十一.その男
男は、肘置きが据えられた場所に腰を下ろすと、柚月に向いた。
「こうして、きちんととお目にかかるのは初めてですね。柚月一華さん」
男が穏やかに口にした言葉に、柚月は驚いた。
名乗った覚えはない。
「いえ、開世隊お抱えの暗殺者、人斬り柚月さん」
柚月は雷に打たれたような衝撃が走り、反射的に跳ね上ると、刀に手を掛け、構えた。
――どこで知った? どこまで知ってる⁉
それは、開世隊の中でも、楠木に近い、ほんの一部の人間しか知らないことだ。
柚月は思うように体が動かず、膝をついたままになったが、射抜くような鋭い目で男を捉えている。
さっきまでとはまるで別人。
その目は、情を宿さない、人斬りの目だ。
が、男は動じる様子もない。
それどころか、穏やかに苦笑した。
「いやあ、苦労しましたよ、あなたを見つけるの」
柚月の方も動じない。
構えの姿勢を崩さず、まっすぐに男を睨みつけている。
その冷静さが、この青年が経験してきた修羅場の数を思わせる。
――さすが人斬り、ということか。
男は密かに感心すると、すっと真顔になった。
「ここ四年、随分政府の人間を斬ってくれましたね」
男の声に、先ほどのような明るさはない。
かといって、憎しみや怒りもない。
ただただ冷静な声だ。
「犯行が始まった時期から、開世隊による暗殺だということはすぐにわかりました。そしてその手口から、下手人は一人だということも。ですが、それ以上は、なかなか情報が無くてね。なんせ、あなたはいつも鮮やかすぎる。犯行に共通するのは二点。目的の人間しか殺さないこと。そして、その場に居合わせた者に姿を見られないということ。」
男は淡々と続ける。
「多くの御仁が暗殺を恐れ、護衛をつけていた。にもかかわらず、見事に斬られ、護衛たちは怪我をしたのみで生きていました。ですが、下手人の姿をはっきり見た者は、ほとんどいない。突風が吹いただの、影が襲ってきただの、中には、女や少年だったと言う者もいましてね。かえってこちらも混乱しましたよ。何より、姿を見られずに特定の人間だけを斬る。そんなこと、人のなせる業なのかと、にわかには信じがたいものでした。実際に、遭遇するまでは」
そう言うと、男の目に鋭さが混ざった。
「半月ほど前です。あれは、本当に偶然でした。先に城を出られた大蔵卿、高良康景様を追っていた時のことです。梅小路あたりで追いつけると思っていたら、その手前で、何かを追う警備隊を見かけましてね。これはもしやと思い、私は護衛の者に追わせました。もし、彼らが追っている者が捜している人斬りだったら、その場で斬らせるつもりで」
柚月は、はっと気づいた。
記憶が巻き戻され、半月ほど前の夜の出来事がよみがえる。
命が下り、梅小路で大蔵卿、高良康景を斬った。
が、その日は運が悪く、警邏していた警備隊に遭遇し、追われることになった。
そして、逃げるうちに出会ったのは――。
「椿は私の護衛であり、その子もまた、人斬りなのです」
男の言葉に、それまでずっと男を睨みつけていた柚月の目が、初めて動揺し、大きく見開かれた。
「付け加えておきますと、横浦での開世隊狩りも、昨日の、江崎、と言いましたか。開世隊の。あの男を斬ったのも、椿ですよ」
柚月は男を警戒しながらも、ゆっくりと椿に視線を向けた。
口の中が乾き、手は震えている。
部屋の隅に控える椿は、柚月の方をちらりとも見ず、微動だにしない。
――そうか。
柚月は合点がいった。
椿といると感じる、胸の引っかかり。
正体の知れない何か。
それは、違和感。
気配だ。
椿にはいつも、気配がない。
江崎が気づかなかったのも納得できる。
柚月自身もそうだ。
初めて会った時、追われていたとはいえ、ぶつかるまで椿に気づかなかった。
町で雪原に会った夜も同じだ。
もしあの時、猫が現れなかったら。
あの猫が、手をすり抜けなかったら。
柚月は、椿に気づくことはなかった。
あの時椿は、柚月のすぐ後ろに立っていた。
柚月を殺そうと。
――そうとも知らずに、わざわざ邸近くまで送ったのか。俺は。
柚月は自嘲し、視線が床に落ちた。
