に入った。

 かんざしの形はしているが、異国風の飾りがついている。

 珍しいな。

 そう思うと同時に、無意識に手に取っていた。


『これ、土産にどうかな。』


 ふいに、義孝のうれしそうな声が聞こえた。

 耳ではない。

 頭の中だ。

 それとともに、一気に懐かしい景色に引き戻されていた。


 以前、横浦に来た時のことだ。

 義孝は露店で珍しい髪飾りを手に取り、柚月に見せた。


 また、女か。

 柚月はあきれて、「いいんじゃないか」と適当に答えた。


 四年ほど前になる。

 都に来て、一月を過ぎた頃だった。


 都に来てから五日と開けず、暗殺の(めい)が下った。

 柚月は何人も何人も斬った。

 新しい国のために。

 そう自分に言い聞かせながら。


 だが、何かが変わっているようにも思えない。

 ただ、染みついた血の匂いが、濃くなっていくばかり。

 柚月の目は光が薄れ、日に日に(よど)んでいった。


 友としてだけでなく、見分役として現場にも同行していた義孝には、それがよくわかった。

 辛かった。

 横浦に行こうと言い出したのは、義孝だった。


 柚月のすぐ後ろを、馬車が通っていく。

 市場の賑わいは、あの時と何も変わってはいない。


 柚月は脇腹に手を当てた。

 包帯の感触の下に、傷の痛みがある。

 この痛みが、現実を突き付けてくる。


 柚月は思い出に別れを告げるように、かんざしをもとの場所に戻そうとした。

 痛い。

 傷が痛むのか、心が痛むのか、分からない。

 だが、ただただ…。


「戻す必要はありませんよ」


 突然の声に、柚月はハッと手が止まった。

 雪原が、にこやかに微笑んでいる。


「かわいいですね。椿に似合いそうです」

「え?」


 驚く柚月の横で、雪原は店頭の手鏡と髪飾りを一つずつ指さし、「あと、これも」と言って、柚月が手にしているかんざしも(あわ)せて買い求めた。


「妻と鏡子にお土産です」


 そう言いながら、雪原は勘定を払っている。

 商品を受け取ると柚月に振り向き、ニコリとした。


「男はマメじゃないと」

「…はあ」


 柚月は曖昧な返事をしながら苦笑したが、半分あきれ顔になっている。

 なんだか分からないが、さすがだ。


「それ、椿に渡しておいてくださいね。どこかで、かんざしを失くしたようなのですよ」


 そう言うと、雪原は再び歩き出した。

 あの山で落としたのではないか。

 柚月はそう思ったが、口にはしなかった。

 椿がかんざしをしていたかどうかも、覚えていない。


「横浦には来たことがあるそうですね」


 雪原は楽しそうに露店に目をやりながら、世間話のように切り出した。


「『先生』というのは、楠木(くすのき)のことですか?」


 柚月は一瞬驚いたが、すぐに、椿に聞いたのだな、と納得した。

 雪原には、嘘が通じる気がしない。


「はい。でも、先生と来たというのは、嘘です。本当は…」


 そこまで言って、言葉に詰まった。

 なんと言っていいのか。

 迷う。


「…友達と」


 頼りない声になった。

 それ以外の言葉が見つからない。


 友だち、親友、ダチ。

 どれも口にするには恥ずかしい。

 でも、当然のようにそう思ってきた。

 だが今は――。


 なんと重い、一言だろう。


瀬尾義孝(せおよしたか)、ですか」


 ずばり言われ、柚月は目を見開いた。

 雪原は相変わらず、何気なく露店の方を見ている。

 その顔に、動揺も緊張もない。

 本当にただ、土産物を見ているだけの顔だ。


 ――すべて、お見通しか。


 柚月は腹をくくった。


「はい」


 その答えは予想通りだったのか、望まないものだったのか。

 雪原はピタリと止まり、顔からすっと表情が消えた。


「…そうですか」


 そう漏らしたきり、じっと何かを見つめている。

 また歩き出すと、少し疲れた、と言わんばかりに背伸びをした。


「少し、休みましょうか」


 雪原の視線の先に、茶屋があった。


 雪原が店先の長椅子に腰かけ、清名が茶を注文した。

 雪原の隣には、もう一人座れる隙間がある。


 が、柚月は妙に律儀な青年だ。

 清名が立っているので、当然のように(なら)って立っている。


 清名は柚月に座るよう促した。

 ケガをした身を気遣ってのことだ。

 だが、不愛想なこの男の気遣いは、伝わりにくい。

 柚月は尋問でもされるのかと、わずかに緊張した。


「瀬尾とは、親しかったのですか?」


 雪原の問いに、柚月は胸が痛んだ。


「…親友…でした」

「そうですか」


 ちょうど茶が運ばれてきて、雪原は湯呑(ゆのみ)を手に取った。

 だが、両手で持ったまま、口にしない。

 雪原の膝の上で、湯呑から上がる(かす)かな湯気が揺れている。


「俺は十歳の時に親父が死んで、それから明倫館(めいりんかん)で育ちました。義孝もその頃に。あいつは、家出してきてて。あいつ、百姓出なんです。(はぎ)の農村は貧しくて。嫌になったみたいで。自分も武士になるとか言って。年も近かったし。周りは大人ばっかりで。…いつも、一緒にいました。」


 柚月は無意識に口元に笑みが漏れ、やや多弁にもなっている。

 その様子から、二人の関係が分かる。

 本当に、親友だったのだ。


「兄弟のように育ったのですね」

「まあ…、そうですね。そうかもしれません。明倫館の皆は、俺にとっては、家族でした」


 ――でした、か。


 過去形。

 そのことに雪原は胸が痛み、湯呑をゆっくりゆすりながら、中で揺れる茶をじっと見た。


 目の前の通りに、赤ん坊を負ぶった女の子が立っている。

 まだ幼い。十歳にもならないだろう。

 ほかの子供たちが楽しそうに駆け回っているのに、その子は一人、赤ん坊をあやしている。

 その赤ん坊の手から、風車がぽとりと落ちた。


 柚月はゆるりと立ち上がり、女の子の方に歩き出した。

 やはり傷が痛むのか、わずかではあるがぎこちない歩き方をしている。

 その背中を、清名は見守るような目で見つめた。


「あの傷は、その親友にやられたのでしょうか」


 頭の回転の速い男だ。

 今の話で、大体の事情を察した。


 柚月の身分を公にしない理由も。

 帰るところがない理由も。


 刃を向けてきた仲間のところには、戻れまい。


 柚月が風車を拾って赤ん坊に渡してやると、女の子はぺこりと頭を下げた。

 その頭を、柚月は撫でてやっている。

 何か話しているのか、女の子の視線に合わせるように、少し身をかがめた。


 その姿勢では、ますます傷が痛むだろう。

 だが、女の子に微笑みかける柚月は、そんなことをみじんも見せない、優しい顔をしている。


「椿の報告では、そういうことのようです」


 雪原はぐいと茶を飲みほした。


「嫌な時代ですね」


 そう言いながら顔がゆがんだのは、茶の渋さのせいではない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=168506871&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