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四.清名 -せいな-

 十日ほど経った朝、雪原の愛人、鏡子(きょうこ)が、柚月の元に着物と袴を持ってきた。

 古着の用だが、柚月がこれまで着たこともない、質の良い物だ。

 雪原が若い頃に着ていた物らしい。


「とりあえず、これをお召しになるように、とのことです」


 鏡子はそれ以上言わず、部屋を出て行った。

 だが、障子戸にその影が映っている。


 ――待っているのか。


 柚月は急いで着替え、廊下に出た。


「こちらへ」


 そう言うと、鏡子は先に立って歩き出した。

 どこへ連れて行こうというのか。

 柚月は不審に思いながらも黙って続いた。


 渡り廊下を渡り、母屋(おもや)へ。

 大きくはなさそうだが、立派な建物だ。


 渡り廊下を渡った先は二間続きの客間があり、その手前で廊下は二手に分かれている。

 右へ曲がれば邸の中へと向かい、薄暗い。

 逆に左へ行けば外壁がなく、客間の周りをぐるりと回っている。

 鏡子は左へ曲がり、外回りの廊下を選んだ。


 離れの前から庭がつながっていて、狭いが、ここもやはりよく手入れされている。

 廊下の角を曲がると少し開け、正面に井戸が現れた。

 その右手には縁側がある。

 障子戸が開け放たれ、部屋の中に雪原が座っているのが見えた。


 客間の横を通りすぎると、廊下は邸に中へと廊下は続き、角を曲がった先の部屋に柚月は通された。

 廊下から見えた部屋だ。

 中で、雪原が待っていた。


「少し、大きかったですかね」


 雪原は柚月の姿を見て笑った。

 確かに、用意された着物は華奢な柚月には少々大きい。

 だが、中級の武士には見える出立(いでたち)となっている。

 雪原は柚月の姿を上から下まで見ると、「まあ、十分でしょう」と頷いた。


「ちょっと、護衛をお願いします」


 そう言ってニコリとする。


「護衛…ですか」


 柚月は困惑した。

 が、雪原は気に留める様子もなく、もう立ち上がりかけている。

 雪原の外出を察したのだろう、部屋の外にはすでに鏡子の姿もある。


「出かけます」

 雪原は鏡子に声をかけると、柚月を連れて(やしき)を出た。


 どこへ行こうというのか。

 なぜ、わざわざ自分を護衛につけるのか。

 柚月の顔には、腹の中にめぐる疑問が表れている。


 だが、雪原は気づいていないのか、気づかないふりをしているのか、何も言わない。

 そのまましばらく歩き、大通りに出ると待機していた二十名程度の隊と合流した。


 ただ、そこまでの道中、雪原は唯一、一人の男を柚月に紹介した。

 その男はたった一人、邸の玄関の外で深々と頭を下げ、雪原を待っていた。


清名(せいな)です」


 雪原が男を差すと、男は柚月に会釈をした。

 恐ろしく愛想がない。

 お面のような顔で、柚月をじっと見ている。

 柚月がぺこりと頭を下げても、その表情に変化はなかった。


 雪原はこんなにもニコニコしているというのに。

 二人の対照が、あまりに激しい。


「外交官の頃からの部下でしてね。まあ、私の側近です」


 そう言って微笑む雪原はどこか誇らしげで、清名への信頼が見えた。


「では、行きますか」


 そう言って、雪原は楽しそうに先頭に立って歩き、その後ろに清名、柚月と続いて大通りまで出た。

 大通りで合流したのは、雪原の護衛隊だ。

 雪原が乗るのだろう。(かご)も用意されている。

 雪原の姿が見えると、籠の傍にいた一人が歩み出た。


 ガタイがよく、武将という言葉が似あう男だ。

 護衛頭(ごえいがしら)で、藤堂(とうどう)という。


「待たせてすみませんね」

「いえ」


 雪原が声をかけると、藤堂は見かけからは想像できないほど、丁寧に一礼した。

 その横をすり抜けて、雪原はすでに籠に乗り込もうとしている。

 その雪原に、藤堂は正直に疑問をぶつけた。


「この者は?」


 藤堂は柚月を見ている。

 雪原も籠の中から柚月を覗き見た。


椿(つばき)の代わりです。たまには男ばかりの旅もいいでしょう?」


 雪原は流すように言ったが、流さないのが藤堂だ。


「それは構いませんが、しかし…」

 

 納得がいかないのを隠さない。

 雪原の傍に仕える者は、末端の護衛であってもその身元は明らかである。


 特にこの護衛隊は、雪原が陸軍総裁に任命された際、自身でその隊員を選定した、階級に関係なく、その能力を見込んで作られた精鋭部隊だ。

 隊員には、その誇りがある。

 藤堂もその例外ではない。


 むしろ、護衛頭ともなればなおのこと。

 色んな意味で、突然現れたこの見知らぬ青年を素直に受け入れることなどできない。


 だが、雪原はお構いなしだ。

 籠からひょっこり顔を出すと、藤堂に、ではなく、藤堂のすぐ後ろにいる柚月に声をかけた。


「柚月、籠の横について歩きなさい」


 さらっとそう言うと、「あ、柚月です」と、ついでのように柚月を藤堂に紹介した。

 当然、藤堂は納得するはずもない。


「いや、しかし!」


 閉じられようとしている籠の戸を抑え、食い下がる。

 雪原は、やれやれ、と言わんばかり。何かをあきらめたように、一つ息を吐いた。


 藤堂は雪原をじっと見つめ、答えを待っている。

 雪原は藤堂の方に身を傾けると、声を潜めた。


「私のお気に入りですよ。かわいい顔しているでしょう?」


 意味深な言い方をする雪原は、どこか色気のある目をしている。


「あまり詳しく説明させないでください」


 そう加えると、含みのある笑みを浮かべた。

 それはいったい、どういう意味なのか。

 そう思ったのは、藤堂だけではない。

 柚月も背筋にぞわぞわと走るものを感じた。

 確かに雪原は、礼は体で払ってもらう、と言ってはいたが。


 ――体でって。まさか…。


 嫌な予感。

 それは、つまり…。

 夜伽(よとぎ)


