五.孤独
関所を抜けると、静かになった。
都を出入りする行商人や旅人たちとちらほらすれ違うが、皆都の人たち程この小さな隊に気をとめる様子はない。
一行は、一本しかない道を黙々と進んでいく。
都を出てしまっては、柚月にはどこなのか分からない。
どこに向かっているのかも。
道は、都への出入りに使われるだけあって道幅は広いが、右手には木々が生い茂り、左手には岩肌をむき出しにした崖がそそり立っている。
上の方に木が生えているのが見えるが、随分高いところまで岩しかない。
まさに、岩の壁。
――すげぇな。
柚月は感動にも似た感情とともに、上の方まで高く続く岩を見上げた。
「七輪山ですよ」
いつの間にか籠の窓が開いていて、中から雪原が柚月の顔を見上げている。
「都の東の守りの要です」
そう言われて、柚月は再び岩壁を見上げた。
「…確かに」
ここを登るのは無理だ。
さらに、岩壁は道のずっと先まで続いている。
この山には、入り口がない。
すべてを阻む壁だ。
一行も、道幅は広いというのに、わざわざこの岩壁に寄って進んでいる。
この崖から攻めてこられることはない。
それを見越し、前後と右方向への警戒に集中しているのだ。
柚月はそびえたつ岩の壁に圧倒されて、ずっと見上げている。
雪原はその横顔をしばらく見つめていたが、やがてそっと窓を閉めた。
二人のやり取りを、後ろからずっと見ていた人物がいる。
護衛頭の藤堂だ。
厳しい目で、柚月を見張っている。
ほかの者達も、最初は正直、柚月の存在に抵抗があった。
何者か分からない。
見たこともない。
「柚月」という名さえ、都では聞かない。
突然降って湧いた、得体のしれない少年だ。
いや、青年か。
十代だろうが。
それさえ定かでない。
だが、いい物を着ている。
そこに説得力があった。
帯刀していることから、武士だということも分かる。
中級の、それなりの武家の者なのだろう、と次第に警戒が薄れ、都を出る頃には、「なにより雪原様がお連れになった者だ」と、自然と受け入れていた。
柚月は相変わらず、岩を見上げながら歩いている。
それが、ふいに左足が小石にひっかかり、つんのめった。
転びはしなかったが、体勢が崩れた拍子に岩から意識が逸れ、同時に気が付いた。
後方から、鋭い視線。
藤堂だ。
見張っている。
この男だけ、柚月に対する警戒を解いてはいない。
柚月は前を向いて歩き出したが、一度気づいてしまうと、気になる。
自分は疑われて当然。
仕方のないことだと分かっている。
が、藤堂の視線は矢のようだ。
刺さってくる。
なんだか背中が痛い。
思わず苦笑が漏れる。
すると今度は、小石を蹴ってしまった。
また左足だ。
しかも、蹴った小石が、前を歩いている人物に当たった。
清名だ。
都では柚月の隣を歩いていた清名だが、関所を越えてからは人だかりもない。
柚月の横を離れ、少し前を歩いていたのだ。
――あ、ヤベ。
柚月がそう思うと同時に、清名が振り向いた。
相変わらず真顔のまま、面のように表情に動きがない。
「すみ…ません」
柚月は咄嗟に謝ったが、清名は聞いているのかいないのか。
その視線は柚月ではなく、もっと後ろの方に向いている。
怒っているのか、何なのか。
清名の表情からはまるで分らない。
ただそれだけに、妙な圧がある。
「え…っと、あの…」
柚月がもう一度謝ろうとすると、清名は黙って後方に下がり、柚月のすぐ後ろについて歩き出した。
そのさらに後ろからは、藤堂の厳しい目が光っている。
――後ろからの圧が、半端ないんですけど。
柚月はまた苦笑が漏れると同時に、全身から変な汗が流れ始めた。
いったい何の罰だろうか。
柚月はそのまま、清名のモノ言わぬ圧と、藤堂の鋭い視線に背中を刺されながら、ずっと歩くことになった。
一行は黙々と前進する。
日が高くなってきた。
気温も上がっている。
少し暑い。
歩いているだけで、汗がにじんでくる。
それだけに、時折吹く風が心地いい。
少し先から、にぎわう声が聞こえてきた。
旅人が休憩する所なのだろう。店が何軒かある。
その手前で、一行は急に止まった。
「ちょっと休憩しましょう」
雪原は籠から降りながら、柚月にニコリとする。
「どうも籠は苦手です」
そう言うと、うーんと大きく伸びをした。
すぐそばに、「お食事処」と書かれた小さな店がある。
陸軍総裁が立ち寄るような店には見えない。
が、店主は雪原のことを知っているようだ。
物々しい一行に驚いていたが、雪原の姿を見つけると、店先で愛想のいい笑顔でぺこりと頭を下げた。
店主の妻と娘らしい二人も、同じように愛想の良い笑顔で腰を低くしている。
「柚月も自由にしていいですよ。疲れたでしょう」
雪原はそう言うと、店に入っていった。
清名だけが雪原について行き、ほかの者は思い思いに休んでいる。
店の者が弁当のような物を持ってくると、喜んでそれに群がった。
ただやはり、藤堂の厳しい視線だけがずっと柚月を追ってくる。
柚月は、すっと隊から離れた。
