第5話 ゴブリン
「キシャー、キシャー」
私とびのに気付くと、奇声を上げ、棍棒を振り回しながら襲いかかってくるゴブリン。
「びの、逃げよう」
あれが本物のゴブリンにしろ、そうでないにしろ、棍棒をもって追いかけまわしてくる生物に碌な生き物はいない。
ここは怪我をしないうちに逃げるべきだ。
私はびのの手をとって一緒に逃げようとした。
「なんだ、お前? オレらとやりあおうってのか? 覧、ちょっと、これ持ってて」
「ちょっと、びの!?」
びのは私にバッグを押し付け、ゴブリンらしき生き物に突進していった。
ああ、怪我でもしたらどうするんだ……
私の心配をよそに、びのはボクサーのようなファイティングポーズをとって、手のひらをちょいちょいと動かし、相手を挑発した。
挑発に乗ったゴブリンは、びのの頭目掛けて、棍棒を振り下ろす。
「遅いっ!」
びのは棍棒をバックステップでかわした。
「おいおい、それで終わりか?」
今度は言葉で挑発するびの。
ゴブリンに人間の言葉は理解できないだろ……と突っ込もうとしたが、ゴブリンの鼻息が荒くなっているところをみると、びのの挑発は成功したみたいだ。
ゴブリンはもう一度大きく振りかぶって、びのに襲い掛かる。
「その攻撃はもう見切っている!」
びのは棍棒をかわすと同時にゴブリンの懐にもぐりこんで、ストレートパンチをすると、顎にクリーンヒットして、ゴブリンは仰向けに倒れた。
すかさずびのはマウントを取り、ゴブリンの顔面を何度も何度もパンチした。
さすがびのだ。
伊達に喧嘩なれしていない。
どごっ! どごっ! どごっ!!
「おらおら、お前の力はこの程度か?」
びのはテンションがハイになってしまったようで、気絶しているゴブリンを殴り続けている。
いくらなんでもやりすぎだ。
「ちょっと、そのへんにしておきなよ、びの」
私が止めても、手を止めないびの。
もしも、このゴブリンのような人が世界の住人だとしたら、びのは傷害罪で捕まってしまうかもしれない。
「オレと覧を襲った罪は重い。まだまだこんなもんじゃすまさねー……って、あれ?」
びののパンチが空を切った。
「いない。ここに居たゴブリンが居ないぞ、覧」
いつの間にか、ゴブリンは虚空へと消えていた。
とさっ。
ゴブリンが持っていた棍棒だけは地面へと落ちた。
「覧、今、何が起こったんだ? 幻覚か? それともオレの目がおかしくなったのか?」
びのは自分の目が信じられなかったようで、目をこしこしこすりながら私に尋ねてくる。
「現象だけで言うなら、殴っていたゴブリンが消えて、ゴブリンが持っていた物だけ残った……かな? 一度の現象だけじゃ、確実なことは言えないけど」
私に訊かれても、こたえようがなかったので、目の前に起こったことをありのまま告げる。
「ゴブリンがいきなり消えるとか、現実世界じゃあり得ないだろ?」
確かにびのの言う通りだ。
「そうだね。質量保存の法則を無視しているね。現実じゃあり得ない」
「なあ、覧、ここって、ゲームの世界なのか?」
この状況で思いつくのは、VRのゲーム世界。
実は体感型ゲームをしてることもあり得る。あり得るが、ゲームにしてはできすぎている。
「ゲームではなさそうだけど……」
確証がない私は言葉を濁すしかなかった。
「覧が仕組んだドッキリで、覧が首謀者……ってわけじゃないんだよな?」
「当然だよ、こんなことできないし」
「じゃあ、誰かが仕組んだってわけでもなさそうだな」
びのの言う通りだ。
第三者のドッキリかもしれない……と思いそうだが、もしこれがドッキリだとすると、転移する鏡を用意をしたのも私で、転移先を入力したのも私である以上、私がドッキリの首謀者あるいは、その一味でなければ説明がつかないのだ。
「そうだ、びの。ゴブリンを殴った感触はどうだったの? VRゲームみたいな感じ?」
「いや、あのゴブリンには温かみがあったし、拳も結構痛かったから、ゲームではなさそうだったな……それに――」
びのは、ゴブリンが落とした棍棒をひょいと拾い上げた。
「――たぶん本物の武器だぜ。これ。結構な重量感がある」
びのは、いいながら、私に棍棒を差し出した。
確かに重い。
ハロウィンやコスプレで使うような紛い物ではなさそうだ。
「これを振り回していたってことは、あのゴブリン、本気でオレ達と戦うつもりだったんだな」
動物の血か人間の血かは判別できないが、棍棒には乾いた血のあとがついていた。
私が棍棒の血に注目していると、
「この血のあとも本物みたいだな。覧、分かるか?」
私の持っていた棍棒をひょいと取り上げながらびのは訊いた。
「さすがにルミノール反応薬は持ってきていないな」
こんなことになるなら、科学捜査セットも一式持って来ればよかった。
「見た感じだと?」
「本物みたいだね」
「それじゃあ、あのゴブリンも本物のゴブリンってことか?」
「まるで異世界に漂流したみたいだね」
ありえないけど……
「覧が学校へ行こうとしたら、槍が降らずに、異世界転移したってことか?」
「うわっ、ラノベにありそうな展開だね」
そうだ、きっとこの世界はラノベの世界なんだ。
『天才科学者と学校へワープしようとしたら、異世界転移してしまったので、夢想してみた』的な。
今現在、私たちは、夢の中にいるんだ。
あるいは、私の心の表層世界とか。
きっと、これは夢オチだ。
『現実へ戻れ』……的なメッセージが頭の中に流れて、元居た世界に戻るんだ。
うん、そうに違いない。
私は頭の中でそう決めつけた。
「おい、覧、覧」
呼ばれて我に返る。
「びの、ここは異世界なんだよ……びのも現実なんかみないで、一緒に夢想しよう」
「おい、覧、しっかりしろ、ここは異世界かもしれないが現実でもある……って、もしかして……」
びのはあたりを、ばっと見回した。
「どうしたの、びの?」
「この世界、今朝の夢みたいだ」
「今朝の夢って? あの?」
眉間に力が入ってしまう。
「そう、カシズという女神が現れて、オレが異世界の勇者になる夢だよ」
「正夢だったのかな?」
「偶然だろ」
「いやいや、分かんないよ。『びの・ザ・中二病』の夢だもん」
「オレの左目が疼く。今、封印されし邪眼を開眼させるぜ……ってか?」
びのは左肩に棍棒をかけ、右手で左目を覆い、一度空を見上げ、目を覆った手を頭上へ持っていき、指パッチンして、私のほうへ向き直った。
「ぷっ。そうそう、それが『びの・ザ・中二病』だ」
わざとやってると分かっているのに、噴き出してしまう。
「いやいや、違うだろ。オレはそもそも中二病じゃないからな」