 ――俺、男ですけど⁉


「さ、行きましょう!」


 雪原の声を合図に、籠の戸がピシャッと閉じられた。

 藤堂と柚月は言葉を無くし、仲良く並んで固まってしまっている。

 そんな二人の心を置き去りに、一行は進行を始めた。


 朝もまだ早い。

 大通りが、都の東、七輪山(しちりんさん)から登った朝日に照らされている。


 藤堂は複雑な顔のまま。

 だが、さすが仕事に忠実なだけあって、進行が始まると同時に隊列に戻った。


 籠の後方、柚月の少し後ろだ。

 そこからじっと、柚月の背に鋭い目を向けている。

 柚月に対する警戒は、解けてはいない。


 おまけに、雪原が柚月を籠の横につけたのが面白くない。

 本来なら、藤堂がつく位置だ。


 柚月の方は、かろうじて籠について歩いてはいる。

 が、その頭の中は、雪原の言葉がぐるぐると回っている。


 顔色が悪い。

 足取りも、重い。


 一行が進む音が、目覚め始めた町に響く。

 しばらく行くと籠の窓が開き、中から雪原が清名を呼んだ。


「悪いが、柚月の横についてやってください」


 声を潜めながら、雪原の視線は柚月に向いている。

 清名もちらりと柚月を見た。

 二人の視線の先で、柚月は青ざめた顔でうつむいている。


 自分は何を求められているのだろうと、あらぬ妄想にとらわれているに違いない。

 そう思うと、雪原はこらえきれず、ぷぷっと吹き出してしまった。


「あまりからかわれては、可哀そうですよ」


 清名は半分あきれたような、困ったような顔でそう言ったが、すぐにすっと真顔に戻ると一礼し、柚月の横に立って歩き出した。

 この男は、雪原の言葉の意味をくみ取っている。

 当然、雪原は、ただ柚月の横に立って歩け、と言っているのではない。


 大通りを南に下れば、町人たちが生活する界隈(かいわい)を通る。

 そうなれば、一隊を率いて籠が通るのだ。自然と野次馬たちが集まり、人だかりができる。

 その目から、柚月をかばってやってほしい。

 雪原はそう言っている。


 ほどなくして、雪原や清名の予想に反することなく、好奇心に満ちた人だかりができた。

 清名は言われた通り柚月の横につき、その好奇の目から柚月を隠して歩いていく。

 当の柚月はというと、まだ一人、悶々としている。


 柚月自身、男色を否定するつもりはない。

 よくある話だ。

 だが、今自分が求められる立場になろうとは…。

 思ってもみなかった。

 まして、雪原は美人の愛人を囲っている。


 ――てっきり、女好きの面食いだと思ってた…。


 突然の予期せぬ事態に、柚月は口が悪くなっている。

 もちろん、外には聞こえないが。


 ――どうしよう。夜、部屋に呼ばれたら…。


 その様子が浮かび、顔が青ざめる。


 ――いやいや!


 慌ててぶんぶんと激しく頭を振った。

 外から見れば奇行だ。

 周囲の隊員はビクリとしたが、柚月は気づかない。

 もし、そうなったら、と、さらに考えがめぐっている。


 ――応えるべきか…。世話になってるし。


 行くべきか、行かざるべきか…。

 大問題だ!


 筋を通すなら応えるべきだ、とは思う。

 が、腹をくくるろうか、いやでも、と、柚月の心は定まらない。


 ――今日俺、なんか…、大事なものを失う気がする…。


「うーん…」


 柚月は考え込むように、両手で顔を(おお)った。

 今度はいったいどうしたのだ、と、周囲の隊員は柚月の様子が気になり、落ち着かない。


 そんな中でも、全く動じないのが清名だ。

 柚月の一番近くにいるというのに、柚月が突然頭を激しく振っても、唸っても、ピクリともしない。

 ちらりと見たが、すぐに視線を前方に戻した。

 表情一つ動かない。


 手で顔を覆ってうつむく柚月は、自然と顔が隠れ、もはや誰だか分からない。

 清名がわざわざ隠してやる必要があるのか、疑問だ。

 だが清名は、ただただ雪原の命に忠実に、群衆の目から柚月をかばい続けている。

 やがて柚月は、何か思いついたように、パッと顔から手を離した。


 ――今考えても、(らち)が明かん!


 何より、もう考えるのが面倒になっている。

 柚月は大きく息を吸いながら顔を上げると、ガシガシ勢いよく頭を掻いた。

 また周囲の隊員はビクリとしたが、柚月は気づかない。

 ひとつ、勢いよく息を吐くと、幾分すっきりとした顔になった。


 そうこうするうちに、一行は東の関所を出た。


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