藤堂の視線が嫌だったわけではない。
柚月も分かっている。
都の人だかり。
あの人の山の中に、どんな人間が混ざっているか分からない。
そして今も、どこからどんな人間が目を光らせているか――。
柚月は道の脇に腰を下ろすと、ふう、と自然と息が漏れた。
ただ歩いただけだが、ずっと寝ていた体だ。
少し疲れた。
それに。
柚月は左の脇腹に手を当てた。
包帯の感触。
その下には、義孝に刺された傷がある。
剛夕と政府の間で和解が成立したとはいえ、開世隊、いや、楠木はおそらく退かないだろう。
そして何より、裏の仕事をしてきた柚月のことを、生かしておくとも思えない。
雪原は護衛と言っていたが、自分が同行している方が、危険なのではないだろうか。
柚月にはそう思えてならない。
穏やかな風が吹き、昼飯を楽しむ隊員たちの、楽しそうな声が聞こえてくる。
柚月は不安をかき消すように、空を見上げた。
青い空に、真っ白な雲が浮かび、その中に茶色い鳶が舞っている。
ふいに、人の気配を感じて視線を戻すと、清名だった。
まっすぐに柚月の方に向かってくる。
どうしたというのか。
さっき、雪原とともに店に入っていったはずだが。
疑問に思う柚月に、清名は笹の包みを渡した。
中に、握り飯が入っている。
「ありがとう…ございます」
わざわざ昼飯を持ってきてくれたのだろうか。
柚月が驚いていると、清名は柚月の隣に黙って腰を下ろした。
――いや、見張りか。
柚月はそう思ったが、その割に清名はまるで柚月の方を気にしていない。
休んでいる隊員たちの方を見ているが、それも監視しているようでもない。
ただ、遠くを見ているだけだ。
「あの」
柚月は恐る恐る声をかけてみた。
清名は遠くを見たまま、振り向きもしない。
「なんだ」
「その…」
柚月は、清名の淡白な声に一瞬怯んだ。
悪いことなどしていないが、なんだが、叱られそうな気がする。
「雪原さんについてなくて、いいんですか?」
「藤堂がついている」
清名は真顔のまま、表情も視線も動かない。
柚月の方を見もしない。
「そう…ですか」
柚月はそれ以上何も言えず、握り飯を食べ始めた。
ほおばりながらちらりと清名を見上げたが、清名はやはり、ただ遠くを見ている。
柚月の視線に気づいていないわけでもないだろうが、ちらりとも見返してこない。
腹の内が見えない。
ただ、厳格な人間なのだろう、ということだけは、その佇まいから伝わってくる。
寡黙で忠誠心が強い、いかにも武士、といった感じだ。
突然、柚月の背後からカサカサと草を掻き分かる音がして、清名の視線が始めて動いた。
猫だ。
茂みから猫が一匹、のそりと出てきた。
人間を警戒する様子もない。
柚月に近づくと、ねだるように「にゃー」と鳴いた。
おそらく、こうして旅人から餌をもらっているのだろう。
「これか?」
柚月は食べかけの握り飯を割り、猫の前に置いてやった。
猫は一瞬ピクリと一歩引いたが、空腹だったのか、すぐにがっつき始めた。
おいしそうに食べている。
柚月は自分が食べる手を止め、その様子を見つめた。
優しく、微笑んでいる。
まるで、孤独なもの同士、痛みを分かち合っているようだ。
「腹は減っていないのか」
「えっ?」
ふいに清名が口を開き、柚月は驚いて振り向いた。
柚月にしてみれば、清名の方から声をかけてくるとは思ってもみない。
まるで、突然人形がしゃべりだしたようだ。
「いえ、そんなことも、ないですけど…」
野良猫に餌をやったことを、咎められているのだろうか。
柚月は一瞬そう思った。
だが、分からない。
清名はただ、じっと柚月の顔を見ている。
が、その顔が「無」だ。何も読み取れない。
なんだか気まずい。
柚月が残りの握り飯をほおばり始めると、清名はただ黙ってそれを見ていた。
休憩が終わり、一行が進みだすと、後ろから「みゃーみゃー」と猫がついて来た。
柚月が握り飯を分けてやった猫だ。
柚月を追って、ずっとついてくる。
隊員たちも、何だろう、と不思議がってざわつき、とうとう籠の窓が開いて、雪原が顔をのぞかせた。
「おやおや」
追ってくる猫を見て、微笑んでいる。
――まずいなぁ。
柚月は猫に気づかないふりをしてきたが、どうやら限界だ。
そろそろ叱られそうである。
そこへ、清名がすっと近づいて来た。
「餌などやるからだ」
清名の声に抑揚はない。
怒っている風でもない。
だが、言葉が柚月を責めている。
柚月はぎくりとして、ちらっと清名の顔を見上げた。
――え、やっぱ、怒ってます?
顔色をうかがったが、清名は前を向いたまま柚月の方をちらりとも見ない。
やはり、分からない。
清名の視線の先、道の右手が、生い茂っていた木が無くなり、開けている。
風に、潮の香りが混ざり始めた。
道の向こうに、海が見える。
一行がどこに向かっているのか、柚月にも分かった。
一行が向かう先、それは、都の東隣。
海外との国交を断つ「封国」下でも貿易を許された、数少ない港がある町。
横浦だ。