川沿いを歩いたあの時間、いつの間にか椿との会話に夢中になり、思わず心の内まで話した。
この国をいい国にしたい、弱い人が安心して暮らせる国にしたいと。
楽しかったのだ。
だが、そう思っていたのは、自分だけか。
これまでの楽しかった思い出は、すべて、瞞だったのか。
開世隊の皆との思い出も、椿と歩いた、ほんのひと時さえも。
自分だけが、何も知らず、気づきもせず。
――のんきなもんだな…。
柚月は自身にあきれ、何もかもが嫌になりそうだった。
体からは力が抜け落ち、かろうじて刀の柄に手をかけてはいるが、何をする気力もない。
呼吸のたび、肩だけが動いている。
――まるで、荒波にもまれる木の葉のようだ。
男は、静かにその様子を見つめた。
まだ二十歳にも届かないであろう若者が、なすすべもなく流され、のまれている。
そしてそれは、時代の波が確かにそこにある、ということを、嫌がおうにも突き付けてくる。
柚月は、片膝をついてはいるが、うずくまるようになって動かない。
目も、もう、雪原を捉えてはいない。
だがその手はまだ、刀を握っている。
右手から感じる、刀の感触。
その感触だけが、鮮明だ。
それが鈍った脳を刺激し、感覚を呼び起こした。
――…いや、待て。
柚月の思考が、わずかに動いた。
――江崎は確か、雪原を追っていて斬られたはずだ。その下手人が椿と言うことは、この男は…。
柚月はゆっくりと顔を上げた。
上座の男は、まっすぐに柚月を見つめている。
そして柚月と目が合うと、すっと居住まいを正した。
「申し遅れました。私は、陸軍総裁、雪原麟太郎と申します」
そう言うと、雪原は柚月に対して、丁寧に一礼した。
「あなたを脅すつもりはない。もちろん、殺すつもりもありません。ただ、椿もなかなかの腕ですから。その怪我です、ここで刀を抜かれることはお勧めしません」
柚月が刀を抜けば、必然的に椿が応戦する。
今の柚月では、椿に敵わないだろう。
何より雪原は、そんなことを望んではいない。
「あなたとは、一度ちゃんと話をしてみたいと思いましてね。今日、椿を迎えに行かせたのですが。まさか、こんな形になろうとは」
「…話?」
柚月には、雪原が何を言っているのか、よくわからない。
自分なんかと、何を話そうというのか。
色々な事が起こりすぎている。
頭も、体も、心も、もう限界だ。
何がなんだか、よく分からない。
何が正解で、何が間違っているか。
だがその混乱の中でも、確かなものが一つだけある。
「詳しい話はまた後日にしましょう。今日はゆっくり…」
雪原が席を立とうとすると、柚月はそれを遮った。
「三日後っ…、開世隊が総攻撃を仕掛けてきます…」
まっすぐに雪原を捉え、必死に声を振り絞る。
「羅山に援軍が。明日には到着します…!」
これは裏切りだ。
自身が裏切られたことも忘れ、柚月はそう思った。
だが、それに勝る思いがある。
柚月の思考は、もう、うまく機能していない。
敵も味方も、善も悪もない。
ただ、あるのは。
「都の人を、守ってくださいっ…」
総攻撃などしかければ、都が戦場になる。
そうなれば、必然的に巻き込まれてしまう。
関係のない人たちが。
ただ平和を望み、日々懸命に生きている人たちが。
「あの人たちを…、助けてください」
今、柚月にとって確かなのは、その思いだけだ。
雪原はゆっくり歩み寄ると、そっと柚月の肩に手を置いた。
「椿から聞いています。大丈夫。もう、手は打ってありますよ」
柚月がはじかれたように顔を上げると、目の前に、雪原の優しい微笑みがあった。
「明日にでも、剛夕様と話してみましょう。あの方と和解できれば、開世隊も武力行使する大義名分を失います。三日後の総攻撃とやらは、避けられるでしょう」
柚月は安心したように頷くと、雪原の胸に倒れこんだ。
「おやおや」
雪原は、優しく抱きとめてやった。
近くで見ると、なるほど、青年というよりは、まだ少年のようだ。
素早く椿が近づいてきて、柚月を預かった。
「『都の人を』…か」
雪原は椿の腕の中でぐったりしている柚月を見ながら、ぼそりとつぶやいた。




